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新選組余話-比翼の鳥-  作者: 子父澤 緊
黒船と白旗 前編
68/76

苦界

「あちきと床入とこいりがお望みなら、次は、もうちょっとマシなはなしを仕込んできなんし」

振り返りざま紅梅はそう言い放つと、ピシャリと後ろ手に座敷のふすまを閉めて、階段をドカドカと降りてきた。

花魁おいらん

控えていた禿かむろが駆け寄ってくる。

紅梅は、土間どまにいた数人の下働きをぎろりと見渡してから、不機嫌ふきげんな顔で人差し指を立てると、禿かむろの口を押さえた。

「いい?黙ってお聞き。内藤新宿ないとうしんじゅく岡場所おかばしょで、酔っ払って刃物を振り回した噺家はなしかが、番所ばんしょ牢屋ろうやに入れられた」

禿かむろと下働き達は、唐突とうとつな話に、皆きょとんとしている。

紅梅はそんな事にはお構いなしに、本性である下町娘したまちむすめはすな口調で、先を続けた。

牢屋ろうやにはじいさんが一人、先に入っていて、やることもない二人はお互いの身の上話を始めた。

聞けばその爺さん、元は郡山藩の馬番うまばんだったらしいんだけど、花魁おいらんに入れあげて、出来心でお殿とのさんの馬を盗んじまったのが運のきでね。

要は、その馬を売っ払って金を作ろうとしたわけさ。

一方の落語家も、岡場おかばしょ所の女に熱を上げて、くるわで大暴れしてとっ捕まった馬鹿バカだから、似たような境遇きょうぐうの二人は、すっかり意気投合いきとうごうしちまった。

話しあううちに、二人とも、またお目当ての女に未練みれんいてきて、じゃ共力して脱獄だつごくしようって話になったんだ。

まずじいさんが発作ほっさを起こした振りをして、噺家はなしかが、『相棒あいぼうが腹が痛いと苦しがってる』って大騒おおさわぎして、牢番ろうばんを呼ぶ。

手はずどおり牢番がやってくると、落語家は『医者に見せてやってくれ』って泣きつくの。

で、牢番ろうばんが鍵を開けた途端とたん、飛び出して二人でのしちまおうって寸法さ。

でも牢番ろうばんは、そんなのには慣れてるから、そりゃあ三味線しゃみせんだって取り合わない。

とりつくしまもなく行ってしまおうとするんで、噺家はなしかあわてて、『じゃあせめてあっしの落語を聞いてから行ってください』って懇願こんがんしたんだ」

紅梅はそこで一旦いったん話を切ると、伊達兵庫だてひょうごに結った髪から、かんざしを引き抜き、もう一度差し込んで頭をいた。

「ね?もうわけ分かんないでしょ?」

「…はい」

禿かむろは、どう返事をしていいかよく分からないまま、うなずいた。

「…えっとそれでなんだっけ?そう、落語家は、必死で十八番おはこを演じるんだけどさ、全然ウケないってか、牢番ろうばんは、欠伸あくびばっかしてるわけ。

こりゃヤバイってんで、『もうひとつ。もっと面白いのがあるんです』ってね、噺家はなしかは、必死に場をつなごうとするんだけど、牢番ろうばんに『もういい、もうきた』って突っぱねられちゃうの。

で、牢番ろうばんは、去り際に『俺はもう寝るが、そういや爺さんの腹の具合はどうだい?』って皮肉ひにくたっぷりにたずねた。

そしたら、腹をかかえてうずくまってた馬番うまばんじいさんが、むっくり起きだしてきて、言うわけよ。

『いえ旦那だんなはらがよじれてます』」


紅梅は、周囲の反応をうかがうように、もう一度その場にいた者を見渡してから、まなじりを決して叫んだ。


「今さ、あんたたちも『…なんっだ、そりゃ!』って思ったわよね?つーかさ、じゃ、最初の馬のくだりはなんなの?ねえ、あんた、この話のどこか面白いかわかる?」

「う、う~ん…」

禿かむろが小さなおかっぱ顔をかしげて考えこんでいると、

「結局、その馬番は、どうなったの」

と、上りがまちにちょこんと腰掛けていた娘が、振り返ってたずねた。

「知るもんか!こんなくっだらないはなし、最後まで付き合ってらんないよ!」

そう言ってから、紅梅は初めてその存在に気づいたように、娘の顔をしげしげ見た。


「そこ、おどき」

と、禿かむろ花魁おいらんの道を空けさせようとすると、品川楼しながわろうの主人が帳場ちょうばから顔を出して、

「その娘さん、花魁道中おいらんどうちゅうが到着する前から、あんたのお座敷がハネんのを待ってなさるんだよ」

と言って、紅梅に先程さきほどの押し借りの件を話して聞かせた。

「はあん。随分ずいぶんとまあ気風きっぷのいいこったね。で?あたしに何の用…」

紅梅は言葉を切ると、切れ長のまゆを寄せて、娘の鼻先はなさきまで顔を近づけた。

「あんた…、ひょっとして琴?」

琴はそれには応えず、

ねえさん。お願いがあって来たの」

と切り出した。

「あれから、なんの音沙汰おとさたもなしで、前触まえぶれもなくいきなり現れたと思ったら、それかい。ま、あんたらしいけど」

紅梅は、しばらくの間、あきれた様子で相手をながめていた。

「ごめんなさい」

琴は本当の姉にしかられたようにうつむいた。

「大きくなったねえ。あたし程じゃないにせよ、綺麗きれいになったじゃない」

「そう」

「利根に行ったんだっけか。元気にやってた」

「あ、うん。はい」

「…相っ変わらず愛想あいその無い子だね。まあいいや。なにさ」

「それが、娘さん、ここでやとってくれとさ」

楼主ろうしゅがまた帳場ちょうばから顔を出して口をはさんだ。

紅梅はけわしい眼で、楼主ろうしゅを流し見た。

「今、人手は足りてると一旦いったん断ったんだが、あんたと知り合いだって言うからさ」

紅梅の眼光に怖気おじけづいたのか、楼主ろうしゅは言い訳でもするように、ボソボソとそれだけつぶやくと、また奥へ引っ込んだ。

下女げじょでもなんでもいいの」

琴がすがるように言った。

「あんたまさか、あの身請けしてくれたおさむらいのとこ飛び出してきちゃったの」

紅梅はそのけわしい目で、今度は琴をにらみつけた。

「そういう訳じゃ無いけど」

またうつむく琴を尻目しりめに、紅梅は土間どまに下りて三枚歯の高下駄を引っ掛けた。

そして、琴の襟首えりくびつかむと、土間どまを引きずって、暖簾の外に突き飛ばした。

琴はされるがままに地面に手をつくと、物怖ものおじしない眼で紅梅を見返した。

ねえさん、花魁おいらんになったんでしょ?郭にも顔が利くんでしょう?」

高下駄たかげたいた花魁おいらんは氷のように冷ややかな目で、町娘を見下ろした。

「どこであたしが花魁おいらんになったことを知ったのさ」

「江戸に戻った次の日、門の前まで来たの。その時、外のお茶屋で聞いた」

「ふうん。あっそ」

「お願い」

「はん、そいつは出来ない相談だ」

琴は立ち上がると、うなだれてひざの砂を払った。

紅梅は琴のあごをつかんで、無理矢理顔を上げさせると、諭すようにささやいた。

「なにがあったのか知らないけどね。せっかく堅気かたぎになれたのに、また好き好んで、苦界くがいに脚を突っ込むの?周りをごらん。みんな妙な顔であんたを見てる。ここはあんたみたいな町娘まちむすめが来る場所じゃないんだよ。さっさと出ていきな」


琴の眼は、うるんでいた。


彼女は、昔からほとんどといっていい程、感情を表に出さなかったが、どうした訳か、紅梅の前でだけは幾分いくぶん素直になるところがあった。

「…はい」

その様子を見て、紅梅は情に流されまいと必死でこらえている様子だったが、ついに折れたらしく、しぶい顔で肩を落とした。

「ちっ、わかったよ。うちの馴染なじみの客にでも堅気かたぎの奉公の(ほうこう)口がないか聞いといてやるから。とにかく今日は帰んな」

「うん…あの」

「なんだい!悪いけど、あたしは忙しいんだよ。なんせ、今じゃ売れっ子の花魁おいらんなんでね」

「あの、あのね、ずっと前、わたしがここにいた頃に、清河正明っておさむらいがお座敷をげたでしょ?あの人、まだ顔を見せる?」

紅梅は清河の名を聞いて不審ふしんげな顔をした。

「ああ、あの清河、今じゃすっかり常連じょうれんさんだよ」

「どこに行けば会えるかわかる?」

「どこったって、あの人、浪人だからねえ。普段なにをやってんだか、正体の知れない奴でさ」

「そう」

力なくつぶやく琴の両肩を、紅梅がつかんだ。

「琴、あんた、あの男になんか用があんの?だから、ここで働きたいなんて突然言い出したの?」

「…別にそれだけじゃないけど」

「あの男に関わんのはやめときな。あいつはただの食い詰め浪人じゃない。なんかヤバい橋を渡ろうとしてる」

琴はハッと顔を上げて、紅梅を見つめた。

「まさか、あんたも関わってんのかい?」

「わからない。でも、私の弟が、それに巻き込まれてるかも知れない」

紅梅は珍しく考えこんでいたが、

「…わかった。けど、この町でまた働くなんてのは駄目ダメ。今度あいつが来たら、必ず知らせてやるから、あんたの居場所いばしょを書いて、帳場ちょうばにいるハゲ頭に渡しときな。今日のところは大人おとなしく帰るんだ」

と、妹を見るような目で、琴の頭をでた。

「じゃあ、行くね」

ねえさん」

紅梅は、うんざりした顔で宙をながめてから振り返った。

「まだ、なんか用?」

「ありがとう」


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