■2 神話の午後 【物語の日、神話の午後/15】
「なんなのだこれはぁぁぁぁ!」
左利きが叫んでいる。悲鳴じみて絶叫している。
いや。彼のこれは、悲鳴などという生易しいものではない。
左利き――ついにその名を冠するに相応しい存在へと覚醒を果たした『左利きの魔法使い』は、魂消るような声をあげて、嘆きの限りに慟哭しているのだ。
すべての呪使いが羨望し憧れ続け、しかし誰一人として指先すら届かせることの叶わなかった、魔法という名の奇跡。その力を呪使いとしては史上初めて手にいれて、しかしこの瞬間、左利きの胸にあるのは凍えるような悲嘆だけだった。
これが他の呪使いであったならば、果たしてどうであったろうか。
きっと……いや、必ずや驚喜したことだろう。
驚喜して、あるいは己の獲得した力を試すことに夢中になり、あるいは手にした力でどのような楽しい人生を送るかの算段を巡らせ、また、あるいは変わり身も早く呪使いという生き方とそれまでの同胞に背を向けたかもしれない。
だが、左利きだけは違った。
彼は一度として魔法使いを羨んだり、また嫉んだりはしなかった。
魔法の力を欲したことなど、ただ一度たりともなかったのだ。
彼だけは。
「違う……違う……私は……私は、こんなことは、望んで……」
呪使いという生き方に真に誇りを持っていた彼。与えられることをよしとせず、いつか自らの手で神秘を解き明かすことを宿願としていた彼。
誇り高き、呪使いの中の呪使いである彼。
そんな左利きにとって、与えられた奇跡の力は、祝福ではなく呪い。
魔法使いへの覚醒は吉事などではなく、ただひたすらに悲劇でしかなかった。
「……こんなのは、こんなのは冒涜だ! こんなのは、まるで簒奪だ! これが神の意志だとするならば……神よ! 貴様はいったい何様のつもりだ!」
左利きが、空を仰いで叫ぶ。
彼の信念を踏みにじり、彼から宿願を奪い取った神を罵って、吠える。
それから、左利きの視線は地上へと降った。
祝祭の広場へと眼差しを奔らせて、呪使いは我が宿敵を見る。
血走った目で凝視する。
「そうだ……決闘……決闘だ……」
熱に浮かされたような声で左利きは言った。
そして、叫んだ。
「語り部ぇぇぇ! 今こそ、今こそ決闘の誓いを果たすぞぉぉぉ!」
取り憑かれた者の叫びが雨の広場を劈いた。
信念は冒涜されて。宿願は簒奪されて。
左利きには、目の前の宿敵との雌雄を決する戦い、それしか残されていなかった。
もはやそこにしか逃げ込む場所はなくて、もはやそこにしか救いはなかった。
「かつて、僕は姉さんから魔法使いのいろはを教えてもらった。その姉さんは兄さんから。そして兄さんは、針の魔法使いっていうおばあちゃんから……」
ユカが、左利きを見つめ返して言った。
「だから今度は、僕の番だ」
「ユカ!」
彼の背後からリエッキが呼びかけた。
心配を隠しきれぬ声音で言ってしまったそのあとで、彼女は精一杯にいつも通りの態度を取り繕ってユカに言った。
「約束、忘れるんじゃないぞ!」
「うん、わかってる」
ユカは笑顔で答えた。
「助けが必要になった時は、誰よりも先に、神様よりも先に君を頼るよ!」
再度そう誓って、ユカはついさっき彼女と絡ませた小指を見た。
それから、その指をゆっくりと拳に握り込んで、語り部は宿敵の呪使いへと向かい直る。
「今度は僕の番だ……と言っても、これはちょっとどころじゃない荒療治になりそうだ」
「ふ、ふふ……私は、一度としてこんなことは望まなかったさ……。だがな語り部……貴様と同じ力で貴様とぶつかり合える、そのことだけは少しだけ、喜んでもいい!」
く、くく、と左利きが笑う。いつもの冷静でどこか皮肉な笑い方とはまったく異なる、余裕をなくした獣の笑い声で。
「語り部ぇぇぇ! 勝負だぁぁぁぁ!」
「ああ! それじゃあ……いくぞ、呪使い!」
「説話を司る神の忘れられた御名において。これなるは――!」
「偶数と奇数にかけて、天穹の星の無限にかけて――!」
すべての観衆が息を呑んで見守る中で。
そのようにして神話の午後ははじまった。




