■13/了 そのときを恐れながら、そしてそのときを楽しみにしながら
本日は二回目の更新です。
図書館の森で行われている牧畜。その中には、鳥でも獣でもない家畜の存在があった。
今、その家畜からの収穫物が卓上にある。
見るものの食欲を掻きたてる黄金色の至福(とリエッキは思う)が、水差し形の小瓶から焼き菓子へと、とろとろと垂らされていく。
手渡された焼き菓子を、幼子が急き込んだ様子で口に運ぶ。
それから歓声をあげた。
「おいしい! あまい! はちみつ、おいしいあまい!」
「ったく、大げさだなぁ」
興奮した様子のカルメにリエッキが冷静に言う。
努めて冷静さを装って言う。
本当は彼女も歓声をあげたい気分だった。今年の蜂蜜も素晴らしかった。素晴らしく豊穣な風味と味わいだった。
それに牛頭謹製の焼き菓子、これは蜂蜜の甘みを引き立てる為に少しだけ塩気を効かせた一品で、言うなれば蜂蜜という王に仕えて支える忠実な騎士のような存在であった(とリエッキは思う。大げさな表現を少しも大げさとは感じずに)。
屈託なくはしゃぐカルメに、どうにか落ち着いた態度を保とうとするリエッキ。
二者それぞれから伝わる満悦の様子に、家政者たる牛頭が、こちらもまた満足そうな笑みを浮かべる。
図書館の森で飼育される第三の家畜とはミツバチだった。
リエッキの語るユカの物語に登場した、骨の魔法使いの森での養蜂のくだり。それを聞いた今より幼い日のカルメが「カルちゃんもやりたい!」と牛頭にねだったのがはじまりだった。
「リエッキには内緒、内緒で驚かせるの!」との幼く壮大な計画の為、当時の記憶をリエッキに尋ねることも出来ずこっそりと図書館の蔵書を紐解く羽目になった。
そうした苦労話を、リエッキは後に牛頭から聞かされていた。
最初こそ手探りではじめられた養蜂も、いまではそれなりに様になってきたらしい。図書館の森では毎年蜂蜜が収穫される。
その年ごとにできあがる蜂蜜の味が少しずつ違っているのは、蜂たちの為に育てる花を牛頭が毎年違った種類に変えているのが理由だった。
悪魔と幼子、蜂蜜は二人の家族からの、図書館の番人への心のこもった贈り物だった。
「はちみつおいしい! きらきらしておいしい! べたべたしておいしい!」
「ああもう! 服にこぼすな机に垂らすな口のまわりにくっつけるな! だいたいきらきらはともかくべたべたは全然良いもんじゃないだろ!」
とはいえ、今ではカルメもまた、リエッキに負けず劣らずの蜂蜜好きになっていた。欲張って大量にかけさせたものだから、焼き菓子から溢れた蜂蜜があちこちにくっついてべたべたになっている。
垂れた蜂蜜を拭いてやることに忙しくて、リエッキは自分が食べる暇もない。
そうした世話焼きに追われながら、リエッキは、またもあの寂しさが胸に蘇るのを感じた。
こうして面倒をみてやっていることも、いつかは思い出になってしまうのだろうか。リエッキリエッキと鬱陶しいほどまとわりつかれる今もいつかは過去になって、この子はやがて、わたしを必要としなくなってしまうのだろうか。
それが成長というものだということはわかっている。それは喜ぶべきことであるのだとは。
だけど、と彼女は思う。
だけど、たとえば鳥たちは、雛の巣立ちを寂しく感じないのだろうか。たとえば野の獣たちは、成長した我が子との別れを寂しくは感じないのだろうか。
たとえばあの精霊山羊たちは、そのときが来たらどう感じるのだろう。
「ねぇカルメ」
そのとき、牛頭がカルメに言った。
「大きくなったら、あなたはどんな風になりたいのですか?」
牛頭の口にした質問は、奇しくもカルメの成長に関することだった。
はん、バカ牛め、とリエッキは牛頭を横目に見ながら思う。そんなの気が早いにもほどがあるだろう、と。
けれどそう思いながらも、彼女はカルメがどんな答えを返すのか、気になって仕方がない。
「んとねー。んとねー……あたし、大きくなったらねー」
二人が見守る前でカルメは妙にもじもじしている。
答えに悩んでいる、という風ではなかった。答えはもう決まっているのに答えるのが照れくさいというような、あるいは答えるのをもったいぶっているというような感じだった。
ややあってから答えは口にされた。
「あたしね、大きくなったらドラゴンになるの」
照れ笑いとともに口にされた答えに、リエッキと牛頭は揃ってぽかんとする。
予想もしなかったこの答えに、この子はなにを言っているのだろう、と揃って思っている。
そんな二人の反応をどう受け取ったのか、カルメは満面の笑顔で続けた。
「大きくなったら、あたしがドラゴンになって、リエッキのおしごとをかわってあげるの! ユカがリエッキにくれたおしごとを、つぎはあたしがもらうんだ!」
そしたらリエッキもおでかけができるでしょ?
幼子は得意げにそう言った。
瞬間、なにかが心に溢れた。
リエッキの胸に溢れて内側から彼女を締め付ける、それは、狂おしいほどの愛情だった。
この身体のどこにこれほどの感情があったのだろうかと彼女は思う。
これほどの想いが、まだこの身体にあったなんて。
息苦しいほどの愛しさがリエッキを窒息させる。
「うしあたまがダメでも、あたしにならやらせてくれるよね?」
カルメが自信満々にいった。
無邪気に手ひどい一言に、しかし牛頭は傷ついた顔をしなかった。優しい悪魔は幼子が口にする今日の言葉の、そのすべてを慈しんでいるようだった。
そんなの無理だとか、人間はドラゴンになれないんだぞとか、そうした正論をぶつけることが、リエッキにはどうしてもできそうになかった。
彼女は思う。
もちろんわたしとあの人とでは立場が違う。だけど、あいつが語り部になるっていう夢を告げたとき、もしかしたら骨の魔法使いもこんな気持ちになったのかもしれない。
「……そうだな。もしそうなったら、あんたにだったら任せてやってもいいな」
正論を言う代わりに、リエッキはそう子供向けの受け答えをして笑った。
この子もいつか現実を知る。だからいま口にした夢だって、きっと大人になるにつれて忘れてしまったり、別の夢に上書きされて消えてしまったりするのだろう。
そうしていつかは、わたしたちのもとを離れていくのだろう。
だからそれまでは、そのときを恐れながら、そしてそのときを楽しみにしながら、それぞれの瞬間を大切にしていこう。
「あんたなら、もしかしたら、わたしよりも強くておっかないドラゴンになっちゃうかもな」
リエッキはカルメの口元を拭いてやる。蜂蜜でべたべたにした口元を。
そうしてやりながら、彼女は愛しい図書館の娘に言ったのだった。
「ほら、こんなところにもうその予兆がある。知ってるか? ドラゴンはな、蜂蜜が大好物なんだぞ?」




