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新選組余話-比翼の鳥-  作者: 子父澤 緊
黒船と白旗 前編
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密談

「その話、信用していいのだろうな」

洲崎界隈すざきかいわい揚屋あげやへ出入りする客としては、おおよそ似つかわしくない西陣にしじん羽二重はぶたえを着た男は、不機嫌ふきげんあらわに言った。


しかしまた、その容貌ようぼうには、高価な衣装や洗練せんれんされた居振いふいでは、到底とうてい隠し仰せない下卑げびた雰囲気のようなものが、まとわりついている。


酌をする花魁おいらんは、まるで汚いものでも見るような表情を隠そうとしなかったが、男は気づかない。


鵜殿長鋭うどのちょうえい様なら、みゃくありです。不本意なお役目に、歯噛はがみされておるとか…」

差し向かいに座る清河八郎が、静かに口を開いた。


「いずれにせよ、これ以上の成果を望むには、海保何某かいほなにがしとかいう旗本はたもとの名前では役不足やくぶそくだ」

「お言葉ですが、剣の道をこころざす者にとっちゃあ、海保殿の名は相応そうおうの意味を持つはずですがねえ」

剣豪けんごうなどと言うカビの生えた肩書に釣られるのは、精々安っぽい浪士風情ろうしふぜいだ。所詮しょせん大声で刀を振り回すだけが取り柄の烏合うごうしゅう。目付けを取り込むことが出来れば…」

清河は、男が酔いに任せて花魁おいらんの前で口を滑らさないよう、口の前で人差し指を立てて見せた。


男は白くむくんだ指先で、さかずきを眼前にもてあそびながら唇をめた。

「ちっ!不味マズい。どこの酒だ?」


清河八郎は、その赤ら顔を一瞥いちべつしてから、ひょいとつまみあげた徳利とっくりに眼を移した。

「さぁて…」

花魁おいらんは、清河の目配めくばせに自分も知らないと素っ気なく首を振って見せた。


「ここの主人は常陸府中ひたちふちゅううまれで、あちらのつく酒屋ざかやのものを仕入れておりますとか」

清河に侍っていた小亀がおずおずと口を開いた。

小亀は、常連の清河にともなわれてきた正体不明のこの男が、め回すように自分のからだを見るのに、ずっと耐えていた。


常陸ひたちか。どおりで垢抜アカぬけん」

男はやや呂律ろれつの廻らない口調で、また毒づいた。

「お口に合いませんか?」

「酒は、上方かみがたに限る」

常陸府中ひたちふちゅうあたりは『関東灘かんとうなだ』なんて言われてるみたいですがねえ」

無愛想ぶあいそうなほうの花魁おいらんが口をはさんだ。

「ほう、紅梅太夫こうばいだゆうは詳しいな」

清河が眼を丸くした。

「前にうちに居た新造しんぞう志筑しづきの出で、その受け売りですよ」

関東灘かんとうなだか。なだの酒をめたこともない田舎者が、見栄みえをはりおる」

男はそう言うと、殊更ことさらに大きなげっぷで、侮蔑ぶべつを強調した。


花魁おいらんの眼に怒りの色を察した清河は、彼女が腰を浮かそうとするのをてのひらで制すると、

「まあまあ。では灘とはいきませんが、伏見の酒でも如何いかがです?」

と取り成した。

「ほう。京の下り酒か。そいつはみやびだな」

「悪いけど、ここにゃそんな上物じょうもの御座ございませんよ」

紅梅がぴしゃりと言った。


清河は刀掛台かたなかけだいの脇に置いてあった風呂敷ふろしき包みを手繰たぐり寄せて、解いて見せた。

京土産きょうみやげだ。こんなもんを揚屋あげやに持ち込むのは無粋ぶすいと承知だが、此処ここに来る前、上方かみがた巡業じゅんぎょうから帰ってきた知り合いに会ったばかりでね」

そう言うと「玉の泉」と墨書ぼくしょされた一升徳利いっしょうどっくりかたわらの女に押しやった。

「小亀、悪いが下女げじょに言って、かんを付けてもらえるかい。三つだ。あんた達も飲むだろ?」

「はい」

小亀はにっこり微笑ほほえむとふすまを開けて手を叩いた。


「清河様、さっき巡業じゅんぎょうとかおっしゃいましたが、どういった生業なりわいのお知り合い?」

先の言葉を聞きとがめた紅梅が、怪訝けげんな顔でたずねた。

もう一方の男が軽く咳払せきばらいすると、清河は余計なことを口走ったとばつの悪い顔をして、

「ま、私みたいにあちこちフラフラ出歩いてると、色々変わった知り合いも出来んのさ」

と、おどけて見せた。


紅梅は、不審ふしんげな面持おももちでかたわらの男と清河の顔を見比べてから、溜息ためいきを一つついた。

「相変わらずあんたは得体えたいが知れないねえ」

それは、気心きごころの知れた馴染なじみに対する口調だったが、この見知らぬ客への当てつけに違いなかった。


清河は紅梅の皮肉には気付かぬていを装い、本題を切り出した。

「これ以上、漫然(まんぜん)はいを重ねても詮無せんないこと。鵜殿うどの様とのお引き合わせについては、後ほど手筈てはずを考えるとして、まずは例の手紙の件、首尾しゅびをお話しさせて頂きましょうか」

「ここで?」

男の口調からは、これから此処ここで交わされる会話が、人目をはばかるたぐいのものであることが察せられた。


「あたし達は外した方がようございますか」

紅梅はまるで救われたと言わんばかりに申し出た。

「ううむ…」

男は明らかに、下心と猜疑心さいぎしんの間で逡巡しゅんじゅんしていた。

ほおの肉に押し上げられて細くなった眼が、二人の遊女のからだい回った。

紅梅はその視線を嫌悪けんおするあまり、思わず身悶みもだえしたが、一方の小亀は、全く別のことに気を取られていた。


清河の口かられた「例の手紙」という言葉は、先日大蔵(おおくら)から聞かされた話との妙な符合ふごうを感じさせた。


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