記憶
大蔵には多聞の他に、もうひとりの姉弟があった。
誰よりも濃い血で繋がる双子の姉。
自らの半身。
水戸へと旅立つ日、見送りに立った姉の姿が、大蔵の知る最後だった。
それは、父が不祥事で公職を追われ、姿を消して間もない頃だ。
残された家族は志筑にあった家を手放して、父方の親戚にあたる桜井家に身を寄せていた。
そんな時、大蔵はつてを頼って、水戸藩士金子健四郎の道場へ内弟子として寄宿することになった。
実のところこの遊学は、稼ぎのない一家にとって食い扶持を減らす口実に過ぎなかったとも言える。
そうして長い時間が過ぎ、どうした訳か逐電していた父がひょっこり戻って、再び生活の目処が立つようになると、大蔵は志筑に戻った。
「ほう、この刀を残したか。やはり大蔵にはものを見る目が備わっている」
再会した父は、大蔵が腰に差していた刀を見て嬉しそうに言ったものだ。
日々の糧を得る為に、残った家財を殆ど売り払ってしまった家族にとって、これほど勝手な言い草はなかったが、彼らしいと言えば彼らしかった。
奔放に生きた父、鈴木専右衛門には何処か憎めない処があった。
もっとも、その刀は父の為に取っておいた物ではなかった。
無銘ながら、その刀身は妙に艶かしい美しさを湛え、幼い頃から非凡な剣才を見せた姉、琴が持つに相応しいと、大蔵は勝手に決めていた。
しかしそこに琴の姿はなく、姉は関何某という土浦藩の医者に嫁いだと聞かされた。
鈴木家の生活は、二人の永い不在を経て、それがまるで元からある形のように変容していた。
その後も姉からの便りはなく、思い悩んだ末、大蔵は土浦を訪ねた。
水戸にいた頃、琴の為に手に入れた櫛と、髪飾りを持って。
家族はなぜか姉の話をすることを喜ばなかったため、手掛かりは乏しかったが、大蔵は粘り強く方々を捜し廻り、漸くそれらしい医家を見つけた。
ところが妙なことに、医者の妻は、琴とは似ても似つかぬ別人だった。
関医師に曰く、たしかにそのような縁談はあったが、既にその時琴には許婚があったため、その話は流れたそうだ。
大蔵はその日、関夫妻の薦めで、関家で一晩を過ごすことになった。
頭が混乱してなかなか寝付けなかった。
夜の四つ下がり、ようやくまどろんできた大蔵の布団に、関の妻が滑り込んできた。
女は、美しい大蔵を一目見て懸想していた。
首筋に口付け、浴衣を脱がせようとするその手を振り払い、庭へまろび出た大蔵は、女が腰巻一枚の姿で、後を追って部屋を出て来たのをみると、思わず手に握っていた物を投げつけた。
大蔵は、逃げるように関家を出た。
琴も、あんなことをするのだろうか。
そんなことを考えながら、大蔵は志筑への道を夜通し歩き続けた。
涙がぽろぽろこぼれた。
気がつくと、琴へ渡すはずだった櫛と髪飾りはなくなっていた。
あの時、関の妻に投げつけたのが、それだと気づいたのは、水戸街道に出てから一刻も歩いた後だった。
家に帰りついた大蔵は母を問い詰めたが、さめざめと泣くばかりで一向に要領を得ない。
大蔵は、遊学以来疎遠になっていた桜井家に向かい、昔から苦手だった大叔母に話を聴く他なかった。
大叔母は、母と口裏を合わせたように関家云々の話を繰り返した。
しかし、土浦の件を持ち出して問い詰めると、渋々経緯を話し始めた。
大蔵が水戸へ旅立ってすぐ、美しい姉は江戸の遊郭へ売られていたことを、彼はその時、初めて知らされた。
帰郷以来感じていた、家族への違和感の正体が何であったのか、大蔵は理解した。
母コヨは、おそらく大蔵から激しく詰られることを望んですらいたに違いない。
大蔵もそれを察したが、彼は表立って母を責めることはしなかった。
この件で一番苦しんだのが誰であるかは明白なのだ。
毎日、姉と同じ顔をした大蔵から、暗い目で見続けられることは、母にとって拷問より辛い仕打ちだったに違いない。
彼を見つめる母の瞳から悲しみの色が消えることはなかった。
それでも、遂に大蔵が母を許すことはなかった。
他に術が無かったと知りつつも、それを理屈で割り切るには、彼にとって失ったものは大き過ぎた。
そして、これ以上、何事も無かったように志筑の家で暮すことは、出来なかった。
やがて、彼は江戸へ出て、そのまま故郷へ帰ることはなかった。
思い出に耽るうち、潮の香りが漂ってきた。
州崎遊郭が近い。
初めてこの遊郭を訪れたのも、ひょっとしたら姉に出会えるかも知れないという淡い期待があったからだ。
彼は無意識に腰の長刀にそっと手を触れた。
それは、姉の琴が受け継ぐはずのものだった。




