鳥
鈴木琴は、洲崎の桟橋に腰掛け、凪いだ海を眺めていた。
早朝漁に出た船が、もう戻って来るのが見える。
「娘さん、よく会うね」
後ろから、聞き覚えのある声がした。
振り返ると、清河正明が微笑んでいる。
「お台場、工事は進んでるのかなぁ。やっぱりここからじゃわからんな」
額に手を翳して沖を見る清河は、どこか少し感じが変わっていた。
やはり、琴の返事を期待するでもなく、一人話し続ける。
「最近、鼻をへし折られてね」
「そうですか」
琴は答えた。
清河は、キセルを一服して、煙をひとつ吐いた。
「うん。ま、花街で腕を斬りおとされた奴がいるって騒いでたから、鼻くらいどってことないんだが」
琴は、清河の顔を見て少し笑った。
「ほら。やっぱり、娘さんは美人になるだろうな」
「え」
琴はめずらしく赤面して、顔を背けた。
「ここから、品川に並ぶ砲台が見える頃、娘さんは美しく成長していて、そして、この国はきっと天地が引っくり返るような大騒ぎになってる」
清河はまたキセルをくわえて、品川の方を見た。
「その時、私は…」
清河は少し考えた。
「私はともかく、せめて君達が、あのせまい鳥篭から自由に出られる世の中になればいいな」
二人はしばらく黙って海を眺めていたが、やがて琴が立ち上がった。
「もういかないと」
琴は着物の砂を払うと、清河の前に立った。
「今だって、鳥篭に鍵が掛かってるわけじゃないわ」
清河の顔に、笑顔が拡がっていく。
「やっぱり、君は有望だよ」
そして、天に向かって煙を吹かした。
第壱話 完




