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新選組余話-比翼の鳥-  作者: 子父澤 緊
黒船と白旗 後編
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茨掻

甲州街道も内藤新宿ないとうしんじゅくを過ぎれば、延々とのどかな田園風景が続く。


最初こそ「この辺りの岡場所おかばしょで、最近、噺家はなしか刃傷沙汰にんじょうざたを起こしたらしいですよ」などと、他愛たあいもない世間話を交わしていたものの、高井戸を過ぎた頃には二人ともすっかり無口になっていた。


寝不足と代わりえのしない景色に、山南が思わず欠伸あくびを漏らした。

「じき、日野宿ですから」

井上が苦笑まじりにはげました。

だが、山南は他のことに気を取られてそれには答えなかった。


「井上さん、あれ」

涙がにじむ眼で前方を見つめたまま、指差す。


数間先で、腰切半纏こしきりはんてん野良着のらぎを着た若者たちが群れている。

「なんだろう?」

井上もひたいに手をかざし、目を凝らした。

よく見ると、一人の少年が取り囲まれている。


「井上さん!」

集団の中から声がして、一人だけ場違いな感じの中年男が、手を振りながら駆け寄ってきた。

腹掛はらかけに股引ももひき半纏姿はんてんすがたのいわゆる大工装束である。


どうやら顔見知りらしく、井上は小さく手を上げてほほ笑んだ。

「おお、亀吉さん。久しぶりだな」

「笑ってる場合じゃねえよ、助けてくれ。金之助の野郎が、また喧嘩ケンカをおっぱじめやがって!」

井上は呆れた様子でため息をついた。

「あいかわらず、血の気の多い奴だねえ」


鈴木亀吉は天然理心流てんねんりしんりゅうの道場がある日野の佐藤彦五郎邸に出入りしている大工の棟梁とうりょうだった。

彼が言う金之助というのは弟子のことらしい。


「もう、わしの手には負えん」

見れば、四、五人の青年を相手に大立ち回りを演じているのは15、6歳の少年である。

相手はどこかの道場の門弟らしく、それぞれ木刀を構えていた。

対して金之助は徒手空拳としゅくうけんである。


「強いな」

山南は思わず感心してしまった。


「やれやれ、血の気の多い坊主ぼうずどもだな。金之助、それくらいにしとけ」

井上が遠巻きに声を掛けると、輪の中央で孤軍奮闘こぐんふんとうしている少年が振り向いた。

「見てわかんねえか。それはこいつ等に言ってくれ!ギャハハ!やれるもんならやってみろよ!この野郎!」

金之助は喧嘩ケンカ相手にりをくれながら怒鳴どなった。

「どうせ、お前のほうから喧嘩ケンカを売ったんだろ?」


井上は割って入るでもなく、砂煙すなげむりをあげて激しく争う男達を指さして、山南に説明した。

多摩こっちじゃ、こういう連中を茨掻ばらがきって呼ぶんですよ」

井上自身も、こうした気風きふうの中で育ったせいか、まるで面白がっているようなふしがある。


見かねた山南が、相手の一人の肩を(つか)んだ。

「いい加減にしないか」

二人と同じ年頃の彼らから見れば、書生然しょせいぜんとした山南と、如何いかにも人の良さそうな井上は、あまり強そうに見えなかったに違いない。

「うるせえ!!」

いきなり木刀を振るってきたが、山南はその鍔元つばもと逆手さかてで受け止めると、軽くひねって相手を転ばせた。


「この野郎!」

「引っ込んでろ!」

それを見た男たちが、今度は山南に殺到さっとうした。

山南は、倒した男の木刀を拾い上げ、中段に構える。

それだけで、目に見えない圧力が彼を取り囲む男たちを押し戻し、足を止めてしまった。


「…な、なめるな!」

ようやく一人が勇気を振り起して打ちかかった。

山南は、剣先をチョンと合わせると、次の瞬間には鎖骨さこつしたたかに打った。

相手は痛みのあまりひざをついて動けなくなった。

「つぎ」

まるで稽古けいこをつけるように、山南は、冷静な様子で一同を見渡した。

バラガキたちはますますひるんだが、まだ囲みを解かない。


「やれやれ」

井上はそれを見ながら、おもむろに木刀を袋から出し、山南を中心とした円の外側で順番を待つ男達の前に立ちふさがった。

「残りは引き受けます」

そう言って、あっという間に全員打ちのめしてしまった。


山南の方も、二、三人を相手に、圧倒的な実力差を見せつけると、

残りは蜘蛛クモの子を散らすように逃げてしまった。


金之助は二人の強さに啞然あぜんとして立ちつくした。

「べ、別に恩に着たりしねえからな。俺も得物えものさえありゃ、こんな奴ら屁でもねえんだ」

強がって見せたものの、驚きを隠しきれない。

「はあ…お前に恩を売って、なんの見返りがあるんだ?」

井上はゲンナリしながら木刀を仕舞しまい、ふと今回の用件を思い出して顔を上げた。

「そうだ、お前さん、最近、松崎道場の小峰を見かけなかったか?」

その名を聞いた途端とたん、金之助は不機嫌ふきげんになって吐き捨てた。

「ちぇ、小峰、小峰。またあいつの話かよ」

「どういう意味だ?」

「こいつら、奴に上手いこと乗せられて金を払いやがったんだ。腰抜こしぬけどもが!」

金之助は、まだ呻きを上げて地面にのたうっている若者たちに、唾を吐いた。

これだけでは、いったい何のことやら分からないが、土方から聞いた話を考え合わせれば、どうやら彼らは小峰の演説にほだされ、攘夷じょういの資金を提供したのだろう。


「オレぁ、アタマわりいからよ、そんなまどろっこしいことするくらいなら、この手で異人いじんどもを叩き斬ってやるって言ったのさ」

「やれやれ、それが喧嘩ケンカの原因かい?」

井上がきれて言った。

「だって、そうだろ!」

「お前もお前だ。簡単に人を斬るなんて口にするな」

異人いじんは人じゃねえよ。源さんも、こいつらと同類じゃねえだろうな?」


棟梁とうりょうの亀吉が、顔をしかめて金之助に詰め寄り、その頭を拳骨ゲンコツで殴った。

「てめえ、それが助けてもらった相手に言う言葉か!」

いってえな!」

金之助は、不満げに亀吉をにらみ返した。


井上は金之助の肩を小突こづき、山南に紹介した。

「こいつは大石金之助と言って、本当は一橋家の近習番衆きんしゅうばんしゅう嫡男ちゃくなんなんですよ。こんな田舎でゴロを巻いてるような身分じゃないんだが、この通り暴れん坊で、手を焼いた親から大工の修行に出されましてね」

「なるほど、どおりでお強い。やはり日野の道場のお弟子ですか」

山南は少年を持ち上げた。


まんざらでもない様子の大石金之助に、亀吉がすかさずくぎを刺した。

「弟子なんて立派なもんじゃありませんや!こいつはほんのヒマつぶしに木刀を振り回してるだけで、小峰の剣法に比べりゃ天地の差です」

「なんだと!あんなインチキ野郎なんざ、まともに立ち会やあ一捻ひとひねりだぜ!」

金之助は、顔についた泥をぬぐいながら、まだ強がった。


山南は腕組みをしながらため息をらした。

「ともかく、小峰という男は、よほどの有名人らしいですね」

亀吉は、地元の英雄の活躍をほこらしげに語った。

「近頃じゃ、彼の武名ぶめいは、この多摩一帯に鳴り響いてます。それに今じゃ、お玉ヶ池の玄武館げんぶかんでも一角ひとかど剣客けんかくだっていうじゃねえですか」

「えっ?」

山南が顔色を変えた。

「小峰軍司は、玄武館げんぶかんにいると、そう言ったのですか?」

亀吉は山南の勢いに飲まれて少し後ずさった。

「あ、ああ。でも今は小峰なんて名前じゃないはずです。なんと言ったかなあ…」

額に手を当てて思い出そうとしていると、金之助がじれれったそうに口を出した。

「真田だ。真田範之介!えらそうに、それっぽい名前をかたりやがって」


山南は蒼白い顔で、井上を振り返った。

「なんという失態だ。私はみすみす中沢君を敵の手中におとしいれたかもしれない」


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