第27話 闇夜の襲撃
大西洋を単独で行く大型船がいた。それは民間の大型客船である。しかし、戦時下である現在、その船はイギリス海軍に借り上げられ、北アメリカとイギリス本土を結ぶ大西洋間の輸送を担う戦力の一つとして活動していた。この客船には大した武装も積んでいないし、物資の搭載量は本職の輸送船や貨物船に劣る。だが、それでもこの手の客船には強みがあった。それは他の艦船よりも圧倒的に速い巡航速度だ。経済性と航海時間の短縮を狙って作られた大西洋航路用の客船が持つ特色そのものである。その足の速さは大西洋に潜んで輸送船団を狙うUボートを軽々と置き去りにし、敵機にさえ遭遇しなければ比較的安全に輸送を行う事のできる優れた戦力であった。もっとも、その速い巡航速度によって他の護衛艦艇と航行するのも一苦労なのが玉に瑕である。なにしろ25ノット以上の速力で大西洋を駆け抜けるのだ。
この船には太平洋方面各地から集まった義勇兵を乗せている。更に貨物室にはある機体が分解されて積み込まれていた。それは日本から新たに送り込まれた最新鋭機であった。
第二七話 闇夜の襲撃
夕暮れの中、第700中隊は出撃準備を始めていた。攻撃隊の護衛部隊として出撃する九七戦は九機、三機編隊の小隊が三つという編成である。更に三機、もう一個小隊も飛び上がる。しかし、この隊は攻撃隊には同行しない。攻撃隊の帰路を守る為、海峡の中間点で哨戒を行うのである。出撃する九七戦は増槽を抱えて準備を整える。
一方、滑走路では照明弾と爆弾を抱えたソードフィッシュが次々と離陸していく。昔ながらの複葉機である彼らはスピードがとても遅い。よって、先に飛んで目標に到達するタイミングを合わせる。これは事前の練習通りである。そして、九七戦のパイロット達はそれを見送りながら軽めの夕食を腹に流し込む。もう暫くすれば彼らも同じように飛び上がるのである。整備員は機体の暖機運転と電装系の確認に走り回り、担当の機に異常が無いかを確かめていく。
そして、食事とブリーフィングを終えた搭乗員達は次々と愛機へと駆け出していく。エンジンは暖機運転で始動済。パイロットはコクピットに飛び込むと動翼や電装系の動作を一通り確認、異常のない事を確かめる。異常が無い事を確かめると、整備員に車止めを外す指示を出す。そして、機体を滑走路まで移動させていく。日はもうすぐ完全に沈みそうだ、辺りは薄暗い。滑走路脇にランタンがいくつか並べられていく。この明りが滑走路の位置を示しているのである。指揮官である中隊長機から無線が飛び込む。さあ、出撃だ。九機全機が次々にスロットルを押し込んだ。速度がぐんぐん上がる。ある程度速度が付くと、機体がふわりと浮き上がる。そして、各機が日の沈んだばかりの薄暗い空に飛んで行く。
飛び上がった九機は編隊灯を頼りに空中で合流する。そして、ホーンチャーチの上空を一回りすると、南へと機首を向けた。この先の空には攻撃隊のソードフィッシュが先行して飛んでいる。このまま飛べば、予定通りに同タイミングで目標であるセーヌ川河口の上空に到達するはずである。地上の管制もレーダーを見て、こちらに編隊の位置や海峡上空の情報を送ってくる。敵側に感づかれないように内容を暗号で伝えながらである。よって、参加する隊員達は今夜限りでしか使用しない暗号まで覚える羽目になったのであった。
離陸してしばらく飛ぶ。編隊は海峡上空を飛んでいた。眼下は夜の海であり、真っ暗だ。時折、波が月明りを反射して光る程度である。よって、現在位置を把握できるような目印は何もない。頼りになるのは時計と羅針儀のみ。既に編隊灯の電源も切っている。月明かりでうっすら浮き出る姿を頼りに僚機と編隊を組む。一歩間違えれば空中接触を起こしかねない、距離は重要である。編隊長である中隊長機から無線が飛ぶ。敵からの発見を避ける為に高度を下げるという合図である。高度を400フィートまで落とす。高度計をしっかり見る、さもないと高度を下げすぎて海面か波に突っ込む事になるのである。編隊間の無線はそれ以降完全に封鎖となる。次に無線を使用するのは目標直前で高度を上げる時だ。
ホーンチャーチから目標地点まで九七戦の巡航速度ではおおよそ一時間程度で到着する。もうそろそろ時間だろう、そう編隊各機のパイロット達が考えた時である。中隊長から合図の無線が飛び込んだ。編隊各機が一斉に高度を上げる。高度1800フィートを目指して上昇。眼下には真っ暗な陸地、灯火管制されているのか明かりはまばらに灯る程度だ。河口の水面は月明りを反射してきらりと光る。狙う先はセーヌ川河口と言っても大きな港湾がある都市ル・アーヴルではなく、その対岸側にある小さな港である。事前の偵察情報では港の周囲や岸壁に揚陸艇と思しき小型艇が分散して停泊しているはずだ。目視で確認する限り、上空に敵影無し。英本土のレーダーサイトも大陸沿岸上空に敵影を認めていない。下もまだ静かだ、こちらに気づいていないのか。
「こちらアラワシ。目標上空到達、エンジェル18にて待機」
「了解、タイタンはもうすぐ着く。洋上上空、手筈通りに上に向けてライトをつけるから頼むぞ」
「了解だ、位置を確認したらそちらの直掩につく」
ソードフィッシュから無線が飛び込んだ。無線封鎖も解除、攻撃開始に備える。そして、ソードフィッシュ銃座から灯されたライトの明かりが空中で3度光った。あそこにソードフィッシュの編隊がいるのだ。こうして、夜間空中集合を成功させる為のアイデアはうまくいった。九七戦の編隊はそのままソードフィッシュの後方上空につく。何かあればすぐに飛び込める位置である。
「先導が照明弾を投下した後に突っ込む。賑やかになるから備えておけよ!」
「了解、幸運を」
地上でも数か所で明かりが灯る。どうやらエンジンの爆音で騒動に気が付いたらしい。それとともにまばゆい光が夜空と地上を照らす。先導するソードフィッシュから照明弾が投下されたのである。パラシュートで吊るされた照明弾はゆらゆらとゆっくり落ちていく。港周辺には主目標である小型艇が多数、偵察情報通りに係留されている。そして、地上の数か所から光の筋が伸びる。地上に据えられた敵のサーチライトが上空へと向けられたのだ。彼らは自分達を探してライトの向きをあちこちに動かしている。
だが、もう遅い。ソードフィッシュは緩降下しつつ爆撃態勢に入っている。このまま各種爆弾を敵艦艇に叩きつけていくのである。そして、各々狙いをつけたソードフィッシュ各機は次々と爆弾を投下。地上と水面で次々と閃光が光り、爆発音が轟く。暗闇で具体的な戦果は不明であるが、所々で火の手が見えた。それと共に対空砲火が射撃を始めた。数は機関砲か機関銃の銃座が4つ程、小さな港で防御が手薄なのか数は明らかに少ない。そして、騒動に気が付いたらしく、河口の対岸側であるル・アーヴルの街も騒がしくなってきた様子だ。街のあちこちからサーチライトの明かりが多数、上空に伸びている。更に威嚇ついでに高射砲までちらほら打ち上げ始めた。大きな港を抱えている向こう側の防御は極めて厚いらしい。あまり近寄らない方がよさそうだ。
そして、九七戦は上空を旋回する。ソードフィッシュの攻撃が終わるまでこの小さな港の上空を抑えるのが任務である。よって、敵機がいないのであればできることは敵の目を引き付ける程度であった。そして、一人のパイロットが何かを思いついたのか無線を飛ばす。
「目立つように編隊灯でもつけるか?」
「確かに目立つが…こっちに敵弾がみんな飛んでくるぞ」
「こっちには高度もある、爆撃している連中に比べりゃまだましさ。手助けしてやろう」
「なるほど、やってみるか」
九七戦の内、数機が機体の明かりを灯す。敵に発見される可能性が大幅に増す為、戦闘中では御法度であるが…今はおとりとして飛ぶためにわざとつける。それに釣られていくつかのサーチライトがおとり役となった九七戦を追い回す。更に対空火器の向きもサーチライトに合わせて動く。そうしてできた隙を突いて、ソードフィッシュは低空を飛び回って獲物を襲撃していくのである。
「そろそろ弾切れだ。帰るぞ」
ソードフィッシュの編隊長機から無線が飛ぶ。それに対して部下が返事を返す。
「では…最後の一発、これを落としたら帰りますかね」
「外すなよ」
「任せてください。百発百中ですから」
「そりゃ自称だろう」
そのソードフィッシュは港に面した少し大きめの倉庫のような建物を狙う。狙った理由はその建物がどうにも気になったからであった。建物の周りにやたら資材や車両と思しきものが集まっている。それに、建物の側には簡単な作りだが単線の線路まである。あの建物には何かあるに違いない、パイロットはそう考えた。そして、ソードフィッシュから500ポンド爆弾が投下され、そのまま建物に突き刺さって炸裂。爆発の衝撃で屋根が吹き飛んで崩れ落ちていく。周囲ではその爆風でひっくり返る車両もあった。
「よし、命中!」
「よくやった。さあ、帰るぞ!タイタンからアラワシへ、攻撃終了。帰還する」
「了解。タイタンへ、先に行け。手筈通りだ。アラワシ各機、集合せよ。帰り支度だ!」
損害無し、全機健在。そんな中、イギリス本土の管制から無線が飛び込んだ。だが、距離があって雑音交じりだ。
「内陸部上空、座標……に不明機、レーダーで捉えた。そちらに向かっている、数と高度は不明」
「位置をもう一度頼む、雑音が混じった」
管制が再び敵の位置を知らせてくる。方角からするとパリ方面の基地から飛び上がった機体だろう。
「さあ、敵さんが来るぞ!夜間だからBf110だろうか?やりあうのは面倒だ、このまま海峡上空まで後退する」
九七戦は機首を北に向けた、イギリス海峡を目指すのだ。高度はそのままを維持。低空を飛んで帰還するソードフィッシュをかばう為である。比較的高い位置を飛ぶ九七戦に敵の注意を引き付けるのだ。なお、問題は最高速度では相手の方が速いという点である。そのうち追いつかれる可能性が大だ。はたして、相手がどこで諦めてくれるか。
「中隊長より各機へ、増槽を投棄しろ」
少しでもスピードを稼ぐ為にほぼ空になった増槽を捨てる。重量物と空気抵抗が減って機体はぐっと加速する。更に機内燃料も減っていて軽くなったせいか、機体のスピードは幾分速い。しかし、各パイロット達は背後を気にしながら飛ぶ。いつ追いつかれて機銃弾が飛んでくるか、それを恐れての事である。地上からはレーダーの情報を送ってくるものの、英本土から距離があるので精度の面で難がある。更に哨戒に残した一個小隊はソードフィッシュの護衛に向かっていてこちらには来ない。さて、どうなるか。今はひたすら水平飛行で速度を稼ぎ、イギリス本土に逃げる手しかない。だが、海峡の中間から北部まで逃げ込めば味方の夜間戦闘機が迎え撃つだろう。現に地上からも護衛を向かわせると連絡が来ていた。そんな中、無線が鳴った。
「タリホー!!来たぞ!4時方向。同高度に機影!!」
一人のパイロットが叫ぶ。月明りの反射で敵機の風防が鈍く光った瞬間をちょうど見たのである。時たま、エンジンの排気管から噴き出す炎と思しき明かりも見える。
「くそ、来たか。降下してやり過ごす!小隊ごとに分かれろ」
万一に備え、各小隊ごとに分かれて高度を下げる。相手の視界から一度消える事でこのまま振り切ろうというのである。何しろ夜間だ、一度見逃せば再度見つける事は難しい。もっとも、それはこちらも同じである。四方を見回して敵の姿を探す。しかし、発見の報告は来ない。いつ敵がこちらを先に見つけて撃ってくるか…皆が冷や汗を流す。そこに無線が飛び込む。
「目標空域に到達、敵機はどこだ?」
「味方か?こちらアラワシ、9機で飛行中。誤射に注意されたし」
「了解。となると…単機で飛んでいるやつが敵か。後は任せろ」
地上の管制が呼んだ味方の夜間戦闘機が飛んできた。レーダーを載せたブレニム夜間戦闘機型だ。餅は餅屋、この場は本職に任せて第700中隊はそのままホーンチャーチへと機首を向けた。
揚陸艇に対する夜間攻撃は損害もなく全機が無事に帰還した。しかし、夜間であった為、詳細な戦果については不明であった。その為、攻撃後の夜明け前に偵察飛行隊のスピットファイアが飛ぶ。このスピットファイアはカメラを載せた偵察型だ。そして、夜が明けると共に攻撃地点とその周囲の写真を撮影する。そして、その高速を活かして敵機の迎撃を振り切って帰還した。その写真によって、詳細な攻撃戦果が判明する。
写真には狭い港内で転覆した複数の小型艇の姿が映っていた。沈んだものもあるだろう。そして、戦果を確認する部署の人間が何かに気づいた。それは建物の破壊状況をチェックし、判定を付けていた時である。
「おい、この倉庫だが…中に例の揚陸艇が置いてあるぞ」
それは屋根が崩れ落ちた倉庫の写真であった。屋根が崩れた結果、建物の内部まで写真に写りこんでいたのである。
「何?わざわざ建物の中にこんな船を格納していたのか?いや、でも形が変だ」
「そうだな…こいつは艦首が無いのか?」
「この手前に転がっている部品が艦首では?」
「つまり、建造中?…そうか、そういう事か!揚陸艇がいつの間にか増えている理由が分かったぞ!」
そして、イギリス空軍は問題の揚陸艇がフランス国内で組み立てられ、完成した物が港に配置されていると結論付けた。これであればドイツ~フランス間の洋上をいくら探しても移動中の揚陸艇が見つからないはずだ。根拠があれば動きは早い。その結果を受け、偵察飛行隊やフランス国内に潜む諜報員が早速動く、揚陸艇を建造している場所を洗い出す為に。
急な夜間任務をなんとか無事に終えた九七戦
しかし、イギリス本土の危機はまだ続く
ということで遅くなりましたが、なんとか続きを投稿しました
どうにも勢いがなくて大苦戦しつつ、やっとこさ仕上がった感じです…
本読んでいたらBoBごろに英空軍では米国製100オクタンの燃料が供給され始めたとありましたが、そういう燃料入れた九七戦はどの程度性能上がるんでしょうかね…なんて事をちょっと考えたけど知識不足で結論がさっぱり出ない




