華
それは、どこか現実離れした光景だった。
男は、神田明神の鳥居の前で大の字に横たわり、虚空を見詰めていた。
その眼は光りを失い、もう瞬きをすることもない。
動かなくなったその肢体を中心に、まるで地面に大輪の華を描いたように鮮血が飛び散っていた。
中沢良之助は、野次馬の最後列から、役人が死体を検分する様子を眺めていた。
「なにごとです?」
隣に立つ男が話しかけてきた。
彼の背丈では人だかりの向こうの様子が見えないらしい。
「誰か殺されたようです」
「辻斬りか何かですか」
「いや…」
良之助は言いよどんだ。
「あれではまるで、何かに押し潰されたような…」
その時、良之助たちの背後から誰かが声を発した。
「これを見ろ!」
振り返ると、参道脇の草むらに陣笠を被った与力らしい男が屈んでいる。
死体の周りに集まっていた同心達が、人ごみを掻き分けて、良之助たちの前を通り過ぎていった。
与力の指す足元には30貫目近くはあろう大石が転がっている。
血が、べっとりとこびり付いていた。
「なぜこんなところに血痕が」
役人達は首を捻っている。
「取り返しの付かないことを」
良之助の隣にいた男は、そう呟いて立ち去った。
「…え?」
振り返った時、男はすでに踵を返していた。
良之助は、その言葉の真意を測りかねたが、それより気にかかったのは、ちらりと見えた男の横顔だった。
坂を下って行くその男の面差しは、姉の琴と生き写しだった。




