姉
大蔵が、手紙を書き終えてふと気づいたとき、窓の外は夜の帳が降り、部屋には明かりが灯っていた。
「そう言えば」
大蔵が急に思い出したように言葉を発した。
「以前、そうやって私の顔をじっと眺めるのは何故か聞いたことがあったろう?」
小亀は、二刻ばかりも黙々と筆を走らせていた大蔵から急に声をかけられて、戸惑いを隠せなかった。
「あ、あの、はい」
「あの時、貴方はなにか言おうとしたね?」
大蔵の端正な顔が間近に迫り、彼女の眼を覗き込んだ。
「すみません。あれは、忘れてください」
床に散らばっている大蔵の書き損じを拾い上げて、無理やりその視線を逸らせた小亀は、どぎまぎしながら答えた。
「気になるな」
「あの、本当につまらないことなんですけれど…」
「うん」
先を促すような大蔵の相槌に、小亀はもう続けるしかなかった。
「わたしが初めてこの花街に来た時、一緒に置屋に連れられて来た同じ年頃の娘がいたのです」
その時、小亀には大蔵の瞳が少し揺らいだように見えた。
「私たちは、二人とも新造と呼ばれる年頃でしたから、下働きとか、お稽古事とか、一緒にいる時間が長くて、すぐに仲良くなりました。とても綺麗な娘で、その…」
「なに」
「その、大蔵様のお顔が、その娘にあまりに似ておられるので…」
ふと面を上げた小亀は、悲鳴を漏らしそうになった。
大蔵の顔は、死人のように青ざめていた。
その眼は、まるでこの世ならぬものを見たように見開かれ、薄暗い部屋の中で炯々と光っている。
小亀は、自分が大蔵の気に障る言葉を口にしたのだと思い、その場にひれ伏した。
「も、申し訳ございません。大蔵様のような立派な殿方に失礼なことを!」
大蔵は、小亀の反応にハッと我に帰ったように身を引いた。
「いや…すまない。別に気を悪くしたわけじゃない」
「なにとぞ!」
小亀はか細い首を上げようとしなかった。
「やめてくれ!怖がらせるつもりはなかったんだ」
大蔵が、その華奢な肩に触れると、小亀は小さく身を震わせた。
「…その娘の名は」
大蔵は呟くように言った。
「いえ、もうそのお話は」
小亀は伏したまま、震える声で答えた。
「その娘の名はなんと言うんだ!!今、何処にいる!」
大蔵の怒声に、小亀はすすり泣きながら言葉を搾り出した。
「…お琴さんです…訳は存じませんが、水揚げ前に、利根のお侍様に身請けされました…それきり消息は聞きません…」
鈴木大蔵はふらふらと立ち上がると、先ほどの書状を小亀の手元に置いて、
「これを、小者に届けさせてくれ」
そういい残すと、放心したように部屋を出て行った。




