闇
大蔵と繁之介は、川べりの茂みに潜む男達を、更にその後ろから眺めていた。
万田屋という商店の影が、月明りから二人の姿を隠している。
二人は、嗣次達のすぐ後から、侠客らしからぬ格好の男が笹川一家を出るのを目撃していた。
大蔵は迷わずその男の後を追うことに決めた。
「そんな事をしてるうちに、下村を見失うかもしれない」
繁之介はそう反対したが、大蔵は聞き入れなかった。
「だってあれ、さっき入って行ったヤクザだよ。それが、裏口から坊主の装束で出てくるなんて、これから何かある証拠じゃないか」
男は橋の袂で、同じく虚無僧に身をやつした二人組みと合流した。
そして、じっと何かを待っている。
三人の虚無僧が茂みに身を潜める姿は、異様な光景だった。
「中沢はもう当てにできない」
境屋与助が怒気を含んだ声で言った。
「金を受け取った以上、あの人が義理を欠くような事をするとは思えねえが」
三浦屋孫次郎が諦めきれないように呟く。
「新参のお前に何がわかる。利根川ん時も、政吉さんがいなきゃ、あいつは死んでた」
「もうよせ。ここまで来たら、俺達で何とかするしかねえ」
成田甚蔵が割って入った。
「与助さん、あんた、震えてんのか?」
孫次郎が、与助の手元を見て意地悪く笑った。
与助は天蓋を跳ね上げると、孫次郎に掴みかかろうとしたが、甚蔵の鋭い声がそれを制した。
「きたっ!」
やがて、ビヤク橋が嗣次の視界に入った。
親柱の前に立つ榎が、みるみる大きくなっていく。
嗣次は、意を決して繁蔵の横に並んだ。
「親分を先頭切って歩かせたんじゃ、俺達の立場がねえ」
そういう直接的な口実しか思いつかなかった自分に、歯痒い顔をしている。
「先生、さっきまで持ってた鉄扇はどうした?」
肩を並べて歩く嗣次を横目で見た繁蔵がたずねた。
その表情からは、何も読み取れない。
「ああ、あれな、賭場に忘れてきたかもしれん」
「いけねえな。取りに戻んなくていいのかい?」
今まさに、橋に足を掛けようとした時、繁蔵は立ち止まった。
嗣次は、慌てて懐中に手をやり、
「いや、懐に入れてるのを忘れてたようだ」
そう言って、先に歩き始めた。
「ははは、駄目だね。しっかり手に持ってな」
平間は、二人の会話を聞きながら、若衆の常の斜め後ろに廻った。
「こいつを持ってると、いざって時に抜けないからな」
嗣次は、間合いを計りながら答えた。
二人は、橋の中ほどに差し掛かろうとしていた。
平間は、嗣次のいう「仲間」の姿を探した。
「いざって時ってのは、例えばどんな時だい?」
その声が、妙にくぐもって響く。
「どんなって、そりゃ…」
繁蔵は射抜くような視線で、嗣次を見ていた。
嗣次は思わず目を逸らした。
その視界の片隅に、三人の虚無僧が入った。
その時、平間も後ろから近づく足音に気付いた。
嗣次はそれを気取られぬよう、視線を戻した。
その先には、さっきとは別人のような繁蔵の残忍な笑顔があった。
気取られた。
しかしそれは、嗣次の心が、そう見せただけかもしれない。
嗣次は刀の柄に手を掛けた。
そして、殆ど同じ瞬間、抜き身を構えた一人の虚無僧が、繁蔵に向かって奇声を発した。




