第26話 新たな任務
日本国内の航空産業界はイギリス相手の航空機輸出や整備請負で活気に満ち溢れていた。特にアメリカから取得した旅客機であるDC-3のライセンス製造権、これが大いに影響を与えたのだ。この機体は旅客機だけでなく、その性能と搭載量から貨物機や輸送機としても各地から需要があり、更に戦時という状況下で需要が大きく増えたのだ。これによってアメリカ本国でも生産が追い付かない状態であった。よって、日本国内にも受注が次々転がり込んできたのである。そして、アメリカからDC-3のエンジンを船便で輸送する手間を考え、日本国内で搭載するエンジンもライセンス生産する計画まで始まる程であった。一方、AT-2といった国産輸送機やライセンス生産機のL-14も並行する形で活発に生産され、更に戦時下で各種軍用機の需要もあり、国内航空産業の大型機生産能力はひっ迫していた。この不足分を補おうと各地で次々と工場が増設、新設されていた。更に異業種から航空業界に新規参入まで次々発生する程だ。また、業界の急成長ぶりから投資対象として次々と資金が投入されている事情もあった。
しかし、まさに飛ぶように航空機が売れる好調な状況に目がくらんだ者も多数いた。そんな人々はアメリカからとりあえず手頃な大型機を買い込んで、それを参考に国内で輸送機や貨物機を作り、それを航空機不足な陸海軍や英連邦の各国に売りつけようと考えたのだ。だが、資金を集めていざアメリカから機体を購入してみると、手軽に入手できた機体は性能不足や旧式等ほぼ訳ありの物が大多数であり、だいたいが得るものも少なく失敗に終わったのであった。
第二六話 新たな任務
イギリス本土周辺の戦況は徐々に変化していた。7月に入って以降、イギリス海峡上空での小競り合いが散発的に発生していたが、日が経つにつれて、その数も規模もだんだんと増えてきていたのである。その傾向から考えると、ドイツ空軍が戦力の配置や再編成によって態勢を整えてきたと考えるのが自然であった。しかし、問題はこの戦力がいつイギリス本土に全力投入されるかである。イギリス空軍はその兆候を掴もうと情報収集を続けていた。
一方、イギリス陸海軍が注視していた点は別であった。それはドイツ軍の上陸作戦である。ドイツ陸軍は戦力の再編成を終え、主だった戦力をフランス北部に展開させている。そして、フランス側各地の港湾に揚陸艇と思しき小型艇が次々と増えている点は日々の航空偵察によって確認されている。よって、この戦力増強を阻止すべく航空機や潜水艦が北海各地で昼夜哨戒しているものの、ドイツ本土から海路で送り込まれている筈であるこの揚陸艇の船団をまったく捕捉できていない。これが問題であった。そして、この状況に頭を抱えているのはイギリス海軍である。港に増えていく揚陸艇の一報を聞くたびに、自分達の哨戒網に大きな不備があるのではないかと考えだすほどであった。敵揚陸艇が自軍の哨戒網を突破して移動しているのならば問題だ。流石に相手が大型艦なら見落としはしないであろうが、魚雷艇等の各種小型艦艇が同じようにフランスへ無傷で移動しかねないからである。そうなっては自国の海上輸送網に対して大きな脅威となる。
これに対してイギリス海軍の考えた対抗策は二つであった。一つは見落としが無いように哨戒網を強化する点である。そして、もう一つはフランス各地の港湾に集積されている揚陸艇の数をなんとかして減らす事であった。敵の戦力を削ぐ事で侵攻作戦を少しでも遅らせるのである。この為にイギリス海軍と空軍は作戦を練っていた。だが、ドイツ軍が態勢を整えた現状では昼間の攻撃は危険であり、下手に攻撃機や爆撃機を突入させても大損害を被るのは目に見えていた。水上艦艇を使った襲撃だと更に難易度は上がる。残された手段は夕暮れ以降の夜間爆撃であった。
数日前の夜間空戦以降、第700と701中隊は夜間訓練と夜間の海峡哨戒任務を数度実施していた。どうも、空軍上層部はこの二個中隊を昼間戦闘のみでなく、夜間戦闘の補佐も行う事ができる戦力として使うつもりらしい。その為、昼間だけでなく夜間訓練も続けて実施していたのである。
そんな中、第700中隊に一つの命令が下った。そして、その作戦内容を見た中隊長はため息を出しながら頭を抱えた。その内容は、フランス沿岸の夜間攻撃に向かう海軍航空隊に対する護衛任務であったのだ。この中隊が本格的な夜間飛行訓練を実施してからまだ日も浅いのに、本土防空どころか敵地で味方機の護衛をしろと言うのだ。かなりの難題であり、うまくいく保証が無かった。それこそ夜間戦闘機隊が行う任務の範疇だろうと思えるが、本土防空の戦力を割く余裕がないのであろうか。よって、この何でも屋と化してきた我が中隊にお呼びがかかったのだ。例え中隊が訓練不足でも他に使用可能な戦力が無いのだろう。
この作戦での主目標はセーヌ川河口の各港に展開している揚陸艇等の小型艦艇である。そして、攻撃隊の主力は爆弾を抱えた海軍航空隊の艦上攻撃機ソードフィッシュ一個中隊。それを第700中隊の九七戦で護衛するのである。この作戦での問題は二つある。一つは自分達の索敵手段がほぼ目視のみという点。イギリス海峡沿いの地上レーダーが支援してくれるとはいえ、レーダー探知範囲圏内ギリギリである。その点でも不安が大きい。そして、いくら攻撃地点から北向きに飛べばイギリス本土に到達できるとは言っても、航法面でも不安がある。
もう一つの問題は、護衛対象のスピードがとても遅い点である、最高速度は九七戦の約半分ぐらいである。ソードフィッシュは古めかしい複葉機だ。その分、運動性と使い勝手は非常に高い。護衛の為に並んで飛ぶのは難しいかもしれない。事前にソードフィッシュの部隊と打ち合わせが必要になるだろう。そこまで一通り考えた中隊長は部下に打ち合わせの準備と連絡をするように命令を出した。
そして、九七戦の巣であるホーンチャーチにソードフィッシュ一個中隊がやって来る。三座の複葉機で固定脚、古めかしい機体である。艦載機らしく、ゆっくりと安定した飛び方をしながら滑走路に降り立った。そして、基地に展開していたスピットファイアのパイロット達はそれを指さして「おい、また基地に固定脚機が増えちまったぞ」と冗談を飛ばす。それもその筈、この基地に配備されている九七戦も固定脚だからである。そして、この基地の整備員達では普段扱うことの無い海軍機の整備はできない為、陸路で海軍の整備員等がやってきていた。そんな彼らは到着して早々にソードフィッシュを格納庫に運び込んで点検を始めている。整備の仕事は手早く、練度も高い様子であった。一方、ソードフィッシュから降り立ったパイロット達は普段近くで見る機会が無いスピットファイアや九七戦を見物し始めていた。流石に指揮官は打ち合わせを始める為にさっさと着替えて移動していたが。
そして、攻撃に参加するソードフィッシュ中隊と第700中隊による打ち合わせの結果、九七戦の攻撃隊に対する護衛方針は決定した。まず、ソードフィッシュが先行して離陸する。しばらく時間が経った後に九七戦が離陸、制空隊と攻撃隊の速度差を考慮して出撃タイミングをずらすのである。目標地点に着く前に九七戦がソードフィッシュを追い抜いて先行、攻撃前に上空を押さえたところで攻撃開始という流れである。
そして、各所との打ち合わせの結果、攻撃は二日後と決まった。だが、その前日に念の為、リハーサルとして実際に飛ぶ事となった。基地からの距離が攻撃目標とほぼ同じであるイギリス西部にあるブリストルの港を目的地とする。
そして、攻撃前日の夜間。月夜の中、ソードフィッシュがゆっくりと飛び上がる。彼らは上空で集合すると、西へと機首を向けた。そして、ある程度時間が経過した後、事前に計算したタイミングに合わせて九七戦が飛び上がって行く。真っ暗な空の中、パイロット達は僚機の排気炎と編隊灯を目印に、編隊を組む。これまでの訓練の成果か、スムーズに編隊を組む事ができた。そして、中隊長の無線を合図に九七戦は機首を西へと向ける。眼下はいつも通りの灯火管制下であり、街灯の明かりがまばらに見えるだけだ。中隊長が地上の管制に無線を飛ばし、訓練開始の連絡と航法支援の要請を出した。
「アラワシへ。エンジェル10、ベクトル270にて飛行せよ。現在、空域に異常無し」
「こちらアラワシ、了解」
「こちらタイタン、予定通り飛行中。エンジェル5」
今回の作戦に参加するソードフィッシュの飛行隊はタイタンというコールサインを使っている。位置情報のやり取りを行った九七戦は編隊灯を消す。訓練とはいえ、敵地侵入を想定した内容である。敵に発見されないように明かりを消すのである。空中接触の危険がある為、編隊の間隔を広げる。そろそろレディング上空を超えて飛行距離の半分ほど飛んだ頃だろうか。下は相変わらず真っ暗である、この様子ではソードフィッシュの編隊がどこを飛んでいるのかも見えないだろう。もっとも、彼らはまだ先を飛んでいる筈であるが。更に地形を読み取るのも一苦労だ。このように夜間では地形を細かく読むことができない。よって、現在位置を割り出すには計器と飛行時間で推定する術が主となる。しかし、これとは別にイギリス各地に設置された地上レーダーと管制による補佐があり、ある程度の支援を求めることが可能だ。その二つを組み合わせて夜間飛行の航法を行う。特に乗員が一人しかいない戦闘機では夜間飛行の航法は難易度が高い。地上の支援は不可欠だ。そうこうしている内に目的地上空にたどり着いた。上空から見る限り、大きな川とその側にある港やドッグのような地形を確認する事ができる。暗くて港の出入口にあるはずの閘門は判別できない。このブリストルは河口から離れた内陸にある港である。よって、海は更に西に位置する。
「アラワシへ、そろそろブリストル上空に達するはずだ。確認されたし」
「了解。タイタンの到着を待つ」
上空で旋回、ソードフィッシュを待つ。計算上ではすぐ来るはずだ。
「アンソニー、そろそろだが…見えるか?」
「いいえ、中隊長。まったく見当たりません」
「味方機の位置が分からないのは問題だな。帰ったら検討事項にしないといかん」
仕方がないのでソードフィッシュ隊を無線で呼び出す。
「アラワシからタイタンへ。現在位置を知らせ」
「こちらタイタン、ブリストル港上空。エンジェル3で旋回中」
「何?真下だって?おい、誰か見えたか?」
その時、一人のパイロットが月明りによる反射を見つけた。ほんの一瞬だが、間違いない。主翼が光ったのだ。
「あ、いた!2時方向のほぼ真下!!」
「あれか、薄ぼんやりだが…タイタンへ、編隊灯をつけてくれ」
「了解。頼むから本番では見落とすなよ」
そして、その無線の直後にソードフィッシュの編隊灯に明りが灯った。九七戦も編隊灯の明かりを灯して位置を知らせる。
なんとか想定通りに集合する事ができたのである。ただ、課題はあった。
「さて、どうやってソードフィッシュの位置を確認したものか」
基地に帰還した後、第700中隊の中隊長は頭を抱えていた。今回分かった課題点は合流時に互いの位置を把握できないという事だ。無線でおおよその位置を知らせる事はできるが、どこを飛んでいるのか目視で把握する事が困難なのである。そして、隣の席で紅茶を飲んでいた第701中隊の中隊長がそれを聞いて案を思いつく。
「連中は下を飛んでいるんだろ?無線で合図してから、ソードフィッシュ後席の乗員にライトを上に向かって点灯してもらえばいいんじゃないか?」
「そうか、その手があったか」
課題の解決策はすんなり決まった。
次なる任務は夜間攻撃の護衛。
九七戦に求められる任務の幅は広がっていく。
遅くなりましたが、やっと続きを投稿できました。
地図を見ながら距離のイメージを膨らませるのは大事だなあ、と思ったり。
では、次回をお楽しみに。




