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第六話 王子様はキスがしたいそうです

 ミケーレは、私の両肩を両手で強くつかんだ。私の目をじっと見てくる。私は困った。多分、彼はキスをしたいのだろう。けれどそういうことは、まだ早いのではないか?

「ミケーレ君、あなたはまだ十五才だし」

「ソフィア、目をつぶってくれ!」

 彼は真っ赤な顔で命令する。

「そういうことは、もっと大人になってからだよ」

 私は年上らしく教えさとした。ミケーレはむっとする。

「リカルド先輩から、『ソフィアは煮え切らない態度の逃げ上手。強引にがんがんと押していけ』と言われた」

 私は、ため息をついた。リカルドは余計なことを言う。ここは、ミケーレの実家の男爵家だ。この部屋は、彼が十才まで暮らしていた自室らしい。自室で気が大きくなったのか、彼は口づけをしようとしているのだ。

 ミケーレは、ぐいと顔を近づけてきた。私は思わず腕を突っ張って逃げる。まだキスされていないのに、胸がどきどきと鳴る。彼は私を追いかけて、私の背中に手を回して抱き寄せた。

「ちょっと待って」

 彼の力が強くて、結構、怖い。私はリカルドと、うその恋人ごっこしかしていなかった。よって、そういったことには不慣れだ。前世でも私はただのがり勉で、彼氏はいなかった。がり勉のおかげで、いい大学に入学できたが、そこでもやはり恋人はできなかった。

 私は完全にびびって、両目をぎゅっと閉じた。期待と恐れで、心臓の音がうるさい。ミケーレが私のあごに手をやって、キスしようとする。

 そのとき、こんこんと部屋のドアがノックされた。ミケーレの体が、びくっと震える。私は両目をぱっちりと開けた。私とミケーレが見守る中、扉がゆっくりと開いていく。

「ミケーレ、ソフィアさん。昼食の準備ができましたよ」

 にこにこ笑顔で、ミケーレのお母さんが入ってきた。ミケーレと同じ、きれいな金髪をしている。彼女は、抱き合ったまま硬直している私とミケーレを見て、目を丸くした。

「あら、まぁ! おじゃまだったかしら?」

 おほほほほと笑って、部屋から立ち去る。ミケーレは私を離して、へなへなと崩れ落ちた。彼はショックを受けている。

「お母さんに見られた。……死にたい」

 そんな理由で死ななくてもいいではないか。ところでゲーム内でミケーレは、死にやすいキャラだった。世界をほろぼすやみのドラゴンと戦うとき、ミケーレ王子は常に主人公のサラをかばうのだ。サラ以外のキャラもかばう。

 ミケーレはクールビューティーだが、とても情にあつい人なのだろう。でもその結果、彼のHPはあっという間に減り、彼に回復魔法をかけざるを得ない。もしくは回復アイテムを使わないと、ミケーレはたやすく死亡する。

 閑話休題。とにかく、私とミケーレの交際は順調だった。ミケーレは私と付き合うことになってすぐに、父である国王に相談した。国王の返答は、こうだった。

「王子ミケーレと平民ソフィアの交際は黙認する。ただし婚約や結婚となると、話は別だ」

 ミケーレが私と婚約か結婚をしたい場合、彼は王位継承権を放棄しなければならない。ミケーレは王子ではなくなる。ただの男爵家の子息になってから、平民の私と婚約か結婚をするのだ。

 ミケーレが継承権を手放すことを、私は気に病んだ。しかしミケーレと彼の母、――ヴィオラは気にしていなかった。

「俺は王位に興味がない。次の国王となるのは、レオナルド王太子殿下だ」

 ミケーレは、はっきりと言う。レオナルドはミケーレの異母兄で、すでに婚姻して、ふたりの子どもがいる。

「それに、ミケーレの王位継承順位は低いの。だから継承権はあってもなくても同じようなもの。ソフィアさんが気にする必要はないわ」

 ヴィオラは優しく笑った。実は彼女は、国王の妻ではない。四人いる愛妾のうちのひとりだ。今は、国王は彼女のもとへ通っていないという。ヴィオラは城で暮らしたことはない。今、息子のミケーレのみが城にいることを、彼女はあまり喜んでいなかった。

 そんなわけで、ミケーレは今、継承権の放棄に向けて準備を進めている。今月の六月に卒業・進級パーティーが行われた後、コルティーナ魔法学校は長期休暇に入る。

 休暇になれば、ミケーレは王城から、実家の男爵家に引っ越す。今、ミケーレと私が男爵家にいるのも、その引っ越しの準備のためだ。

「城から出ていくときに、継承権放棄の書類にサインをする。書類には、国王陛下と王太子殿下も署名を入れてくださる。これで俺は王子ではなくなる」

 ミケーレはうれしそうに、そして照れくさそうに笑った。

「婚約しよう、ソフィア。黙認されている交際なんて不確かなものは、俺は嫌だ」

 私は、彼の気持ちがありがたかった。黙認されている交際でも構わなかったが、本音を言えば不安だったから。ミケーレが、婚約という確かなものをくれてうれしかった。

 キス直前を見られるというハプニングはあったものの、私とミケーレとヴィオラは、食堂のテーブルで和気あいあいと昼食を取った。おいしくて、暖かかった。

 ミケーレの家は貴族とはいえ、そこまで裕福ではない。メイドもひとりいるだけで、彼女が家事のいっさいを取り仕切っている。ミケーレにとって、第二の母親のような人だ。

 今日の昼食であるアンチョビのパスタも、彼女が用意したものだ。アンチョビとは、簡単に言えばイワシの油漬けだ。この国は南北に長い半島で、東西南を海に囲まれている。

「もう来週には、ソフィアさんは魔法学校を卒業するのですね」

 ヴィオラが私に話しかける。

「はい。以前にもお話したとおり、卒業後は王立魔法薬研究所に勤める予定です」

 研究所は、魔法学校の隣にある。さらに魔法学校の卒業生が多く働いている。なので私の生活は、学校を卒業してもあまり変わらないだろう。

「研究所に勤務するということは、ソフィアさんはとても優秀なのですね。毎年、主席の生徒が研究所へ行くと、昨日、知り合いから聞きました」

 ヴィオラは私をほめてくれる。ミケーレもパスタをほおばりつつ、うんうんとうなずいていた。しかし私は、彼女の言葉を微妙に訂正した。

「そういう年もありますが、毎年、主席卒業生が研究所へ就職するわけではありません。それに今年の主席は、私のクラスメイトで友人でもあるリカルドです」

 私とリカルドは二年生のときから、トップの座を奪いあっていた。実は一年生のときは、ふたりとも成績は下の方だったのだ。二年生になり、まずリカルドの魔法がぐんと上達し、それに引きずられるようにして私も伸びた。

 私とリカルドは、たがいに張り合いつつ魔法の腕を磨いた。主席卒業を逃したのはくやしいが、相手がリカルドでは仕方がないとも思う。彼は、世にもまれな魔法剣の使い手だ。魔法剣が扱える生徒は、五年にひとり、下手をすれば十年にひとりしか現れない。

「リカルド先輩と言えば、マルティナと、――あ、マルティナというのは、俺のクラスメイトの一年生。――リカルド先輩はマルティナと卒業・進級パーティーに出ると聞いたけれど」

 ミケーレが、母親に対する説明をはさみながら、私にたずねてくる。それから彼はパスタを食べ終えた。食卓の上に置かれている生クリームたっぷりのマリトッツォに手を伸ばす。恋人になってから知ったが、彼はよく食べる。

「それが、リカルドがマルティナちゃんに『一緒にダンスを踊ってほしい』と頼まれた後で」

 私は苦笑しつつ教えた。別の二年生の女子が、「二番目でいいから踊ってほしい」と泣きついてきたのだ。リカルドは「先約があるから」と断ろうとしたが、断り切れなかった。

 さらにその翌日には、別の三年生の女子がやってきて、「三番目でいいから。思い出がほしいから」とすがりついてきた。これもリカルドは断り切れなかった。

「だから彼は、三人の女の子たちと踊ることになっているの」

 断り切れなかったリカルドに、私はあきれている。いや、そういう優しいところは、彼の美点だが。意外に押しに弱い男だ。

「さすがリカルド先輩。三人の女性と踊るなんて、魔法学校の伝説に残る存在だ」

 ミケーレはマリトッツォを食べながら、妙に感動している。もともと彼は、初対面のときからリカルドにあこがれていた。ただ私は、この調子では四年生の女子もやってきて、リカルドは全学年の女子ひとりずつと踊るはめになるのでは、と心配もしている。

 今でさえ学校一のプレイボーイと言われ、周囲からうらやましがられつつ、あきれられてもいるのに。

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