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新選組余話-比翼の鳥-  作者: 子父澤 緊
黒船と白旗 前編
55/76

告白

「先生は、尻込しりごみされるんですか」

温厚な三ノ宮卯之助(さんのみやうのすけ)語気ごきを荒げた。

人気のない杉山道場に怒声どせいが響く。


「まあ、どう取っていただいてもいいが、この件に関しては、しばら静観せいかんするつもりです」


道場の隅で竹刀しないを振るっていた藤堂平助が、卯之助の大声を聞きつけて近づいてきた。


「なんでもない」

鈴木大蔵すずきおおくらは片手を上げて平助を制すると、安心させるように笑顔を見せた。

「この書簡しょかんを見て、鈴木様のような若者が全国で義憤ぎふんに打ち震えております」

卯之助は声を抑えて、大蔵おおくらににじり寄った。


「その気持ちは私も同じです。ここに書かれていることが本当ならば」

「これが偽書ぎしょだと仰るのですか。現に条約は成されたんですよ?」

「ではこれをばらいて同志を集い、それからどうします。使節の宿舎を焼き払いますか」

大蔵おおくらは鋭い目で卯之助に問いかけた。


卯之助はその視線を真っ向から受け止めると、興奮こうふんした様子で切り返した。

「そいつあ私の考えることじゃあ、ありません。だがそれもいい」


「卯之助さん、あなたはいい人だ。幕府の弱腰よわごしには私も忸怩じくじたる想いだし、あなたの力になってあげたい気持ちもある。しかし、この件には、そういう純粋じゅんすいな動機とは別に、なにか陰謀いんぼうめいた思惑おもわくがあるように思えてならないのです。悪いことは言わない。あなたも手を引いたほうがいい」

大蔵は、んで含めるように卯之助を説き伏せた。


卯之助は少し落ち着きを取り戻すと、穏やかな口調でそれを否定した。

「そりゃあ、先生の思い過ごしです。現に水戸では我々の動きに呼応こおうして、斉昭なりあき腹心(ふくしん)藤田東湖ふじたとうこ様以下、大勢の壮士そうしが集い、機をうかがっております」


藤田東湖というのは、後に大流行する『尊皇攘夷そんのうじょうい』という言葉を考え出した学者である。

このたった四文字の言葉が、この後独り歩きをはじめて、日本中を大混乱の渦に巻き込んだ。


「いったい、あなたにそれを吹き込んだのは誰です。海保殿の入れ知恵ですか。いや、それが誰であれ、そのような水戸藩の内情まで部外者のあなたに話すのはおかしいと思いませんか」


卯之助は応えず、尚も大蔵おおくらの眼をじっと見据えていたが、やおら席を立つときびすを返した。

「先生、残念です。私はまだしばらくは深川におります。気が変わったらいつでも訪ねてください」


荒々しく玄関を出てゆく卯之助の後姿を見ながら、大蔵おおくらは思案顔で冷めた出涸でがらしの茶を飲み下した。


「先生」

平助が心配そうに声をかけた。

大蔵おおくらは黙ってうなずくと、しばらくの間何事か考えていたが、やがて立ち上がると衣紋掛えもんかけからちりめんの羽織はおりを引っつかんだ。


「…ちょっと出かけてくる。留守を頼む」

「ええ!?稽古けいこは??」

「また今度だ。こんな大金をいつまでも此処ここに置いておくわけにもいくまい。返してくる」

大蔵おおくらは、先ほどの金子きんすふところに仕舞った。


ウソつき!」

平助は、凝ったこしらえの長刀を帯びる大蔵おおくらの姿をにらみ付けながら、ほおふくらませている。


大蔵おおくらは、玄関を出たところで、仁王立におうだちする平助を振り返り、

「帰りに日本橋できんつばを買って来てやるから」

と言い訳して、麹町こうじまちの道場を後にした。


大蔵おおくらは、「上総介兼重かずさのすけ かねしげ」などと言う高価な長刀を腰に帯びている平助の姿に、かつての自分を重ねていた

しかし、そのかん気は、むしろ弟の多聞たもんを思い起こさせる。

今年で十七になるはずだったが、長じてほとんど会う機会のない大蔵おおくらにとって、思い出されるその姿は、今の平助と同じくらいのやんちゃな少年のままだ。

彼は、半蔵門はんぞうもんの方へ道を折れながら、こんな時にあらぬ事を考えている自分が可笑おかしくなった。

この刀を差して、州崎遊郭すざきゆうかくへ向かう道が、過去の記憶を呼び起こすに違いない。


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