22話目:彼女の真相
泣こうが喚こうが、誰の元にも等しく朝はやってくる。泣き腫らした目を鏡で確認し、ラクチェアは疲れたように息を吐いた。
「……行きたくない」
泣いた顔を誰かに見られるのも、理由を追求されるのも嫌だった。それと、毎日のように隊舎にやって来るノエルに会うのも。
彼の事を好きだと自覚したとて、受け入れられないという現実は変わらない。むしろ叶わぬ恋に胸を締め付けられる事になる。状況は最悪だ。
「……可愛くない顔」
鏡に向かって指を弾くと、ラクチェアは制服に着替えて部屋を出た。
*****
「副長? どうしたんですか、その顔」
巡回に出ようとしていたカミルと入り口でばったり会い、案の定顔についてつっこまれた。俯き言葉を詰まらせるラクチェアを見つめていたカミルは、先程の質問など忘れたかのように脇をすり抜け歩き出す。
「巡回に行ってきます」
「え? あ、うん。行ってらっしゃい」
小さくなっていく背中に手を振り、ラクチェアは溜め息をついた。
(気を遣ってくれたのよね。駄目だな、私)
気合いを入れるように頬を手の平でぱちんと叩き、拳を握る。いつまでも落ち込んではいられない。守護隊を纏め導くのは、今はラクチェアの役目なのだから。
深く息を吸い、胸を張って訓練場へと向かった。
「あ、おはようラクチェア」
引き締めたはずの気持ちが早速揺さ振られる。爽やかな笑顔を浮かべたノエルが訓練場の端で隊士達を見学していた。
(何で! 何で朝からいるのよう!)
「お……おは……」
「あれ? ラクチェア、泣いた?」
ぎこちなく挨拶しかけたラクチェアの言葉をノエルの心配そうな声が遮る。花を愛でるその指が、ラクチェアの頬に触れた。
「あ、あの……」
「悲しい事があった? 君はそういう事言わないから……」
触れられた所から熱が体中に広がる。それでは駄目だと語りかける理性、それでも幸せだと思ってしまう本能。二つの心が混ざり合い、ラクチェアは思わずノエルの手を払ってしまった。
目を丸くするノエル。払われた手が行き場を無くして宙をさまよう。
「す……っ、すみません!」
急いで頭を下げ、逃げるようにその場から走り去る。後ろでラクチェアを呼ぶ声が聞こえたが、振り返らずに全速力で訓練場から飛び出した。
「わっ」
飛び出した所で誰かとぶつかった。相手は小さく悲鳴をあげてよろける。
「ご、ごめんなさい……あ」
手を引き体を支えてやった相手は、カテリーナだった。キョトンとした顔でラクチェアを見つめている。
「あ、あの、カテリーナさん……」
「ねえ、今から町の方に行きません?」
「はい?」
オロオロするラクチェアに、カテリーナは笑って提案を持ち掛ける。明るいその笑顔は彼女の人柄そのもので、今のラクチェアには眩しくてまともに見られない。
返事を躊躇っていると急かすように手をとられた。
「行きましょうよー。美味しい料理のお店とか、案内してください」
強引な誘いを断る事が出来ず、ラクチェアは半ば引きずられるようにしてカテリーナに連れられていった。
*****
煉瓦で出来た花壇の縁に腰掛け、ラクチェアとカテリーナは小さなスプーンでジェラートを掬い口の中に入れた。
「あ、薔薇の香りがしますね」
「え、ええ。人気なんです、薔薇ジェラート」
ご機嫌でジェラートを食べるカテリーナを、横目で何度も盗み見る。サラサラで艶のある綺麗な髪、滑らかな肌、豊かな胸、細い腰。美人なのに気取るどころか気さくで人懐こいのも、彼女の魅力。
どうしても自分と比べてしまい、その度ラクチェアは自分の魅力の無さに落ち込む。そんな権利は無いのだと知っていても。
「何か悩み事でもありました?」
「え?」
急に真剣な声で話し掛けられ、ラクチェアは素っ頓狂な返事を返す。
「目、腫れてる」
「こ、これは……」
「女同士だし、遠慮しなくてもいいですよ。王子には話せない事もあるでしょ?」
優しく語りかけるカテリーナは、ラクチェアよりもはるかに大人なのだと思い知る。
「ラクチェアさんが元気無いと王子が心配するし……私も、いつものラクチェアさんが好きですから」
「あのっ」
溶けたジェラートが少しずつ地面に落ちていくのも気にせず、ラクチェアは泣きそうな顔でカテリーナを見つめた。
「か、カテリーナさん、は、私の事……へ、平気なんですか?」
「……ん?」
問われた事の意味がわからないといった顔で、カテリーナは首を傾げる。
「カテリーナさんて、王子の事、好きなんじゃ……」
そうラクチェアが口にした瞬間、カテリーナは腹を抱えて笑い出した。突然の事にラクチェアも面食らう。
豪快に笑い続けるカテリーナ。ツボに入ったようだ。
「カテリーナさん……」
「ご、ごめんなさい。まさかそんな勘違いをされてるなんて……。無い無い、ありえないですよ」
「で、でも、今は他人って……」
思わず口走り、ラクチェアは慌てて口を手の平で塞ぐ。涙を浮かべたカテリーナは、合点がいったように頷いた。
「ああ、聞いてたんですね。確かにあの言い方だと紛らわしいですねー」
「じゃあ、昔恋人だったとか……」
「それも無いです。他人じゃなくなるのは未来の話ですよ」
説明されても理解出来ず、ラクチェアは眉を寄せる。
「私が結婚するのは……あ、え?」
涙をふいたカテリーナの表情がふいに強張る。信じられないものを見たようなその目線の先を、ゆっくりと辿っていくと、ひとりの青年にぶつかった。
青年はラクチェア達の方へ歩みを進めている。視線はカテリーナへと注がれていた。嬉しそうに微笑み小走りで駆け寄ると、いきなりカテリーナに抱き着きその細い体を腕の中に収める。
(え? なに、え? 誰?)
「ま、マティアス様、何でここに……」
驚いた様子のカテリーナに、マティアスと呼ばれた青年は爽やかに笑いかける。
「うん、実は……」
「兄上!?」
通りの向こうにいつの間にかノエルが立っていた。驚いた表情のまま直立不動で固まっている。
(兄上、って、……ラゼリアの第一王子!?)
ようやく事態を飲み込めたラクチェアに気が付いたマティアスは、悪戯っぽくウインクをしてみせた。




