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新選組余話-比翼の鳥-  作者: 子父澤 緊
黒船と白旗 前編
63/76

落葉

落ち葉が舞っている。

麹町こうじまちのほど近く、人気のない雑木林ぞうきばやしの中に二人の姿はあった。

「決心はつきましたか」

真田範之介は、期待を込めた表情で言った。

「決心?」

鈴木大蔵すずきおおくらから返ってきたのは、に反して気のない言葉だった。

「鈴木さんなら、一も二もなく我等われらの同志になって頂けると思っていましたが」

真田は大蔵おおくらの真意をはかりかねるように問い返した。


「このところ、私事わたくしごとわずらわされて、失念しつねんしていました」

「鈴木さんらしくもない。迷う理由はないでしょう。今回の条約締結じょうやくていけつは、天子様の勅許ちょっきょを得ずしてされたと疑う向きもあります。尊王家そんのうか貴殿きでんなら、さぞやはらわたやしているはずとんでいたのですが」

「私のような一介いっかいの浪人に外交の内幕うちまくを知る由もありません。不確かなうわさにまで、一々腹を立ててもしょうがないでしょう?」

「けれど、事態はひっ迫しているのです。早晩そうばん、奴らは通商条約を取り付けようとするでしょう。このまま、腰の引けた幕閣ばっかくどもをのさばらせておいては、わが国も清国しんこくの二のまいだ」


大蔵おおくらは、首筋の辺りをさすりながら、軽くため息をついた。

「私も人並ひとなみの愛国心あいこくしんは持ち合わせているつもりですが、あいにく他人におどらされるのは好きじゃない」

「どういう意味です」

「真田さん、あなたは、ご自分の意思で、この血盟けつめい加担かたんしておられるつもりかも知れませんが、この騒ぎで一体誰が得をするのか、考えたことがありますか」

尽忠報国じんちゅうほうこくこころざしとは、無私むしの精神です。少なくとも私は、この国難こくなんにあたって、欲得よくとくずくで動く気など、毛頭もうとうありません。そのような下衆げすかんぐりは、おのけがしますぞ」

大蔵おおくらは、鼻で笑った。

「伝え聞くところでは、あなた方は大層たいそうな金をき集めているそうじゃないですか。なのに、あなたの言う腰抜こしぬけの幕閣ばっかくやメリケンどもは、いまに刺されたほども痛みを感じていない。その金は何処どこに消えているのです?」

「どこからそんな話を聞いたのか知らんが、ことはそう容易たやすくない。同志たちは、今まさに蜂起ほうきすべく、必要な武器を都合つごうする為に、各地の政商せいしょうわたりを付けている最中さなかだ」

真田の語気ごきが荒くなった。

「…本当に?」

「何が言いたい」

「あなた達は、利用されているだけかも知れない。それも奴らにへつらおうとする側の人間に」

「何を根拠こんきょに、そのような戯言ざれごとを!」

根拠こんきょなどありません。まだね。ただ見極みきわめをあやまって、逆に国賊こくぞくそしりを受けるなどという醜態しゅうたいさらされぬようご忠告申し上げているまで」


「鈴木さん、その侮辱ぶじょく、聞き捨てならんぞ」

真田が、一歩前へ踏み出した。

枯れ草が音を立てる。


大蔵おおくら冷徹れいてつな笑みを浮かべた。

「言葉が過ぎました。近頃、あちこちから同じような引き合いがあって、正直、辟易へきえきしているのです」

「それでも、あなたは動かないと言うのか!」

「くどい。これは攘夷じょういの名をかたった茶番だと申し上げている」


真田がギョロリとした眼をいて、刀を抜き放った。

「貴様!」

「おやめなさい。尽忠報国じんちゅうほうこくかかげる者が私闘しとうなど」

しかし、言葉とは裏腹うらはらに、大蔵おおくらの顔に張り付いた笑みは消えない。


こしに差しているそれはかざりか。抜け!」

真田はすでに間合いを取っている。


大蔵おおくらは、なんの躊躇ちゅうちょもなく愛刀「三郎兼氏さぶろうかねうじ」のさやを払った。


はがねの塊がギラリと光るさまは、なぜか現実のものとは思えない。

大蔵おおくらを構えた相手と向き合うのは初めてだった。

背筋を冷たい汗が伝う。

真田が土をった。

大蔵おおくらは、自分の左上から振り下ろされてくる剣先を、他人事ひとごとのような心地ここちで見ていた。

しかし、身体は反射的に間合まあいを詰め、鍔元つばもとでそれを受け止める。


雑木林ぞうきばやし剣戟けんげきの音が響いた。


素早く引く真田を追って、大蔵おおくらは、片腕で横薙よこなぎに刀を払う。


「はっ!稽古けいこのようにはいかんな」

切っ先をかわした真田が不敵ふてきに笑った。


大蔵おおくらは刀の重さに耐えかねたように、正面に構えた両腕をだらりと下げている。

しかし、その瞳には暗い光が宿やどり、口元にはまだゆがんだ笑みをたたえていた。


「抜いた途端とたんけだものみたいな眼になりやがって」

真田が八相はっそうに構えて、つばを吐いた。


大蔵おおくらの刀が、真田の咽喉元のどもとを狙って、地面から迫り上がる。

刃は真田のびんをかすめたが、すんでのところで振り払われた。

勢いをらされた大蔵おおくらは、大きく体勢たいせいを泳がせた。


真田が建て直し、再び大蔵おおくらに斬りかかろうとしたその時、

「先生!」

と木々の間から子供の声が聴こえた。


「来るな!平助!」

木の根元に片腕をついた大蔵おおくらが叫んだ。


「先生!」

朽ちた葉を踏みしめる音とともに、藤堂平助の声がさらに近づく。

「…ちっ、やってられるか」

真田範之輔は刀をさやに納めた。


平助が、そこに辿り着いたとき、すでに真田の姿は無かった。


大蔵おおくらは、大きなクヌギに背中をあずけ、ひざを半分折るような姿勢で、ようやく立っていた。


今頃、心臓が早鐘はやがねのように鳴っている。

なぜか笑いがこみ上げてきた。

大蔵はひたいてのひらで押さえながら、低く笑った。


平助は、所在無しょざいなげな様子で、かたわらにたたずんでいる。

その手には、二尺八寸はあるったこしらえの長刀が握られていた。


「来るなと言ったろ」

大蔵おおくらは、疲れきった声で平助をしかった。


「先生が、これを忘れて行ったから、追いかけて来たんだ。そしたら、林の間から、先生が斬り合ってるのが見えて」


平助は、クヌギの根元に抜き身のまま転がっている「三郎兼氏さぶろうかねうじ」と自分の持ってきた長刀を見比べて、うなだれた。


「私はひょっとしたら今日、はなからやり合うつもりだったのかも知れん。だからその刀を持ち出さなかったんだ。こんな詰まらんいさかいで、それを刃こぼれさせるわけにはいかんからな」


平助はその長刀を両手でささげ持つようにしてじっと見詰めた。

気の早い鈴虫すずむしが近くで鳴き始めた。


まだ明るい空を見上げて、大蔵おおくらが大きく息を吐いた。

「斬られた?」

平助が心配そうに聞いた。

「いや」

「ほんとに?」

「ああ。お前が通りかからなきゃ、今頃斬られてたかもな」

自嘲じちょうするように言って、大蔵おおくらはまた、声を殺して笑った。

平助は、師匠ししょうの気がれたのではないかと不安そうな顔をしている。


「…私は、何をばちになってるんだ。まだ金子先生から答えも聞かぬうちに斬り合いなど」


座り込んでしまった大蔵おおくらの肩を、平助の小さな手がつかんだ。

「先生。もう行こう」

「…こと」

平助は、大蔵おおくらが小さな声でそうつぶやくのを聞いた気がした。


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