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新選組余話-比翼の鳥-  作者: 子父澤 緊
黒船と白旗 前編
52/76

天才

「知り合いか?」

良之助は、庭掃除にわそうじをしていた青年を何故かにらみつけながら、琴にたずねた。

「知り合いというか、まあ、そうね。ほら、こないだ富岡八幡宮に行った日。あなたと別れた後、怪しなお侍にからまれてるのを助けてもらった」

「そんな話、聞いてない」

良之介は、驚いて琴を振り返った。

「言ってないもの」

琴は無愛想ぶあいそうに答えると、男にお辞儀じぎをした。

「先日は、きちんとお礼も出来ず、申し訳ありませんでした。せめてお名前をお聞きしたかったのですが、ぐに行ってしまわれたので」

「いえいえ、お気になさらず。あの時、人ごみの中に、はぐれていた連れを見つけましてね、あわてていたもんですから。まさか、またこうしてお会い出来るとも思わなかったし」

青年は恐縮きょうしゅくするように肩をすくめて、頭を下げた。

「ここの門弟で、井上源三郎と申します」

琴はあわててお辞儀じぎを返した。

「琴といいます」

「それであの…、道場に何か御用では?」

井上が申し訳なさそうに頭を下げたまま、山南の様子を上目遣うわめづかいにうかがうと、山南は我に返ったように、用件を繰り返した。

「…ああ、そうだ!拙者、山南敬介と申します。島崎先生にご案内願いたいのです」


「どうにも、まらねえなあ」

良之介が憮然ぶぜんとして言った。


「島崎先生?あ、勝太かつたさんか。いたかなあ?すみません、なんせ忙しい人でねえ」

井上は竹箒たけぼうきを立て掛けると、道場の方へ歩き出した。


「先だって、書状にて他流試合を申し込んだのです。快い返事を頂いたので、こうして伺った次第ですが、お忙しいようなら日を改めます」

山南は、特に気分を害した様子もなく、後を追うようにして井上の背中に声をかけた。

「あいや、忙しいと申すのは、そういう意味ではなく、とかく、気忙きぜわしい性質たちの方でして」

井上は、また言い訳するように答えた。


その時、道場の中から背の高い少年がけ出して来て、井上の脇をすり抜けた。

「宗次郎、勝…島崎先生はいるかい?」

井上がすれ違いざま、器用に道着の襟首えりくびつかむと、少年は勢いで首から下だけ前へ進んで、脚で宙をかく格好かっこうになった。

「グエ!なにすんだよ!何?シマザキせんせい?」

宗次郎と呼ばれた少年は、喉首のどくびを押さえながら、それが誰の事かしばらく考えていた。

「ああ、勝太さんなら、奥で姉貴あねき旦那だんなと話してたぜ…お、美人!」

宗次郎は答え終わらない内に、琴の方を見て、目を見開いた。

「ほら。この前、深川八幡で会った女の人だよ。話したろ」

井上は例の人の良い笑顔で、宗次郎に意味あり気な目配めくばせを送って言った。

「へーえ。わたしは源さんの審美眼しんびがんてやつに、あんまり信を置いてなかったけど、見直したよ」

「こら!なにが…!」

井上は赤くなって、宗次郎をしかった。


彼らのやり取りを見て、良之助はさら不機嫌ふきげんになった。

「…マセた餓鬼ガキだな」

「子供は正直だから油断できませんね」

山南が琴の方を見て笑った。


琴は困ったような笑顔を浮かべている。


宗次郎は下駄げたのまま、玄関の上がりがまちヘリに乗ると、器用に履物はきものを後方の土間どまに飛ばして、

「呼んで来てあげるよ!」

と奥へけて行った。


「どうぞ、どうぞ。上がって下さい」

井上は宗次郎の下駄げたそろえながら、気不味きまずそうに山南たち一行を中へうながした。

道場では、あちこちがささくれた板間のうえで、十人くらいの年齢も格好かっこうもバラバラの男たちが一糸乱いっしみだれぬ動きで組太刀くみたちを行っていた。


天然理心流てんねんりしんりゅうは、山南敬介の北辰一刀流ほくしんいっとうりゅうや、鈴木大蔵すずきおおくら神道無念流しんとうむねんりゅうなど、この時代の主流となった近代剣術とは本質的に異なり、柔術や棒術ぼうじゅつを含む所謂いわゆる総合武術として体系化された流派で、むしろ古武術こぶじゅつの性質を色濃くとどめると言われる。


そこには町道場の和気わきあいあいとした雰囲気の中にも、格闘術の持つ武骨ぶこつで荒々しい原初的げんしょてきな魅力が、確かに息づいていた。


気合きあいが乗っている」

中沢良之助は感心して男たちに見入った。

「しかし、彼らは…」

山南がまゆをひそめた。


井上源三郎は彼の言わんとすることを察して、話を引き取った。

「ええ。此処ここにいる者のほとんどは、農家や商家の次男、三男です。なにせ、今や、お国は危急存亡ききゅうそんぼうおりですからねえ。ただ、我々の地元多摩では、身分を問わず、こうして武芸を学ぶ者が昔から少なくありません」

「井上さんも、例の黒船騒くろふねさわぎで、お上にばかりは任せておれぬと腰を上げたクチですか」

良之助は、この試衛館しえいかん道場のいけ好かない門人にも探りを入れてみた。


「いえいえ、あたしは…。いずれ百姓ひゃくしょうを継ぐことになるでしょう。これをやってるのは…」

井上はそう言って剣を振る仕草しぐさをすると、

「好きだからというのが一番の理由ですが、うちは代々八王寺千人同心はちおうじせんにんどうしんの家系で、つまり、半士半農はんしはんのうってやつでして、いやおうもなかったんですよ」

貴公きこうのように、普通に暮らしていく事の難しさを知る人は少ない。ことに我々の様な若輩じゃくはいは。私も脱藩だっぱんしてからそれに気付いた馬鹿者ばかものです」

山南は、少し悲しそうな顔で微笑ほほえんだ。

「いやそんな。あたしは名の通り、嫡男ちゃくなんじゃありませんしね、是非ぜひもないんですよ」

井上源三郎は頭をいた。


「しかし、こころざしを持つ事も悪くはないでしょう?多摩の気風きふうというのは気持ちが良いじゃないですか。彼らには日の本を守ろうと言う気概きがいがある」

良之助は稽古けいこの様子を見ながら、井上の答えにあてこすった。


「中沢君。サムライは何百年も腰の刀に物を言わせて威張いばってきた。今更いまさら外敵が攻めてきたといって、彼らを矢面やおもてに立たせたのでは筋が通るまい」

珍しく山南が厳しい口調で言った。

良之助は、彼が政治について意見らしきものを述べたのを初めて耳にして少し驚いた。


そこへ、宗次郎が駆け戻ってきて井上に告げた。

「すぐ行くから稽古けいこでも見て待っててもらえってさ」

稽古けいこ中に、師範しはんがいったい何の話をしてるんだい?」

古株ふるかぶらしい井上源三郎は、あきれ顔で不平を漏らした。


「よおし。じゃあ、ちょっと張り切って、いいとこ見せちゃうかなあ。ねえ、源さん!」

宗次郎が井上の肩をぽんと叩く。

「なんだよ?」

稽古けいこ稽古けいこ。お客さん方、勝太さんはもうすぐ来ますから。いつまでも組み太刀をながめてても退屈でしょう?天然理心流てんねんりしんりゅうの立合い稽古げいこをご覧いれます」

「おい、道場は今、皆が使ってるだろ?」

「そと、そと!」

宗次郎は、井上の顔を見て、庭先のほうへあごをしゃくった。


「ふう…いやな余興よきょうだねえ」

井上は、渋々庭に出て行った。


山南と良之助は顔を見合わせた。

「驚いたな。この家の子かと思っていたが、彼も弟子でしか」

「面白そうじゃないですか」

良之助は持ち前の野次馬根性で、真っ先に二人の後を追う。

山南と琴もそれに倣った。


山茶花さざんかの良い香りが鼻をつく。


まだ表情にあどけなさの残る少年は、十二、三歳にしか見えないが、上背うわぜいもあって、竹刀しないを構える様は大人に見劣りしなかった。


対する井上は、これも格好かっこうに似合わず、平正眼ひらせいがんはなかなか様になっている。

しかし、ふと構えを解くと、

「待て待て、防具は?」

と片手を上げた。


宗次郎はその下を向いた剣先にちょんと合わせると、

「生っちょろい事、言うなよ!」

と叫んで振りかぶった。

振り下ろされた竹刀しないをとっさに受け止めると、井上は飛びのいて構え直した。

「無茶苦茶だな」


「あのガキ、筋がいい」

良之助はその剣筋けんすじを見て驚いた。

対峙たいじする井上の目つきが変わった。

気合を発して軸足じくあしを前に出す。

同時に、宗次郎がその間合いを一気に詰めて、突きを放った。

カチッと竹刀しないがぶつかり合う音がする。

次の瞬間、井上源三郎はもんどり打って倒れた。


良之助には何が起こったのか分らなかった。

気がつくと、宗次郎はすでに元の位置まで下がっている。

山南と琴は一瞬目を見合わせた。


その俊敏しゅんびんな動き、しなやかな肢体したい、そして少年の浅黒い肌は、二人に昨日見た黒猫を思い起こさせた。


美しく、無邪気むじゃきで、残酷ざんこくけもの


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