国書
鈴木大蔵は、洲崎遊郭にある茶屋の出窓に腰掛けて、ぼんやりと道行く人々を眺めていた。
散茶女郎の小亀は、大蔵が盃を空けると頃合いを見て酌をしながら、黙って傍に控えていた。
小亀にとって大蔵は馴染み客で、こうして昼間からやってきて酒を飲む時は、何かしら考え事がある時だとよく知っていた。
「大蔵様、お寒くないですか」
小亀は大蔵の邪魔をしたくなかったので声をかけるのを躊躇っていたが、開け放ったままの窓から入る冷気が身体に障るのではないかと心配になって、つい禁を破ってしまった。
「ああ、すまない。寒かったかい」
「私は平気ですけど、お酒を召し上がって、ずっとそんな処にいらしたら、お風邪をひいてしまいますよ」
大蔵はにっこり微笑むと、窓をしめて畳の上に胡坐をかいた。
「退屈な客で申し訳ない」
「いえ、私こそ、何か気の利いたお話でもできれば大蔵様の気も紛れるんでしょうけど…」
「あなたの沈黙は、思いやりがあって、いっそ心地いいよ」
可憐な芸妓は大蔵の顔を見て小首を傾げた。
それは、恋をする女の目だった。
しかし、大蔵は、懐中から何やら書簡を取り出すと、今度はそれを熱心に読み始めて、また黙り込んでしまった。
小亀は一つ溜息をつくと、燈明皿に火を灯して、窓を閉めて薄暗くなった大蔵の手元を照らした。
大蔵は難しい顔で、その短い手紙を何度も何度も読み返しては、眉根を寄せている。
小亀は最前と同じように盃に酒を注いで、その美しい横顔に見入った。
「あなたはたまにそうやって、じっとわたしの顔を見つめることがあるけど、なぜだろう」
大蔵は書簡から目を上げずにたずねた。
「す、すみません。気が散りますか」
「そうでもないが」
大蔵の目は、まだ文字を追っている。
「あの、実は昔…」
小亀は何か言いかけたが、大蔵の言葉がそれをかき消してしまった。
「ここに何が書いてあると思う」
二人の間にしばらく沈黙があって、
「なに」
と、大蔵が促した。
「いえ、大したことでは。それより、そのお手紙の話…」
「ああ。これはあのペリーが書いた手紙だそうだ」
「まぁ!」
「厳密には、それを我々の言葉に訳したもんだが。興味あるかい?」
「ええ。もう、紅梅姐さんなんかは、毎日黒船の話ばかりしています」
大蔵は小亀の目を見据えたまま、盃をあおった。
「…書簡にはこうある。昨年来、各国からの通商貿易の申し出について、幕府が国内法を盾に、これを退けていることは誠に遺憾である。『開国』は、諸国からの強要ではなく、言わば国家が本来あるべき姿であって、この天理に背くならば、我々は武力をもって幕府の間違いを糾すまでである」




