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姫君への軌跡  作者: 瀬川メル
4章
18/60

18話目:一日だけの夢物語

 小さい頃はお姫様になりたかった。綺麗なドレスを来て、毎日幸せで、いつか素敵な王子様と恋に落ちて。シスターが毎夜聞かせてくれたお話。

 けれどいつの頃からか、それは所詮夢物語だと思うようになった。私が生きているのは現実で、夢じゃない。私はどんなに頑張ってもお姫様にはなれやしない。

 幻想のドレスを脱ぎ捨てて代わりに手にしたのは剣。お姫様になれないのなら、お姫様を守る騎士になろうと。

 そんな想いも、いつしか忘れてしまっていたけれど。


*****


「わー、懐かしい」


 非番の日、いらない物を捨てるなり売るなりしようと部屋を片していたラクチェアは、一冊の本を見つけた。日に焼け、ページは所々破けている。


「……シスターに頼んで譲ってもらったんだっけ」


 一ページずつ、ぱらぱらとめくっていく。ありきたりのお伽話。けれど子供が夢を見るには十分の物語。

 懐かしさについつい読み耽っていると、扉が外から叩かれた。ラクチェアは慌てて本を閉じ、来訪者の対応に向かう。


「どなたですか?」

「ノエルだよ」

「王子?」


 開いた扉の向こうにはノエルが微笑みを浮かべて立っていた。いつもと違うのはその手に持った物。

 白い清楚な花を咲かせた、一輪の薔薇。


「わ! 綺麗……。もしかしてこの薔薇、王子が育てたんですか?」

「うん、まあ、少しの間ね。元々庭師さんが育てていたのを分けてもらって」


 庭師という言葉に、あの華奢な少女の姿が過ぎる。ラクチェアの心臓がどきりと鳴った。


「あ、え、そう、なんですか」

「はい、どうぞ」


 少しいびつに包まれた薔薇をノエルが差し出す。その白い花弁が目の前で揺れ、ラクチェアは一瞬ぽかんとする。


「……え? わ、私に?」

「うん。今日、誕生日でしょ?」


 誕生日。誕生日ってなんだっけ……? 首を傾げたラクチェアの脳が、徐々に言われた事の意味を理解し始める。同じようにラクチェアの顔も段々赤みを増していき、ついには堪えられなくなって薔薇でその顔を隠した。


「なっ、何で誕生日なんかご存知なんですか……!」

「トビアスに聞いて」

(あの子はまたーっ!)


 お喋り少年のにやけ顔が見えるようだ。絶対に面白がっているに違いない。


「白い薔薇はね、ラクチェアの誕生花」

「そ……そうなんですか?」

「うん」


 誕生花。それをわざわざラクチェアの為に育てていたという事実に、また頬が熱くなる。

 頭がクラクラするのは、薔薇から漂ってくる甘い香りのせいだろうか。


(綺麗……。あ、そういえば)


 先程見つけた本の内容を思い出す。王子様から花を差し出され、愛の告白を受けたお姫様は末永く幸せに……。


(私はお姫様じゃないけれど……)


 大好きだった物語と似ている。そう思えば自然と頬が綻んだ。

 薔薇を少し下げて目だけを覗かせると、ノエルの優しい微笑みが映る。


「あの……ありがとうございます」

「どういたしまして。君が生まれた日に、幸せの星が降り注ぎますように」


 そっと膝をつき、ラクチェアの手の甲に口づけるフリをした。その動作に、ラクチェアの鼓動が高鳴る。


(私、なんかこの間からおかしい)

「っと、じゃあもう帰るね。今日は神官殿達と会食なんだって。本当はもう少し何かお祝いしたかったんだけど」


 名残惜しそうに手を振って去ろうとするノエルの服を、反射的にラクチェアは掴んでいた。引っ張られて小さく驚きの声をあげたノエルは、やはり驚いた顔で振り返る。


「あ……、あの、私……」


 一番驚いていたのはラクチェア自身だった。引き止めてどうしようというのか。何を言えば良いというのか。

 その答えを出せずに口をつぐんでいると、ノエルが目を細めて小さく笑った。


「君は剣を持つ姿もカッコイイけど、花を持つ姿も素敵だね」

「……っ! な、何言って……もっ、もう! 行ってください!」


 ラクチェアに急かされて笑いながら走っていくノエルの向こう側に、小さくカテリーナの姿が見えた。二人で城の方へと歩いていく。時折カテリーナの肘がノエルを小突いていた。


「もう、やだ……。ずるい、馬鹿、ひどい」


 花を持つ姿も素敵だと。笑ってそう言ったノエルには、深い考えなど無いだろう。けれどラクチェアにとっては大切な言葉になった。


(今日だけは、お姫様でいてもいいかなあ)


 ゆるやかな風に揺すられた花弁が、「いいよ」と応えたように思えてラクチェアは頬を染めたまま照れ臭そうに微笑んだ。

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