第25話 月夜の空へ
中国大陸の戦闘はまだ続く。長い戦いの中、失うものは多かった。だが、得るものもあった。
それはある日の事である。日本陸軍が新しい型のBf109を鹵獲することに成功したのである。前線の陸軍地上部隊が前進していると、畑の真ん中に不時着して放置された機体を偶然発見したのだ。周囲にパイロットと思しき人物は見当たらなかったので、なんらかのトラブルで不時着し、機を捨てていったものと思われた。機体はプロペラと機体下部を破損していたものの、状態は比較的良好。直ちに日本本土に運び込まれる事となった。
この機は日本本土の航空機メーカで徹底的に整備され、飛行可能となった。そして、陸軍航空本部の飛行実験部に持ち込まれ、各種試験が行われる事となる。これによって、この機の性能と技術的特徴を知り、敵機に対する対抗策を探るのである。
第二五話 月夜の空へ
第700中隊と701中隊から混成された6機の九七戦は闇夜の中を離陸。周囲は暗く、他の機体は薄ぼんやりとしか見えない。目印になるのは僚機の編隊灯のみ、明りを見て距離を取る。これが無ければ衝突事故を起こしかねない。そして、編隊長機…第701中隊の中隊長から無線が飛んで来る。高度3000m、方位は225度。編隊各機は言われた通りに高度と機首の向きを定めた。ポーツマス上空まで飛んで戻ってくる訓練計画であった。今夜は夜間編隊飛行が目的である為、特に変わった訓練項目は無い。
空には一面の星が瞬いている。だが、眼下の街並みは灯火管制が行われており、黒々とした大地が広がるのみで明りはまばらだ。大雑把ならともかく、これでは細かい地形を読むにもあまり当てにならない様子だ。地上の管制からはレーダーでこちらの位置を把握しようと無線で問い合わせが飛んで来る。地上との連携もこの訓練飛行の肝である。しかし、こちらが夜間飛行に不慣れな為、なかなか円滑に進まない。このままではきりがないので大雑把な位置と方位を知らせて探してもらうことにする。少し待つと、こちらの位置を相手が掴んだようだ。地上の管制が機位を連絡してくる。それを聞いた編隊長機は唸りながら自分の想定していた位置との誤差を修正すべく、編隊各機に変針を命じてくる。
この編隊の中の一機、パイロットのアンソニーは下を見下ろす。昼間なら街並みや田畑が広がるだろう眼下の景色は相変わらず真っ暗であった。しかし、地上の小さな川だけが光を反射し、ちらっと光る。それが現地点の地形を読み取る貴重な判断材料であった。川沿いの地形と地図と見比べて機位を推定する。地上からの誘導があるとはいえ、これも夜間飛行に必要な技量である。慣れておかねばなるまい。そして、しばらく飛ぶと編隊はイギリス南部の港街、ポーツマス上空に到達した。そこから更に南の方角を見ると、波頭の白い反射が薄っすら見える。ここからすぐ先は洋上らしい。事前の飛行計画通りに街の上空で三度旋回する。この闇夜では他機の編隊灯を注視せねば、単なる旋回すら危険である。無線でタイミングを合わせながら用心深く旋回する。そして、基地へと戻る為、機首を北へと向けた。後は帰還するだけだ。
だが、帰り道には最大の難関が待ち構えている。そう、着陸である。
「そろそろ降りる。くれぐれも滑走路以外に突っ込むんじゃないぞ」
編隊長がそう無線を飛ばす。実際、どこが滑走路なのか見分けが付かない。平時なら照明や誘導灯が使用されるだろう。しかし、今は戦時下である。目印は滑走路両端にそれぞれ灯された小さなカンテラの光だけであった。この明りの間に降りるのだ、頼れるのは高度計と己の勘とその小さな明かりのみ。不安要素が大きい為、普段の着陸よりも慎重に降りる。機外と計器盤を交互に見て高度を下げる。黒ずんだ大地がぐんぐん近づいてくる。しかし、そこが本当に滑走路なのか見ただけでは判別が付かない。よって、この前の改造で主翼に増設させたライトを使用する。ライトによって地面が照らされる。滑走路であるのは間違いない。そして、確証を得たので降下を続ける。ずしんという感覚と共に接地、幾分か荒っぽく着陸してしまったが、着陸自体は成功した。
そして、6機全機が着陸を終え、この夜の訓練は成功裏に終わった。
前回の夜間訓練から三日後、再び夜間飛行訓練が実施された。今度は以前より訓練内容を増やす事とした。更に前の改造で増設した翼下の爆弾架に照明弾を積む。今後、いざとなればまた対地攻撃をやらされるかもしれない可能性がある。それに備えて何かを抱えて飛ぶ事に慣れておく必要もあった。今度はテムズ川河口付近間まで飛んで、そこで照明弾を投下して帰還するのである。
今夜の夜間飛行訓練組の編隊長は第700中隊の中隊長であった。また、前回より機数も増えており、合計で9機である。今度も真っ暗闇の滑走路から離陸、テムズ川河口を目指して機首を向ける。編隊は僚機の編隊灯を見て安全な間隔を取る。眼下のロンドンは平時ならまばゆい街の明かりで素晴らしい夜景であろうが、今は戦時下である。明かりはまばらだ、とても大都市とは思えないほどに。そして、月明りに反射されて光るテムズ川を目印に河口を目指す。地上の管制からも位置情報が送られてくる。一度経験しただけはあり、今回はスムーズだ。それを聞いて誤差を修正しながら飛ぶ。まもなく河口だ、海が見えてきた。海面には月明りを反射して波が白く光る。このまま洋上に出てから照明弾を投下する予定だ。すると、地上の管制が急報を飛ばしてきた。
「テムズ川河口付近に不明機1機、レーダーが捉えた」
「おっと、お客さんか?この辺りのどこかに飛んでいると」
無線ではテムズ川付近に不明機がいると言っている。編隊長は不明機のいる具体的な方向を確認する。すると、すぐに返事が返ってくる。
「不明機はそちらからベクトル150、エンジェル3付近にいると思われる。そちらに夜間戦闘の経験は無いと聞いたが…」
「ああ、経験無しだ。まあ、その不明機が何者か探るぐらいはいいだろう?」
「分かった。付近の夜間戦闘機を向かわせる。無茶はするなよ」
「了解。とりあえず、こちらで不明機を探してみる」
9機の九七戦は高度1200メートルに降下。管制からの知らせでは不明機はさらに下、高度900メートル付近にいるとの事である。九七戦は一斉に編隊灯を切る、相手が敵機だった場合に備えてである。そして、各機が下を探す。だが、闇夜である為、月明りだけが頼りだ。真っ暗闇の中、敵機を探すのは容易な事ではない。じっと目を凝らす。すると、編隊の中の一機から無線が飛んだ。
「2時方向下方、何か飛んでいるように見える」
「どれ?あれか、フロート付いているように見えるから多分水上機だと思うが…敵か味方か分からんな」
「編隊長、照明弾を落としてみますか?」
「なるほど、その手があったか。アンソニー、あいつに近づいて照明弾を落とせ」
「了解」
アンソニー機が不明機の上空に近づく。そして、翼下の照明弾を投下する。闇夜の中、眩い光がパッと輝いた。そして、不明機の機影が浮かび上がった。それはドイツ軍のマークを付けたHe115…敵機である。その機体は真っ黒に塗られている、夜間作戦専用なのだろうか。
「敵機だ!」
「どうします?」
「決まっている、逃がすな!アンソニー、もう一発投下だ!…敵機発見!繰り返す、敵機発見!!」
続けてもう一発の照明弾が投下され、闇夜を照らす。He115は発見された事を悟り、搭載していた物を捨てて逃げ出した。恐らく機雷であろう。だが、もう遅い。絶好の位置を確保していた九七戦は即座に上空から襲い掛かる。He115も身を護るために旋回機銃を撃つ。しかし、数が少ない事から大した効果もない。たちまち2機の九七戦が敵機のエンジン付近に7.7mm機銃弾を叩き込む。そして、機銃弾は敵機の主翼に突き刺さる。すると、右エンジンから火の手が上がった。左エンジンからも煙が吹き出ているらしい。別の九七戦も逃がすまいと照明弾を落とす。He115はそれでも逃げようと高度を下げる。海面ギリギリまで降下するつもりのようだ。しかし、右エンジンを失った為にスピードは大きく低下、とても逃げられそうにない。そこに味方の夜間戦闘機から無線が飛び込んだ。
「なんだ、もう始まっているのか。そこの味方機、問題の敵機は?」
「機種はHe115、右エンジンを潰して海面に追い込んだ」
「支援は必要か?」
「いや、大丈夫。このままこちらで落とせそうだ」
「了解。こちらはエンジェル10で飛行、周囲を警戒する。誤射するなよ」
「了解、頼んだ」
夜間戦闘機がやってきたものの、敵機は既に虫の息である。後は九七戦に任せて哨戒飛行を始めたらしい。そして、九七戦は任されたと言わんばかりに照明弾を更に投下、敵機の姿をしっかり確かめると、とどめの一撃をHe115に叩き込む。He115は残った左エンジンからも火を噴いた。そして、海面に滑り込む…不時着水だ。He115の乗員は海面に救命ボートを投げ込んで、機体から飛び降りていく。
「敵機撃墜、乗員は海面に脱出した」
「了解、よくやった。哨戒機か艦艇を向かわせる。夜間初撃墜おめでとう」
「いや、偶然うまくいっただけさ。帰還したいのでコースの指示をくれ」
「了解」
そして、第700中隊と701中隊の混成編隊は敵機撃墜の戦果を抱えて帰還していく。月夜の空を飛んで。
九七戦は夜の空を飛んだ。
そして、敵の機雷敷設を阻止することに成功したのであった。
という事で続きです。
夜間飛行の描写は…やっぱり難しい。




