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新選組余話-比翼の鳥-  作者: 子父澤 緊
黒船と白旗 前編
56/76

記憶

大蔵おおくらには多聞たもんの他に、もうひとりの姉弟きょうだいがあった。


誰よりも濃い血でつながる双子の姉。

自らの半身。


水戸へと旅立つ日、見送りに立った姉の姿が、大蔵おおくらの知る最後だった。


それは、父が不祥事ふしょうじで公職を追われ、姿を消して間もない頃だ。

残された家族は志筑にあった家を手放して、父方の親戚にあたる桜井家に身を寄せていた。


そんな時、大蔵おおくらはつてを頼って、水戸藩士金子健四郎の道場へ内弟子うちでしとして寄宿することになった。

実のところこの遊学ゆうがくは、かせぎのない一家にとって食い扶持ぶちを減らす口実に過ぎなかったとも言える。


そうして長い時間が過ぎ、どうした訳か逐電ちくでんしていた父がひょっこり戻って、再び生活の目処が立つようになると、大蔵おおくら志筑しづきに戻った。


「ほう、この刀を残したか。やはり大蔵おおくらにはものを見る目が備わっている」

再会した父は、大蔵おおくらが腰に差していた刀を見て嬉しそうに言ったものだ。

日々のかてを得る為に、残った家財をほとんど売り払ってしまった家族にとって、これほど勝手な言い草はなかったが、彼らしいと言えば彼らしかった。


奔放ほんぽうに生きた父、鈴木専右衛門には何処か憎めない処があった。

もっとも、その刀は父の為に取っておいた物ではなかった。

無銘むめいながら、その刀身は妙になまめかしい美しさをたたえ、幼い頃から非凡な剣才を見せた姉、琴が持つに相応ふさわしいと、大蔵おおくらは勝手に決めていた。


しかしそこに琴の姿はなく、姉は関何某せきなにがしという土浦藩の医者にとついだと聞かされた。


鈴木家の生活は、二人の永い不在を経て、それがまるで元からある形のように変容していた。


その後も姉からの便りはなく、思い悩んだ末、大蔵おおくらは土浦を訪ねた。

水戸にいた頃、琴の為に手に入れた櫛と、髪飾りを持って。


家族はなぜか姉の話をすることを喜ばなかったため、手掛かりはとぼしかったが、大蔵おおくらは粘り強く方々を捜し廻り、ようやくそれらしい医家を見つけた。


ところが妙なことに、医者の妻は、琴とは似ても似つかぬ別人だった。


関医師に曰く、たしかにそのような縁談はあったが、すでにその時琴には許婚いいなずけがあったため、その話は流れたそうだ。


大蔵おおくらはその日、関夫妻のすすめで、関家で一晩を過ごすことになった。


頭が混乱してなかなか寝付けなかった。


夜の四つ下がり、ようやくまどろんできた大蔵おおくらの布団に、関の妻が滑り込んできた。

女は、美しい大蔵を一目見て懸想けそうしていた。

首筋に口付け、浴衣を脱がせようとするその手を振り払い、庭へまろび出た大蔵おおくらは、女が腰巻こしまき一枚の姿で、後を追って部屋を出て来たのをみると、思わず手に握っていた物を投げつけた。


大蔵おおくらは、逃げるように関家を出た。

琴も、あんなことをするのだろうか。

そんなことを考えながら、大蔵おおくらは志筑への道を夜通し歩き続けた。


涙がぽろぽろこぼれた。


気がつくと、琴へ渡すはずだったくしと髪飾りはなくなっていた。

あの時、関の妻に投げつけたのが、それだと気づいたのは、水戸街道に出てから一刻も歩いた後だった。


家に帰りついた大蔵おおくらは母を問い詰めたが、さめざめと泣くばかりで一向に要領を得ない。


大蔵おおくらは、遊学以来疎遠(そえん)になっていた桜井家に向かい、昔から苦手だった大叔母おおおばに話を聴く他なかった。


大叔母おおおばは、母と口裏を合わせたように関家云々の話を繰り返した。

しかし、土浦の件を持ち出して問い詰めると、渋々経緯いきさつを話し始めた。


大蔵おおくらが水戸へ旅立ってすぐ、美しい姉は江戸の遊郭ゆうかくへ売られていたことを、彼はその時、初めて知らされた。


帰郷以来感じていた、家族への違和感の正体が何であったのか、大蔵おおくらは理解した。


母コヨは、おそらく大蔵おおくらから激しく詰られることを望んですらいたに違いない。

大蔵おおくらもそれを察したが、彼は表立って母を責めることはしなかった。


この件で一番苦しんだのが誰であるかは明白なのだ。

毎日、姉と同じ顔をした大蔵おおくらから、暗い目で見続けられることは、母にとって拷問よりつらい仕打ちだったに違いない。

彼を見つめる母の瞳から悲しみの色が消えることはなかった。


それでも、つい大蔵おおくらが母を許すことはなかった。


他に術が無かったと知りつつも、それを理屈で割り切るには、彼にとって失ったものは大き過ぎた。

そして、これ以上、何事も無かったように志筑の家で暮すことは、出来なかった。


やがて、彼は江戸へ出て、そのまま故郷へ帰ることはなかった。


思い出にふけるうち、しおの香りが漂ってきた。

州崎遊郭すざきゆうかくが近い。


初めてこの遊郭ゆうかくを訪れたのも、ひょっとしたら姉に出会えるかも知れないという淡い期待があったからだ。

彼は無意識に腰の長刀にそっと手を触れた。

それは、姉の琴が受け継ぐはずのものだった。


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