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新選組余話-比翼の鳥-  作者: 子父澤 緊
黒船と白旗 前編
36/76

覚醒

「いや、参りました」

茶碗ちゃわんの水を一気に飲み干すと、真田範之介はさばさばした表情で言った。


「実は私、天然理心流てんねんりしんりゅうもかじっておりまして」

「ほお、確か、多摩の方の流儀りゅうぎですね?」

大蔵おおくら相槌あいづちをうつ。

「ええ。少し撹乱かくらんさせてやれと思ったのですが、お恥ずかしい。我ながら姑息こそくな戦法でした」

「なるほど、最初のあれは天然理心流てんねんりしんりゅうの構えですか」

感じ入ったように何度もうなずく大蔵おおくらを見て、真田は大きな眼を細めた。

「ご存知ぞんじなかったんですか。それでいてなお、してやられるたあ、ざまぁねえ…」

「まぐれです」

大蔵おおくらも笑った。

「鈴木さんは、まさに壮士そうしだ!」


二人の周りには、いつしか杉山門下(もんか)の若者達が集まっていた。


真田は一同を見渡すと、急に真顔まがおになって、ふところから折りたたんだ書簡しょかんらしきものを取り出した。

「時に皆さん。昨今こういったものが流布るふしているのをご存知ぞんじか?」

彼はそれを広げると、皆に見えるようかかげた。

その場にいた全員が身を乗り出す。

大蔵おおくら書簡しょかんの文字を眼で追っていたが、その表情はみるみるけわしくなっていった。

「なんです。これは」

真田範之介はしたりという表情で笑みを浮かべた。

米提督べいていとく、ペリーの書簡しょかん翻訳ほんやくしたものです」



民衆にとって、260年間続いた日常、それは未来永劫みらいえいごう続くであろうと錯覚さっかくするに十分な時間だった。


しかしその変化は、はっきりと眼に見える輪郭りんかくもって、突如とつじょとして浦賀沖うらがおきに現れた。


アメリカ海軍かいぐん東インド艦隊かんたい、マシュー・ペリー提督ていとく率いる艦船かんせんサスクェハンナ、ミシシッピ、サラトガ、プリマウス。

世に言う黒船来航くろふねらいこうである。


とき浦賀奉行うらがぶぎょう戸田氏栄とだうじよし海岸防禦御用掛かいがんぼうぎょごようがかり井戸弘道いどひろみちに、アメリカ合衆国大統領ミラード・フィルモアの名代みょうだいとして接見せっけんしたペリーが突きつけたものは、

「開国」。


それは、幕府が三世紀近くの間、国是こくぜとしてかたくなに守ってきた政策を、大きくくつがえす事を意味した。


同じ年、江戸幕府第12代征夷大将軍せいいたいしょうぐん徳川家慶とくがわいえよし逝去せいきょ

まさしく国家危急こっかききゅうの折、将軍職、すなわち日本という国家は、その実子じっし家定いえさだに引き継がれた。


混乱の中、年は明けて、幕府は、なしくずしに日米和親条約にちべいわしんじょうやく締結ていけつする。


世情せじょうはまさに騒然そうぜんとしていた。


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