■17/了 かくれんぼ
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何が潜んでいるかわからない。そして、なにが潜んでいようともおかしくはない。
そう感じさせてあまりある闇を、図書館はその内側にたっぷりと養っている。
しかし、たとえそこになにが隠れていようとも、彼女の眼を欺くことは何者にもできない。
「見つけたぞ牛頭、二百五十四番書架頭上の柱の出っ張りにしがみついてるな。……まるで無様な蝙蝠みたいに……それでほんとに隠れたつもりか? まぁいい、とにかく二つ数えるうちに降りて来い、さもなきゃ撃ち落とすぞ。ほれ、いぃぃちぃ、にぃぃ――」
一方的に警告してリエッキが数えはじめると、すぐに天井附近からなにかが落ちてきた。
派手な落下音が図書館の沈黙を割り、苦悶の呻きがその後を継いだ。
「……二つ数えるうちって、あの、それ猶予っていえます? せめて三つ数えません?」
全身をしたたかに打った牛頭が、どうにか上体を起こしながら文句を言った。
リエッキが、いましも投擲しようとしていた木切れを(これは焚き付け用の薪で、散歩がてらに森でこれを集めるのは牛頭とカルメの日課だった)弄びながら応じる。
「はん、子供の遊びで本気になるほうが悪いんだ」
ぶっきらぼうにそう言って、彼女は起きあがろうとしている牛頭に手を差し出した。
子供の遊び。
いかにも、彼女たちはいま、子供の遊びに付き合わされているのだった。
なにかの拍子に牛頭が教えてやって以来、カルメはかくれんぼという遊びが大のお気に入りになっていた。
午睡に微睡むリエッキの袖を引いて、大工仕事に精を出す牛頭に体当たり同然に飛びついて、せがむというよりは決定事項を伝えるように「かくれんぼをするの!」と幼子は言うのだ。
よくもまぁ飽きないものだと、リエッキはいつも呆れてしまう。
けれど、彼女と牛頭がカルメのわがままに応じなかったことはこれまでに一度もなかった。
結局のところ、二人の人外と一人の人間の生活、そのすべては図書館の寵児を中心にまわっているのだった。
「さて、次はあのがきんちょを見つけ……おい、なにしてんだよ? とっとと起きろよ」
リエッキが差し出した手を、なぜだか牛頭はただまじまじと見つめていた。
ようやくその手を取って起きあがりながら、貴人の姿の悪魔は戸惑い気味に口にした。
「あ……いえ、リエッキさんが私に優しくしてくださるなんて、ちょっと意外で」
「……なんならもう一回起きあがる前からやり直すか? はっ倒してやるぞ?」
滅相もないです、そう言って牛頭は服に付いた埃を払った。
その様子がどことなく嬉しそうに見えて、リエッキはなんだか釈然としない気分になる。
掌には握った手の温度が残っていた。
「ところで、あの子がどのあたりに隠れてるか、やっぱりもうわかってるんですか?」
「ん、わかるぞ。風呂場のほうに気配がある。たぶん湯船の中にでも隠れてるんだろな」
簡単な質問だとばかりに応じたリエッキに、流石ですね、と牛頭がしみじみ嘆息する。
図書館の内部空間は外観からは考えも及ばぬほど広大なものであり、二人がいまいる閲覧室から浴室までもかなりの距離がある。
しかしこの場所の番人であるリエッキは、図書館内の気配であればどこにいようとも手に取るように察することができる。
司書王の魔法の効果……ではなかった。
一人きりで過ごした百年が彼女に与えた、いわば孤独を元手とした能力だった。
「こんなわたしとかくれんぼをして、あの子はいったいなにが楽しいんだろうな」
歩き出したリエッキの口から呟きがこぼれた。
後ろを歩く牛頭に話しかけたというよりは、自分自身に向けてなにかを問うているような響きがそこにはあった。
かくれんぼをするとき、カルメはいつでも自分が隠れる側にまわりたがるのだ。そこまでならばリエッキにも理解はできる。
しかし幼子が指定するのは自分の役だけではなかった。
自分が隠れ役になるのとおなじくらいの熱心さで、カルメはいつでもリエッキに探し役をやらせたがるのだった。
一度牛頭が鬼をやってみたことがあったが、このとき、カルメは大好きなかくれんぼをたった一回見つけられた時点でおしまいにしてしまった。
いつもは無駄口の多い悪魔がその日は夜になるまで妙に無口だったのをリエッキはよく覚えている。
「わたしが鬼をやったって、遊びにならないじゃないか」
彼女は思う。
あの子がどんなに一生懸命隠れたって、それがこの図書館の中である限り、わたしは探すまでもなく隠れ場所を見抜いてしまうのだ。
なんという虚しい能力だろう。かくれんぼという遊びにおいて、わたしは存在そのものが不正じゃないか。
……あの子が大好きな遊びなのに。
孤独のもたらした能力を、リエッキはかくれんぼのたびに捨ててしまいたくなる。
けれどそんな彼女の悩みとは裏腹に、図書館の寵児はいつでも自分を探し出したリエッキに嬉しそうに飛びついてくる。
フニフニと乳臭い笑い声をあげながら、「みつかっちゃたぁ」と舌っ足らずに叫んで彼女に抱きついてくるのだ。
その笑顔が嬉しくて、抱き留めた体温が温か過ぎて。
だからリエッキは、幼子が疲れ果てて動けなくなるまで何度でも「あといっかい」に付き合ってしまうのだった。
最初から勝負のついている遊びの、なにがあんなに嬉しいのだろう、あの子は。
「ねぇ、リエッキさん」
物思いに沈む彼女に、後ろから牛頭が声をかけた。
「子供にとってかくれんぼという遊びのなにが楽しいか、考えたことはありますか?」
「……なんだよ、また問答か?」
ため息混じりに応じながら、それでもリエッキは立ち止まって真剣に考えはじめる。
子育てという一大問題に関して、この悪魔らしからぬ悪魔はありとあらゆる答えを所有している。リエッキはそのことを認めていた。その意見が自分たち三人にとってどれほど重要であるかも。
「そうだな……『隠れること』と、『隠れてる奴を見つけること』。やっぱりこの二つだろ?」
しばしの黙考の末にリエッキは答えた。
考えるまでもない問い掛けじゃないかと最初は思ったし、実際、何度考えてもその二つ以外の答えを思いつくことはできなかった。
しかしリエッキの答えに対し、牛頭は柔らかな微笑みを浮かべながら静かに首を横に振った。
「確かに、決まり事の上で鬼と隠れ役が競う勝負事という側面を見ればそうです。だけどねリエッキさん、もう一つ、その二つよりもずっと大事なことが残ってるんですよ」
「……もう一つ? なんだ?」
「それはね、『見つけてもらうこと』ですよ」
牛頭は言った。多くの弟子を教え導いてきた賢者のような口調で。
「あの子がもっと大きくなったら、きっと『隠れること』と『見つけること』の比重も大きくなってくるでしょう。ですが、今のカルメくらいの年齢だと『見つけてもらうこと』がなにより嬉しいんです。鬼と隠れ役の勝負という認識は、まだあまりないはずです。あのくらいの子供にとってのかくれんぼは、大切な人との関係を強くする為の儀式のようなものなのです」
「見つけてもらうのが嬉しい」
牛頭の台詞を復唱し、リエッキは考える。
自分が見つけ出した時のカルメの嬉しそうな様子を、顔中をくしゃくしゃにした満面の笑顔を。
あの笑顔の裏に、そんな意味があったのか。
そのとき、遠い記憶から蘇る情景があった。
それは、一人の青年の映像だった。
たとえ一千年経とうとも忘れ得ぬ面影、記憶に焼き付いた笑顔。
しかしこのとき浮かびあがった記憶の中で、彼が笑顔を向けている相手はリエッキではなかった。
あの冬の終わりの森で、その青年は血の繋がらない母を見て、嬉しそうに言ったのだ。
――どうして僕が帰ってくるのがわかったの? どうして見つけられたの?
「嬉しいんですよ。大切な人が見つけてくれること、迎えに来てくれることって」
牛頭の言葉が、彼女を追憶から引き上げた。優しい悪魔はさらに続けた。
「あの子くらいの歳の子がかくれんぼをした場合、見つけてもらえる前にしびれを切らして出てきてしまったり、もしくは見つけてもらえないのではないかという不安に泣き出してしまう子だっているんです。だけどカルメはいつだって笑顔で待っていますよね。きっと、探し手に対する信頼がそれだけ強いのです。絶対に見つけてくれるって、そう信じているのでしょう」
「……だからあの子はわたしに鬼をやらせたがるのか? わたしなら見つけられるから」
「ええと、私が言った信頼というのは、別にリエッキさんの能力だけを指すわけではないんですけど……まぁ、とりあえず今はそういうことにしておきましょうか」
それじゃ、早く迎えに行ってあげましょう。
話はここまでというように牛頭は言った。
言われるまでもなかった。牛頭に返事をするのも忘れて、リエッキはさっきよりも足早に歩きはじめていた。
はやくあの子を見つけてやりたいと、その一念で彼女の心は占められていた。
わたしに見つけられるのを、わくわくしながら待っているあの子を。
自分の能力を疎ましく思う気分は、完全に真逆のものに転化していた。
「ああ、そうだ。リエッキさん。あの子があなたにばかり鬼をやらせたがる理由の答えになりそうなことが、もう一つあるんですが……って、聞いてませんね」
後ろをついてくる牛頭が再び話しかけてきたが、リエッキは振り返りもしなかった。
「まぁ、いいんですけどね。ただのちょっとした雑学ですし、聞いていようが聞いていまいが勝手に呟きますよ。あのね、リエッキさん――」
どんどん進む彼女の後ろで、悪魔らしからぬ悪魔が苦笑まじりに言った。
「かくれんぼではね、『鬼』のことを『親』とも言うんですよ」
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骨の魔法使いに案内されてユカとリエッキが屋敷に到着した時、既に夕食の支度は完成していた。
一人で食べるには多すぎる、しかも見るからに豪勢な料理が食卓に並んでいた。
ユカが今日帰ってくることを骨の魔法使いは見抜いていたのだろうとリエッキは気付いた。
母親というのはある種の魔法使いなのかもしれない、彼女はそう思った。
「それじゃあ」
三人で夕食を平らげたあとで、骨の魔法使いが切り出した。
「あなたが森を出てから今日までに、どんなことがあったのか、どんな経験をして、どんな出逢いがあって、そして、どんな風に成長してきたのか、少しずつでいいから見せてくれる?」
「うん、あのね。ええと、どこから話したらいいんだろう。まず僕は――」
「――はい、やり直し」
話し始めようとしたユカを、骨の魔法使いが手を叩いて遮った。
「母様は『話して』って言ったのではないわよ。『見せて』って言ったの。あなたの成長を、あなたが選んだ道とその成果を。ねぇ、語り部さん?」
息子にいたずらな微笑を向ける母親には、なぜだか獲物を弄ぶ山猫のような印象があった。
母が何を求めているのか、それを理解したユカは急にもじもじしはじめた。
まったく、希代の物語師様がまるっきり形無しだ。
子供にとって母親ってのはいくつになっても母親で、きっといつまでも敵わない相手なんだろうな。
そんな風に思いながら、リエッキは席を立って自分の荷物からある物を持ち出してきた。
踊り子と別れてからは余り出番のなくなっていた、特殊な形の弦楽器を。
演奏がはじまると、ユカはハッとした様子でリエッキのほうを見た。リエッキは無言のまま肯いて親友に応じた。
彼女が奏でるのは普段のユカならば必要としない曲――物語を彩り、語り部を支える、背景楽だった。
ユカの表情に、見る間に勇気が取り戻されていく。
演奏の手は止めぬままその様子を見つめ、やっぱりこいつにはわたしがいないとダメだな、とリエッキは苦笑する。
そして、語り部は譚りはじめる。
いつになく勢い込んで、いつになく元気のよい語調で。
「ええと、それでは……説話を司る神の忘れられた御名においてはじめましょう! これなるは――」




