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新選組余話-比翼の鳥-  作者: 子父澤 緊
黒船と白旗 前編
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地獄

鈴木大蔵すずきおおくらは、神田明神の惨劇さんげきの当たりにすると、真っ直ぐ深川八幡へ向かった。

あの男がどのようにして死んだのか、そして、やったのが誰であるか、それは考えるまでもないことだった。

大蔵おおくらは決して情に厚いと言える人間ではなかったが、自分の身の周りで起きた出来事に対して無関心を決め込むほどめてもいなかった。

彼の関心は、「何のために」それが起きたのかと言う部分にあった。

それを、三ノ宮卯之助(さんのみやうのすけ)たださずにおれないのが、大蔵おおくらさがだった。


「力持ち」の興行はまだ始まっていなかった。

見世物みせもの小屋の裏手にも廻ってみたが、卯之助の姿はない。

当てもなく境内けいだい彷徨さまよっているうち、大蔵おおくらはそのいさかいに行き当たった。


「やめろ、卯之助さん!」

鈴木大蔵すずきおおくらは、石を振り上げて仁王立におうだちする三宮卯之助の背中に声を掛けた。


「鈴木様、あなたか。まったく、今日は千客万来せんきゃくばんらいだな」

卯之助は振り返らず、そう応えた。


「それを降ろせ。あなたの力を、そんな事に使ってはいけない」

「そう思うなら斬ればいい。私は背中をさらしている」

「話して分らないような相手なら、そうする。それに、ここは聖域せいいきだ」

「…時に神々は、血のしたた供物くもつを望む」

「なに?」

大蔵おおくらは、まゆをひそめた。


「いったい、あなた方(さむらい)は、いつまでそうやって、のほほんと構えているつもりだ」

卯之助の問い掛けは、大蔵おおくらだけでなく、良之助にも向けられていた。

「私がこの富岡八幡で上様うえさまに芸を披露ひろうしたのは、天保てんぽう四年の事だ」

大蔵おおくらは、その背中を見つめながら、ただ黙って先を待つしかなかった。

「あなた方は知らんだろうが、飢饉ききんの始まった年さ。その後数年間、わたしは各地を巡業じゅんぎょうで回りながら、この世のものとは思えない光景を何度も目の当たりにしたよ」


「なにが言いたい。あれは天災だ」

良之介が抑えた声で、となえる。


「そうかな。民草は、せさらばえた犬や猫をくらい、口減くちべらしの為に、自分の子供まで殺した。だが、それも焼け石に水だ。凶作きょうさくの上、疫病えきびょう蔓延まんえんした村では、むしろに巻かれたむくろが、川原に山積みされて焼かれた。毎日、毎晩。しかし一方で、そこから一里いちりと離れていない場所には、わたしの下らん芸を見て歓声かんせいをあげている人間が大勢いた。それがどういった人種か、分かるらんわけではあるまい」


若いさむらい二人は言葉を失った。


「別にあんた方だけが、後ろめたい想いをすることもないさ。なにせ、そいつらが払った金で、腹いっぱい食ってたのは、他ならぬこの私なんだからな」

卯之助は低く笑った。

「わかるか。わたしは海保に命令されたから、こんな事をやっている訳じゃない。あの男がわたしを利用しているように、私もあの男の力を利用しているだけに過ぎん」


「その為には、人をあやめることも辞さんというわけか」

大蔵おおくらが、詰問きつもんする。


「もうあんな光景を、ただ黙って見ている側に廻るのはいやなんだ。無為無策むいむさく士分しぶんどもには、これ以上任せておけんと思ったまでだ」

卯之助は語り終えると、中沢良之助の足元に大石を叩き付けた。


その時、卯之助が悲しそうな笑みを浮かべるのを良之助は見た。


「次は殺す」


そういい残すと、卯之助は身をひるがえし、無言で大蔵おおくらの脇を通り過ぎた。


残された二人は、しばし呆然ぼうぜんとしていた。


密談の相手はとうに姿を消している。


「しかし、もう一人の男、あの声は…」

良之助が足元の石を見つめながらつぶやいた。


「大丈夫ですか?」

目の前に差し出された手を見て、おもてを上げた良之助は再び絶句した。

そこに立っていた男の顔は、姉の琴、そのものだった。


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