17話目:花は咲き、花は散る
たまには自分の方からお茶に誘おうと、ラクチェアはノエルを探していた。部屋には不在で、カテリーナも行方を知らされていない。
きっと薔薇園にいるのだろうと推測し、庭の方へと走った。
予想通りノエルは薔薇園で花をじっと観察していた。土の状態なども触って確かめている。
(本当に花が好きなんだなあ)
ノエルの楽しそうな表情に釣られ、ラクチェアも心が浮足立つ。声を掛けようとした瞬間、ノエルの傍に立つひとりの少女が目に入った。
(あ、れ?)
エプロンと手袋を着けた姿はどう見ても庭師のもので、けれどラクチェアは彼女が見知った庭師でない事に首を傾げた。いつも見掛ける庭師は年老いた男性だったはず。
声を掛けるタイミングを失い突っ立っていると、少女の方がラクチェアに気付いて慌てて頭を下げた。
「あ、お、お疲れ様です、ラクチェア様」
「え? あ、ラクチェア!」
ノエルも気付き、パァッと瞳を輝かせてラクチェアの方へ駆け寄ってくる。途中で一瞬躓いたが、なんとか踏み止まり転ばずに目的地へ到着した。
「どうしたの?」
「あっ、あの……お茶をご一緒に、どうかなって」
「君から誘ってくれるなんて珍しいね」
「い……っ、嫌なら結構です!」
「何でそうなるの、もう。嬉しいよ。喜んでご一緒させていただきます」
演技めいた口調で頭を垂れるノエル。そのいかにも王子様といった優雅な仕草に、傍らの少女がぽぉっと頬を染めた。
「あ、あの、そちらの方は……」
「あ、うん。いつもの庭師さんが体調崩されたみたいでね。代わりに来てくれてるんだって」
ラクチェアがちらりと視線を移すと、少女は慌てたように頭を下げた。
「ま、マリアベルです! 祖父の代わりにはまだまだ遠く及びませんが……最低限の世話はさせていただこうと思いまして……」
「そ、そう……なんです、か。えっと……が、頑張ってくださいね」
つっかえながら激励の言葉を送る。マリアベルは大きく頷き、嬉しそうに笑った。
「はい! ありがとうございます!」
素直で良い子だ、というのがラクチェアが抱いた彼女の第一印象。小さく細い体と甘い声。朱に染まった頬はまさに薔薇色と呼ぶのだろう。
女の子らしい、女の子。
「わ、私、先に行ってますね。カテリーナさんもお誘いしてきます」
「え、いいのに」
「してきます!」
身を翻し、薔薇園に背を向ける。そのまま振り返らずに全速力で城へと走り出した。
心の中をもやもやと渦巻く気持ちが何なのか理解できず、振り払おうとしても一向に消えない。この気持ちのままノエルと二人きりになって冷静でいられる自信がなかった。
(あの子、王子の事……好き、なのかな?)
無意識にそんな考えが浮かび、ラクチェアは立ち止まる。
(でも、あの子もきっと庶民だし、好きでも住む世界が違う。でも、でもでも……)
可愛らしい女の子。ラクチェアのように剣を振るったりなどしない。ノエルと同じく花を愛せる少女。
(王子があの子を好きになったら……)
どうだというのか。どうなるのだというのか。友人という立場であるラクチェアには何も出来ない。止められない。
(……え?)
揺れる心を表しているかのように、強い風が吹いた。乱れる髪もそのままに、ラクチェアは呆然と立ち尽くす。
(止め……たい、の?)
風が止んでも、ラクチェアの心の内は強く揺さ振られたままだった。
*****
ラクチェアが走り去った方を見つめていたノエルは、ふと気付いたようにマリアベルを呼んだ。
「な、何でしょうか?」
「あのね、この薔薇の事はラクチェアには言わないでいてもらえる?」
一輪だけ植えられた鉢。白の蕾をつけた薔薇の花。
「どうしてですか……?」
キョトンとして聞き返したマリアベルに、ノエルは優しい微笑みを見せる。男性にあまり免疫のない少女は、それだけで胸を高鳴らせてしまう。
昔絵本で見たような、優しい優しい王子様。もしも自分も絵本のように、お姫様になれる人間だったなら……。そんなマリアベルの淡い期待を、ノエルは残酷に打ち砕く。
「白い薔薇は彼女の誕生花なんだ。もうすぐ誕生日だから、贈ろうと思って」
嬉しそうに語るノエルは、固まったままのマリアベルには気付かない。
セレネディア姫との婚約は白紙になった……そう聞いて僅かな期待を膨らませていた少女。けれどノエルの心の中にはもう既に別の女性がいた。その事実を突き付けられ、初めての恋が儚くも散ってしまったマリアベル。
「……喜ばれるといいですね」
はにかみ頷くノエルを前に、少女は健気にも涙は見せなかった。




