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新選組余話-比翼の鳥-  作者: 子父澤 緊
黒船と白旗 前編
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市谷甲良屋敷

翌朝、山南敬介は市谷甲良屋敷いちがやこうらやしき試衛館しえいかんを訪ねた。


沢山たくさんすずめがうるさいほどさえずっている。

一昨日、井上源三郎と顔を合わせた庭先には、誰もいない。

道場から木刀を打ち合う音がひびいてきたが、鳥たちの鳴き声に比べれば、さびしいものだった。


「山南さん!」

どこからともなく声が聞こえてくる。

見上げると、屋根の上から、島崎勝太が顔を出した。

「そんなところで、なにをやってるんですか?」

雨漏あまもりがひどくてね。屋根の修理を!今、降りて行きます!宗次郎!梯子ハシゴをこっちに持ってきてくれ!おい!宗次郎!」


山南は辺りを見渡して、

「見当たりません!」

と声を掛けた。

「たく、使えねえ奴だな。源さん!おーい!源さん!」

「近くには、誰もいませんよ!」

「山南さん。すまないが、裏に梯子ハシゴが置いてないかみて来てくれ」


山南は、仕方なく勝手口かってぐちの方まで周り込んでみた。

「すみません。見当たりません!」

「えーいクソ!あいつら!」

島崎は、どくづくと、ヤケを起こして、屋根から飛び降りた。


「だ、大丈夫ですか?」

「…!お気遣いは無用。それよりどうしたんです、急に?」

島崎は、痛みに顔をしかめながらたずねた。

「あれから色々考えてみたんですが、今日から、こちらでお世話になることにしました」

山南はわるびれずに応えた。


島崎は、尻餅しりもちをついたまま眼を見開いていたが、やがて大声で笑った。


そこへ、沖田宗次郎が梯子ハシゴかついで飄々(ひょうひょう)とやってきた。

「あらら、勝太さん、飛び降りたの」

「てめえ、どこ行ってやがった?」

宗次郎は、かついでいる梯子ハシゴに目をやってから、島崎に向き直った。

「ごめん。母屋おもやの方で使うって言うからさ」

「そんなもん、何に使うっていうんだ!」

軒下のきしたはちの巣だよ」

当たり前だろうという風に宗次郎は答えた。


「まったく、なにも今日、いきなり蜂が巣を作ったわけでもなかろう?」

「近藤先生が前から言ってたんだけど、誰もこわがって取ろうとしないからさ」

近藤とは、この道場の主、近藤周助の事だ。


宗次郎は、当事者の一人である自分をたなに上げて、島崎を責めるような視線を送った。

「さっき、土方さんがたまたま来て、とってやるって言うからさ、源さんが押し付けたんだ」

「歳が来てるのか」

島崎は腰を押さえて、けわしい顔をしたままたずねた。

宗次郎がうなずくと、島崎はうめきながら立ち上がった。


「ちょうどいい、山南さんにも紹介しよう」

宗次郎は、島崎に手を貸しながら、つまらなさそうに鼻を鳴らした。

山南の問いかけるような目に、島崎は、

同郷どうきょうの友人です。この道場へもたまに顔を見せるが、根が金持ちの放蕩息子ほうとうむすこで、気の向いたときしか稽古けいこもしない。不肖ふしょうの弟子というやつです」

と引きつった笑いを見せた。

「それはいいけどさ。今日は、あの女の人は一緒じゃないのかい」

宗次朗が口をはさんだ。

「すみません。さすがに年頃としごろの娘さんを、毎日連れ出すのははばかられまして。ところで、日を置かずにやってきたのは、もう一つ理由があります」

山南は、何か思い出したように、宗次郎を見た。

「またこいつの件ですか?」

宗次郎がふところから「白旗書簡しろはたしょかん」を取り出して言った。

「いつまでそんなもんを後生大事ごしょうだいじに持ってやがる」

島崎が舌打したうちした。

「家に置いとくと、義兄にいさんが誰彼だれかれ構わずに見せるから、捨ててしまえって姉さんに渡されたの」 

「捨てちゃいかん!」

山南があわてて手紙に手を伸ばした。

「そう思ったから、持ってるんじゃないか」

宗次郎は、その手から手紙をひょいとかわすと、物わかりの悪い大人たちをにらんだ。


「深川八幡で、それを配っていた連中の事を、もう少し詳しく聞かせてくれないか」

山南は、宗次郎に言った。

宗次郎は、例の悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべて悩む振りをした。

「どうすっかなあ、元はといえば、あのお琴さんが源さんに勝ったら教えるって約束だしなあ」

「この餓鬼ガキ、まだそんな事を言ってやがんのか!」

島崎が、宗次郎の襟首えりくびをつかんだ。

「わたしは、源さんのためを思って言ってるんだ。だって、お琴さん、源さんに気があるぜ?」

「本当にそうなのか?」

島崎は宗次郎の顔をマジマジとのぞき込んだ。

「源さんが、あんなすげえ美人を嫁にしたら、土方さんの悔しがる顔が目に浮かぶ。キキキ」


「誰がくやしがるって?」

宗次郎の背後から、手紙をひょいとつまみ上げて、薬売りの装束しょうぞくをまとった若者が姿を現した。


随分ずいぶんな言われようだな。はちの巣もさわれない臆病者おくびょうものが言ってくれるぜ」


島崎がにやりと笑って、その若者を親指で指した。

「こいつです、不肖ふしょうの弟子。土方歳三です」


「あんたの弟子じゃねえがな」

若者は手紙に目を通しながら、不機嫌ふきげんな調子で言った。

「なんだい、ここにもこんなもんが出回ってんのか?」

「知ってるのか?」

島崎が意外な顔をした。

「ああ。松崎さんの道場でも見たぜ」


天然理心流てんねんりしんりゅうは、この島崎勝太が市谷甲良屋敷いちがやこうらやしき宗家そうけを継ぐと言われていたが、発祥はっしょうである多摩にも依然いぜん多くの道場が残っており、そのうちの一つが松崎和多五郎の系統だった。


「こないだ、商売で久しぶりに寄ったんだが、若い連中が、そいつを見てえらくいきり立ってたな」

「誰が持ちこんだ?」

「ほら、あいつだよ、小峰…」

「小峰…小峰軍司こみねぐんじか」

島崎はすぐに思い当たったらしく、手を打った。


「何者です?」

山南がまゆをひそめる。

「多摩にある道場の門弟です。この土方と同じ、豪農ごうのうのぼんぼんでね。もっともあちらは、天然理心流てんねんりしんりゅう始まって以来の天才と言われた男だ。江戸に出たと聞いていたが」

「ぬかせ」

土方が島崎をにらんだ。

山南は、その肩をつかんで、自分の方に引き寄せた。

何処どこに行けば、その男に会えますか?」

「え?そうさねえ。…あんた誰?」

土方が、面食めんくらった表情でたずねる。

宗次郎が、けたたましい笑い声をたてた。

「失礼、本日より、島崎先生に教えをうことになりました、奥州脱藩、山南敬介と申します」

土方は、値踏ねぶみするように山南の姿を上から下までながめまわすと、無愛想ぶあいそうなお辞儀じぎを返した。

「…どうも」


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