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新選組余話-比翼の鳥-  作者: 子父澤 緊
黒船と白旗 前編
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気の重い会合から開放されて、良之助が稽古場けいこばへ向かう廊下ろうかを歩いていると、胴着どうぎをつけた山南敬介と行き当たった。


「山南さん」


山南は良之助が何か言おうとするのを制するように手を上げた。

「そこで、随分ずいぶんけわしい顔をした師範しはんとすれ違ったが。何かあったかい」

「それは…」

良之助が言い淀んでいると、

「いや、聞くまい。それより今日はどうする?」

と山南は剣を持つ仕草しぐさ真似まねた。

勿論もちろん、お相手しますよ」

「よろしい。では後ほど道場で」

山南は有無を言わせぬ調子でそう言い残すと、千葉周作の部屋の方へ真っぐ歩いて行ってしまった。


良之助にしてみれば、山南がなぜこんなところにいるのか気にかかったが、その後ろ姿には、問いかけをこばむ様子がありありと見て取れたので、顔をしかめて見送るしかなかった。



一方、山南や良之助達が試衛館しえいかん道場へ向かう道中、外堀そとぼり越しに望んた水戸藩江戸上屋敷みとはんえどかみやしきの内側では。


しくもひかえの片隅かたすみで、二人の剣豪けんごうの間で取り交わされた談義だんぎが「白旗書簡しろはたしょかん」の話題に及んでいた。


山南敬介、中沢良之助が在籍ざいせきする神田お玉ヶ池(かんだおたまがいけ)玄武館(げんぶかん)師範しはん海保帆平かいほはんぺい

そして、鈴木大蔵すずきおおくらの水戸遊学時代の師である金子健四郎。

二人は、同藩馬廻組(うままわりぐみ)として、共に最近になって出府しゅっぷした新参しんざん旗本はたもとだった。


としは少し離れているが、任官にんかんされてまだ日が浅い二人は、自然、話す機会も多く、近頃では何となく互いの気心きごころが知れてきた仲だ。


なかば名誉職めいよしょくとして形骸化けいがいかしていた「馬廻組うままわりぐみ」に、再び二人のような腕利うでききが集められた理由は、黒船来航にたんはっする国政の混乱により、水戸徳川家が多くの政敵せいてきを持つことになったからに他ならない。


アメリカ他、列強への対応については、幕閣ばっかく内でも当初から意見が割れていたが、とりわけ強硬に保守の論陣ろんじんを張る藩主はんしゅ徳川斉昭(なりあき)の言動は、様々な方面で軋轢あつれきを生んでいた。

自他じた共に「天下の副将軍」を任じる水戸藩主の近辺警護きんぺんけいごにあたる彼ら馬廻組うままわりぐみは、この一年というもの常にピリピリした緊張感の中に身を置いていた。


金子健四郎は辺りを見渡し、人目をはばかるように声を落とした。

「実は殿の名をおとしめんとする陰謀いんぼうありと注進ちゅうしんした者がございましてね」

おだやかではありませんな」

海保帆平かいほはんぺいは、日頃泰然(たいぜん)とした様子を崩さない年長ねんちょう同僚どうりょうが、珍しく深刻しんこくな顔をするのに引き込まれた。


「このところ殿に関する醜聞しゅうぶんちまたささやかれているとか」

「それは如何いかなる醜聞しゅうぶんでしょう」

あるじ徳川斉昭とくがわなりあき女癖おんなぐせの悪さは、つとに知られており、海保帆平かいほはんぺいは、拍子抜ひょうしぬけしたように、またかという顔でたずねた。

「なんでも、ペリーが浦和にて上様の名代みょうだい謁見えっけんした際、『交渉こうしょうらず開戦のむなきに至った場合、許しをいたくばこれをかかげよ』と"白旗"を寄越よこした、などといううわさ吹聴ふいちょうしておるやからがおるそうですが、それを裏で糸引くのが実は殿であると」


思いもよらぬ金子の答えに、海保は居住いずまいを正した。


「思い当たるふしがございます。拙者せっしゃ、先日玄武館(げんぶかん)にて、そのうわさに関する詮議せんぎを受けました」

「なんと!なぜ部外者からその様に無礼ぶれい詮索せんさくを受けるいわれがあろうか!」


金子は、朋友ほうゆうに対する非礼に、激しいいきどおりを見せた。

海保は実直じっちょくな金子の態度に、溜飲りゅういんを下げた。

思わずこの場にそぐわない笑みが漏れる。


拙者せっしゃもそう申しましたが、そのうわさ出処でどころ辿たどると、どうやら玄武館げんぶかんに行き着くらしいのです。千葉周作先生の所に、幕府よりそのむねを問いただす使者があったとも。拙者せっしゃが水戸藩士であるがゆえ、疑いを招いたとすれば、金子殿の話と辻褄つじつまが合います」

「『幕府』の名を持ち出すなど、片腹かたはら痛い。そも幕府とはいったい誰のことやら。どうせ腰抜こしぬけの老中ろうじゅうども、おおかた松平乗全まつだいら のりやすあたりのがねに違いありますまい」


金子は重鎮じゅうちんの名を挙げてバッサリ切り捨てたが、海保は浮かない顔をしている。

「しかしせんのです。黒船が浦和に寄港きこうした際、拙者せっしゃも殿に随伴ずいはんしました。無論むろん、米国との協議の一部始終いちぶしじゅうを知るわけではありませんが、殿のご気性きしょうを考え合わせれば、あの時のご様子からさっするに、その様な事実はなかったと思うのです。にも関わらず、白旗のうわさには妙な信憑性しんぴょうせいがあって、下々(しもじも)にも急速に攘夷じょうい機運きうんが高まっております。これではむしろ、我が殿の主張にするばかりではありませんか」

「殿をめようとした連中は、口実に使ったそのうわさが一人歩きを始めて、案外(あせ)っておるかも知れません。策士策さくしさくおぼれるという、あれです」

金子は軽い調子を装ったが、やはり釈然しゃくぜんとしない様子だった。

「…なら良いのですが。皆がこの国難こくなんに乗じて、おのれの身を立てる事ばかり目論もくろんでおるようで、なんともやり切れん心持こころもちです。その件、殿のお耳に入れるおつもりか」


金子は腕組みをして眉根まゆねを寄せた。

「まだ決めねております。この話を持ち込んだのは、なかなか如才にょさいがない男で、もう少し調べさせてみようと思います。玄武館げんぶかんの線をあたらせましょう。海保殿は、潔白けっぱくが証明されるまで方々(かたがた)自重じちょうなされよ」


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