12話目:囚われの王子様
遡る事数時間前。生い茂る木々。揺れる馬車。高く昇った太陽が葉の隙間から地上へと光を届ける。
ユニフィスまで続く林道を、馬車は走っていた。
「驚くかな、ラクチェア」
「怒られるかもしれませんよ? 連絡も無しに、って」
「……何でそういう事言うの」
向かい合い座っているノエルとカテリーナ。窓の外を眺めては落ち着かない様子で体を揺する主人に、カテリーナは遠慮なく笑う。
「あれも、驚いてもらえるといいですね」
「……うん」
元から優しい主人であった。穏やかで誠実な人柄。けれど少し、世間知らずな部分をカテリーナは感じていた。
時々示す負の感情でさえ、酷い言い方をすれば「良い子ちゃん」の域を抜けていないように思えて仕方なかったのだ。
明確な変化が現れたのはラクチェアと出会ってから。彼女に出会い、恋をしてから。誰かを愛おしむ心、焦がれ求める気持ち、焼け付くような嫉妬の念、引き裂かれるような失恋の痛み。
(女は恋をして綺麗になるとはよく言ったものだけど)
白く澄んだ想いも黒く濁った想いも経験し、そのうえで変わらぬ優しさを見せるノエル。以前よりも強い優しさだと、カテリーナは誇らしく思う。ただ優しいだけの人間ではないのだと。
「わっ」
急に馬車が大きく揺れた。馬のいななきが聞こえ、やや乱暴な動きで馬車は止まった。
扉を開けると、御者が困り顔でそばへと駆け寄ってくる。
「申し訳ございません。石に躓いて前輪のひとつが外れてしまいまして……すぐに直す作業に取り掛かりますが、多少は時間が……」
「あ、じゃあ少しその辺を歩いてくるよ」
「私もついていきますから! ちょっと、先に行かないでくださいって!」
歩き出したノエルを追い掛け、カテリーナも林の奥へと足を踏み入れる。
風に揺らされ擦れ合う葉の音や、近くを流れる川のせせらぎ、頭上を飛び交う鳥達の歌声。長く馬車の中にいた二人は、開放感に深呼吸をした。
奥へ奥へとどんどん歩を進めていく。ふと、自然に満ち溢れたこの空間にそぐわない音が耳を掠めた。
複数の男の声。こんな場所に人がいるのかと、ノエルとカテリーナは顔を見合わせる。今度は女性の声も聞こえた。それは甲高い悲鳴。
はじかれたように走り出したノエルに、カテリーナは顔色を変えた。
「王子! 待って……」
遠ざかる背中を見失わないように、細い足で懸命に地面を蹴り続ける。やがてノエルは立ち止まり、草の陰に隠れるように体を屈めた。
「王子?」
「……人だ。なんだか、これって……」
岩場を背に座り込んでいる女性。その周りを取り囲む数人の男達。どう見ても穏やかでないその雰囲気に、ノエルとカテリーナは息を止める。
「ゲレオンはやめろと言ってたぞ?」
「ふん、なにもかもあいつの言いなりなぞ気に入らん。俺は俺のやりたい事を貫くだけさ。……このぐらいの器量ならそこそこ高く売れる」
女性を値踏みするようないやらしい目つきで、中央の男が笑う。
「あいつら……! あの子を売り飛ばす気……」
「カテリーナ。ユニフィスの守護隊に行って」
カテリーナの肩を軽く押し、ノエルは草むらから飛び出す。止める間もなく男達の前に立ったノエルを、カテリーナは見つめる事しか出来なかった。
(王子……!)
体が動かない。
「何だお前」
「それはこっちの台詞だよ。この人に何するつもり?」
「何もしないさ。売り物に手をつければ価値が下がるからなあ」
下品な笑い声に、ノエルは不快感をあらわにする。女性を背中に庇うように、男達との間へ立った。
「ふうん……着ているものも上等、そこらのガキとは違うねえ。貴族かなんかか? お綺麗な顔をしてやがる」
「ドルク、どうせ売るならこいつも品定めしてもらおうぜ」
「……そうだなあ。美少年趣味の年増は少なくないしな。おい、連れていけ」
ノエルは暴れる様子を見せない。抵抗すれば暴力で伏せられるとわかっていたからだ。怯えて涙を流す女性にしきりに声をかけながら、男達に連れていかれる。
彼等はカテリーナの存在に気付いていない。動く事を拒否する脳と体を心の中で叱咤し、少しずつ後退りを始める。
『ユニフィスの守護隊に行って』
ノエルの言葉が繰り返し廻る。今のカテリーナにはそれしか出来ない。音を立てないようにその場を後にして走り出した。
心臓の音が彼等の耳に聞こえるのではないかと恐怖に駆られ、無意識に左胸を押さえる。
(助けて……!)
そこから先の記憶は曖昧になっていった。
*****
「馬車のあった所まで戻ったんですが……そこも男達が囲んでいて近付けなくて……」
冷たい水を与えられ、カテリーナは喉に流し込みながら事情を説明する。馬車も押さえられてしまったならばと、決して近くはないここまでの距離を懸命に走ってきたらしい。
「お願いします、王子を助けて……お願い……!」
「カテリーナさん、落ち着いてください。私達が必ず助けます」
泣きながら祈るように両手を握り合わせるカテリーナ。その肩を抱き寄せ、ラクチェアは力強く宣言した。
「副長、偵察に行った隊士から連絡が入りました。西の方に猟師達が使う小屋があったでしょう? あそこを占領しているみたいです。入り口に見張りまで立てて、見つけてくれと言わんばかりに」
トビアスからの報告を受け、ラクチェアは首を傾げた。
「随分と今回は杜撰ね。昼間の犯行といい……いつもは夜に行動していたのに。もしかして別の強盗団?」
「さあ、聞いた事ないですけど」
トビアスも困惑した顔で首を傾げる。なんにせよ、こちらに有利なのは有り難い。
「居場所がわかったとは言え、あちらには人質がいるわ。王子達を盾にされたらこちらも迂闊に手を出せない」
ラクチェアの真剣な眼差しを受け、隊士達の間に緊張が走る。強盗団を一網打尽に出来る絶好の機会だが、それよりも優先すべきは一般人の安全。
強引に周りを取り囲み捕える事は苦ではないだろう。しかしその結果、ノエル達が怪我をするような事態にでもなったら……。
(いいえ、怪我だけならまだ良い。もしも……)
最悪の事態を想定するのは今は堪え難い恐怖でしかない。頭を振り、不吉な考えを取り払う。
「私が一般人のフリをして中に入り込みます。そうすれば王子達をお守り出来る」
「副長?」
「合図を出すから、そしたら総員突入しなさい。ひとりも逃がさないように」
「危ないですよ副長!」
「だってそうでもしないと守れないもの」
一般人を装うという事は丸腰で強盗団の中に潜り込むという事。先日、嫌という程男女の力の差を思い知ったラクチェアが、怖くないはずがない。
「大丈夫、死んでも王子達は守るから」
縁起でもない事を言う。ざわつく隊士達の奥から、ラクチェアへと近付いてくる人影があった。
「俺も一緒に行きます」
「カミル……」
真っ直ぐに見つめる瞳は痛い程真剣だ。
「女性がひとりであんな所を歩いているのはさすがに怪しまれると思います。俺も一緒なら姉弟に見えるし、人数が多い方が確実に守れます」
少し前の彼とは、また違う表情をする。あの夜の出来事がカミルを成長させたのだろうか。
「俺も、ノエル王子を助けたいんです」
ノエルの優しさに触れたからかもしれないと、ラクチェアは思わず微笑んでしまう。
「わかった。一緒に行きましょう」
もうすぐ世界は夕陽に染まる。守護隊は迅速に行動を開始した。




