置屋
琴と中沢孫右衛門は「岩鶴」の土間に立っていた。
二人は浜辺で馬を捨てると、街を迂回してここまでたどり着いた。
店に残っている娼妓達は寝静まっている。
表戸は固く閉ざされ、小さな行灯だけが、二人と「岩鶴」の女将を照らしていた。
「また厄介ごとを持ち込みやがって、いい迷惑だよ」
女将はいつも以上に不機嫌な顔で、琴を睨んでいた。
しかし中沢は、その言葉が自分に向けられていることを知っていた。
「申し訳ない。しかし、おばさんがこの娘をよこしたんだろ?」
二人の会話は、明らかに旧知の間柄でなされるそれだった。
「あたしが?そんな訳ないだろ。あんたが死のうが生きようが、知ったこっちゃないよ」
中沢は、琴を見た。
うつむいたその姿は、いたいけな少女が母親に叱られているようにしか見えない。
「じゃあ、君はなぜあそこにいた?」
琴は何も答えなかった。
「水揚げも済んでない新造が、遊郭で刃傷沙汰なんて話、聞いたこと無いね!しかも、よりによって、あの近江屋に手を出すなんて!あいつがお上にあることないこと喋ったら、うちの店にまで累が及ぶってこと、あんた、分かってんの!」
女将の怒りの矛先は、琴に向かった。
「近江屋はあの歳だ。助かるまい」
女将を安心させるために言ったつもりが、琴の肩が一瞬震えたのを見て、中沢は後悔した。
「…いや、仮に助かったとしても、何も言えないだろう。そんなことをすれば自分の首を絞めることになるからな」
「とにかく、朝になったらこの娘を連れてとっとと出て行きな」
「女将さん」
琴は泣きそうな声で女将にすがった。
女将は振り返りもせずに、奥に引っ込んでしまった。
二人が薄暗い玄関に立ち尽くしていると、紅梅が目を瞬かせながら二階から降りてきた。
「うるさいなぁ。目が覚めちゃったじゃない」
「姐さん」
琴は潤んだ目で紅梅を見つめた。
「あんた、いなくなっちゃうんだね」
紅梅はその視線をかわすと、一つ欠伸をした。
「わたし、」
「ま、良かったじゃない。あたしもそうだけど、みんなこっから出たくても出られないんだしさ。誰だか知んないけど、その無愛想な旦那に可愛がってもらいな」
中沢は二人の様子をじっと見ていたが、やがて紅梅に深々と頭を下げると、
「しかと承りました」
と誓った。
「そこの納戸に布団があるからさ。さっさと寝れば?」
紅梅はそういい残すと、また二階へ上がって行った。




