23話目:大きな嵐
「お初にお目にかかります、マティアス王子。神官のフォルスと申します」
ラゼリアの世継ぎが直々に訪問したとなれば、正式な挨拶の場を設けなければいけない。そうフォルスに言われ、ラクチェアはノエルを通してマティアスを城の大広間へ案内した。
上級神官がずらりと並び、代表としてフォルスが頭を垂れる。
「ラゼリア国第一王子のマティアスです。今回は個人的な用事の為に訪れただけなので、私へのお気遣いは結構ですよ」
笑顔でフォルスの肩に手を置くマティアス。無邪気に笑うノエルやコーネリアと違い、大人びて見る者を安心させるような微笑みだ。
少し離れた所からやり取りを眺めていたラクチェアは、隣に立つノエルに躊躇いながらも声をかけた。
「あ、あの、マティアス様はどんなご用事で……?」
「僕には言ってくれないんだよね。カテリーナは聞いたみたいなんだけど……ねえ、そういえば何で」
「あああ挨拶終わったみたいですよ!」
訓練場でノエルから逃げ出した事についてか、カテリーナと一緒に居た事についてか、どちらにせよ尋ねられても上手く答えられる自信がなかった。
神官達に背を向けこちらへ歩いてくるマティアスに気付き、慌てて話を逸らす。
「お待たせ。まずはお前のお気に入りだっていう薔薇園を見せてもらおうかな」
マティアスはノエルの頭を撫で、優しい目をして弟の顔を覗き込む。子供のような扱いにノエルは少し唇を尖らせるが、すぐに笑い返した。
「僕が案内するのはおかしいよ。ラクチェア、お願いしてもいい?」
「え、えっ? わ、私がですか?」
いきなり案内役をお願いされ、ラクチェアは思わず後ずさる。
「私からもお願いするよ。ラクチェアさん」
マティアスからもそう言われ、緊張に体を強張らせながらもぎくしゃくと頷いた。自分の粗相がもとで国際問題にでもなったら……そんな不安が頭の中を渦巻いていたけれど。
「か……かしこまりました。で、でも、マティアス様。私の事は呼び捨てで構いませんから……」
王子にさん付けで呼ばれるなど恐れ多い。ぼそぼそと呟くラクチェアに、マティアスは笑って手を挙げた。
「わかった。ではよろしく頼むよ、ラクチェア」
「は、はい!」
薔薇園に始まり、中庭や城の屋上にも足を運び、そのうち城下街も見たいと言われ、ラクチェアは次々に案内していく。
マティアスは想像していたよりもずっと親しみやすく、最初の頃に抱いていた緊張感も次第に解れていった。そういう所は兄妹共通しているのかと、ラクチェアはひとり納得する。
「兄上、まさか観光の為に来たのでは……」
若干疑わしげに視線を向けるノエルに、マティアスはあっけらかんと笑ってみせる。
「バレたか」
「兄上!?」
「冗談だよ。そうじゃなかったけれど……この国は素敵だね。楽しくなる」
出店で買った焼き菓子を頬張り、満足そうに目を細める。建前でなく本音なのだという事が、ラクチェアにもわかった。
自らの国が褒められるのは嬉しいもの。ラクチェアは誇らしく思い、心が弾むのを感じた。
「ほら、そろそろ帰ろう。日も暮れるし、コーネリアだって城で待ってるよ」
「そうだね。……もう少し遊びたかったけど」
「あ、に、う、え!」
「だから冗談だって」
からかわれて頬を膨らませるノエル。宥めるように頭を撫でるマティアス。そんな兄弟のやり取りを、微笑ましい気持ちでラクチェアは見つめていた。
日が沈む前には城に到着し、二人は揃ってラクチェアに礼を言った。
「ありがとう、ラクチェア。兄上の我が儘に付き合ってくれて」
「視察だよ、視察。ありがとう。凄く楽しい時間を過ごせたよ」
「いえ、お役に立てて良かったです」
そうして二人と別れ来た道を戻ろうとした時、ふいに腕を掴まれた。驚いて振り返るとマティアスが人差し指を唇に当て、静かにと無言で語りかける。
ノエルは背を向けていてこちらには気付いていない。何事かとびくびくしながら待っていると、マティアスは早口でラクチェアの耳に囁きを残していった。
「……え?」
「じゃあね」
軽やかに身を翻し、ノエルの元へ駆けていくマティアス。その後ろ姿を見つめながら、ラクチェアは先程の囁きに首を傾げた。




