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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
◆ 譚章 色の魔法使いの挿話

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◆3 絶対に無駄にはしない

『まったく、お前はいっつも変なところで意地を張りやがるよ』


 座長が去ったあとで、見えない兄がため息混じりに言いました。


「……ごめん、僕は兄さんの忠告に逆らってばかりだ」

『ま、いいさ。魔法使いってのは多分それでいいんだ。それに、それでこそ俺の弟だよ』


 諦めたかのように、同時にどこか誇るように兄は言いました。

 父母には呆気なく拒絶され、行く先々で数え知れぬ迫害にさらされてきた色の魔法使いたる彼でしたが、しかしこの兄だけは今日まで一貫して味方でいてくれました。

 もしもこの兄がいなかったなら、彼はとっくの昔に世の中を嫌いになっていたでしょう。


 そんな兄に対して「ありがとう」と青年が感謝を口にした……そのときです。


「……ねぇ、なにを喋ってるの? ……誰かと話してるの?」


 青年の腕に抱かれたままになっていた少女が、おずおずと言葉を発しました。

 二重、あるいは三重に戸惑いを重ねながら、踊り子の娘はただじっと青年を見つめています。


「事情の説明は長くなるからあとだ。それよりも、今は化粧を急ごう」


 言うなり、青年はしまいかけていた商売道具を再び広げはじめます。


「あの……ありがとう、でもいいよ。無駄になっちゃうから……お気持ちだけで、じゅうぶん」

「気持ちだけで十分なんて、君みたいな子供がそんな台詞を吐くな」


 半ば本気で叱りつける口調で青年は言い、続けました。


「それに、無駄にはならない。脚の怪我のことを言ってるなら、それは大丈夫だ」


 道具の準備を調えた青年は、あらためて少女を観察します。

 まずは二つの瞳を共に開いて。それから、片方の眼を閉じることにより開眼する特別な片眼で。

 そして、ああ、見ました。見定めました。

 彼女を雁字搦がんじがらめにしている悲しみの色、劣等感の色、複雑に交わる憂慮ゆうりょ諦観ていかんの色を。


 化粧の方向性は、即座に決定されます。


「やっぱり、君に必要なのはとにかく自信だな。いいか、今から僕が君にその色を……いや、説明は後だ。とにかく僕を信じてくれ。さぁ、まずは右腕からはじめよう」


 言葉では応じずに、しかし少女は素直に右腕を差しだします。

 それが返事の代わりでした。


 さぁ、かくて作業ははじまりました。

 他のどの踊り子に対するよりも……いいえ、今までのどんなお客に対するよりも真剣に青年は少女の肌に向かいます。

 周囲に取り散らかした顔料を完璧に把握して、両方の手に絵筆を二本あるいは三本と握って、さらには指の腹までも絵筆にして色を繰り広げます。

 手の甲から手首、前腕の表裏を染めて、ひじへ。

 色の展開は、そのまま右上腕へと向かいます。


「答えたくなければ答えなくてもいいんだけど」


 作業の手はいささかも緩めぬまま、青年はふと少女に問いを発します。


「どうして君はあんな風に邪険に扱われてるんだ?」


 この質問に、少女はいっとき口をつぐんだそのあとで、ぽつぽつと語りはじめます。


「……よくわからないけど、あたしは恥さらしなんだって。表に出したら一座が迷惑を被る厄介者なんだって……親の借金の形に買われて、だから座長はあたしをまだ手放さないでいる。買い取ったお金が無駄になっちゃうから。だけど、そのうちきっとどこかの売春宿にでも……」

「……なるほど。よし、次は左腕だ」


 それ以上は言わなくていいとばかりに青年は少女の言葉を遮りました。

 胸中に苦いものを感じながらも彼は手を動かし続けます。

 自覚するかしないかの短い時間、火のような憤りが心を乱しました。しかしすぐにそれは静まり、あとではかえって呼び水となってさらなる集中を彼にもたらしました。


 作業は速度と精度を共に高め続けます。

 既に完成している右腕のそれ同様、左腕の化粧もまた凄まじい速度で出来上がってゆきます。

 いまや集中力は極限に至り、霊感と直観は限界を超えて駆動しています。


「ねぇ、あたしからも一つだけ聞いていい?」


 左腕を青年に任せながら、今度は少女の方が問いを発しました。


「どうしてあなたはあたしを気に掛けてくれるの?」


 やはり作業の手は緩めぬまま青年は考え、それから、率直そのものに答えます。


「理由は二つある。一つは君が気の毒な女の子だから同情したんだ」

「言いにくいことをはっきりと言う人だなぁ。それも無表情でさ。そういうのって、もう少し気遣うような顔をしながら言うものだと思うんだけどな」


 暗い顔をしていた少女が、はじめてくすっと笑いました。

 そのとき、青年の魔眼は少女からそれまでになかった色が湧きだすのを見ました。

 象牙と金糸雀カナリア耀かがよい、体温のような暖かみを伝える光の波。

 それは、さっきまでの彼女に絶対的に欠けていた、青年が化粧により付与しようとしていた陽気さと楽しさの色でした。

 綺麗な色だ、と青年は思います。この子もちゃんとこういう色を持っていたんじゃないか。

 これなら、きっと心配はいらない。


 そんな安堵に浸る彼に、少女が今一度問いを投げかけます。


「ねぇ、それじゃあもう一つの理由はなに?」


 問われて、彼はやっぱり無表情のまま答えます。


「ああ、君があんまり綺麗だから味方したくなったんだ」


 客観的な事実を告げるような、それはこれ以上はないほどに呆気ない言い方でした。

 この直後、ここに来てはじめて彼は作業を中断します。中断せざるを得なくなります。

 少女から新たな色が吹きだし、それまでにあった色を完全に飲み込んだのです。


「……んもう! ほんとに言いにくいことをさぁ……はっきりと……もおう!」


 少女が青年の肩を叩きます。作業途中の左手を振りあげて、ばしり、ばしり、二度、三度と。

 その無体に、しかし青年は抗議することも忘れて、完全に面食らってしまっています。

 少女の色があまりにも美しすぎて。

 香、桃、桃花……赤に連なるそれらの色が明滅するように変化し続ける様は、さながら美しき乙女の目に見える吐息を、それも、恋に濡れてつやめいた荒い息を思わせて。

 青年はいっとき、目の前にある現実のすべてを放棄してその色に心を奪われます。

 強引に少女の手を取って、彼は再び作業に没頭しようとします。

 しかし、指の腹で色を伸ばしながら、彼は少女の体温をことさらに意識してしまっている己に気付きます。

 ここまでの作業では少しも気にならなかった肌の温もりが、今は気になって気になって仕方がありません。


「……さぁ、左腕も終わった。あとは顔だけだ。もう少しだけ我慢してくれ」


 青年がうながすと、少女は応じるようにそっと瞳を閉じ、小さな顎先を傾けます。

 その仕草が、青年の平常心にトドメを刺しました。色を施す面積は片腕のわずか四分の一にも満たぬというのに、最後に残された頬の化粧にはたくさんの時間が必要となりました。


 しかしともかく、青年の膚絵師としての仕事はこれにてすべて終了です。

 姿見鏡の前で、少女は歓声すら驚愕のうちに飲み込んで、己の鏡像に見入っています。

 無理もありません。我らの主人公の仕事はいかにも芸術、貴重な顔料を出し惜しみなく(それこそ宝石を材料に用いたとっておきの青までも彼はこの一仕事に投入していたのです)駆使したお化粧は闇雲な派手さを否定するかのようにすっきりとまとまり、しかしその無駄のなさの中で最大限に優美と華美を誇っています。


 鏡の前で、少女は夢中になって姿勢を変え続けています。

 あらゆる角度から己の姿を見ようと。

 綺麗にしてもらった自分の姿を確かめようと。

 感激に打たれて、感動に取り憑かれて。


 ですがやがて、彼女は不意にはっとして、そのまま肩を落としてしまいました。


「素敵……本当に、とても素敵だわ」


 しみじみと少女は言います。


「……なのに、ごめんなさい。こんなに素敵にしてもらったのに、あたしやっぱり、この素敵を無駄にしちゃう……」


 悔しさに、あるいは慙愧ざんきに、少女は今にも泣きだしそうな顔となります。

 さて、そんな少女の方を見ぬまま道具を片づけた青年は、懐から一つの小瓶を取り出します。

 中身は顔料です。

 ですがその白は、膚絵師はだえしの商売道具ではありません。


「でも、舞台にあがれなくても、こんなにしてもらって、あたし、じゅうぶん幸せ――」

「だから、十分でもないのに十分だなんて子供が口にするな。そう言ったはずだぞ」


 さっきと同じように少女を叱りつけ、青年は――色の魔法使いは小瓶の蓋を開けます。

 やめておけ、と兄は言いませんでした。弟の行動を認めて黙った、それは実に雄弁な沈黙でした。


「そして僕はこうも言ったはずだ。無駄にはならないと。さぁ、挫いてるのはどっちの足だ?」


 少女は困惑しながら、しかしそれでも素直に片方の足を差し出しました。

 青年が特別な眼を開いてみると、なるほど、痛みの黒が足枷あしかせのように細い足首を締め付けています。

 少女を苦しめている黒に、色の魔法使いは癒しの白を伸ばしてゆきます。

 患部に触れられた瞬間、少女が小動物のようにびくんと震えます。

 ですがそれ以上の拒絶は見せませんでした。青年を信じて、彼女は彼にすべてを任せてくれたのです。


「――よし、もう大丈夫だ。さ、動かしてみてくれ」


 またも促されるまま、少女はおずおずと足首を回してみます。ぐるり、ぐるりと。

 そして、もはやそこに一切の痛みがないことを知って、瞳をまん丸に瞠ります。


「ウソ……」

「ウソなんてなにもない。だから言ったんだ。無駄にはしないって」


 青年は真面目な顔で応じ、それから、その真顔を少しだけ柔らかく崩してみせました。


「さ、僕は僕の仕事を果たした。約束も守った。だから、次は君の番だ。君が僕の仕事を無駄にしないでくれるかどうか、とくと見させてもらうからな」


 彼のこの言葉に、少女は決然と肯いて応じたのでした。



   ※



 さあ、かくて準備は万端整いました。

 二人は共に連れ立って舞台へと向かいます。


 つい数分前までの憂慮や諦観が嘘のように、少女の瞳には自信と気力が溢れています。

 溢れて、それは輝いています。


「あたしはあたしの全部を出し切って踊るから。絶対に、無駄にはしないから」

「それは楽しみだね。ところで一つ質問があるんだけど……それ、なんだい?」


 歩きながら、青年は少女の手にしている物について訊いてみました。

 これから舞台に上がる踊り子には、到底無用と思えるその代物を指さして。

 それは、一巻の羊皮紙でした。


「あたしはあたしの全部を出し切るの」


 少女は答えになっていない答えを返し、それから、逆に青年に申し出ます。


「ねぇ、あなたの絵筆を何本か貸してもらえない?」


 少し乱暴に扱っちゃうかもしれないけど、でも必ず返すから。少女はそう誓います。

 なにに使うつもりなのか、青年は問いません。彼は黙って三本の絵筆を取り出して少女に渡します。

 彼女はそれを大事そうに、本当に大事そうに胸に押し抱いたのでした。


 さて、二人が目指す広場に到着したとき、舞台のほうで喝采と拍手がわっと沸きました。

 少女の仲間の踊り子たちがちょうど自分たちの出番を終えたところだったのです。


「やあ、なんとまぁ……ほんとにそいつにまで化粧をしてやったんですかい?」


 舞台袖に到着した青年と少女を、一座の座長が驚きとあざけりの入り交じった声で出迎えます。


「しかし残念、いましもすべての演目は終わったところでさ。ちいと遅かったようで」

「いいえ、遅くなんかないわよ」


 意地悪な座長にきっぱりと言葉を返したのは他でもない少女です。


「あたしはあたし一人で見事踊りきって見せるわ。ええ、そのほうがかえって清々する」

「ふん、たった一人で? 鼓笛こてきもなにもみんな引き上げちまうってのに、音楽もなしでか?」

「そんなのこっちから願い下げだわ。あたしが見せるのはただあたしの才覚だけ。それ以外の誤魔化しや梃子てこ入れなんてあるだけ無駄ってもんよ」


 見下す物言いの座長を反対にせせら笑うように少女は宣言します。

 立場の弱さに負けて縮こまっていた娘の面影は、もはやどこにもはありません。口角がつり上がり、勝ち気な笑みが頬を彩る瑠璃るり色をも笑わせます。


「……ああそうかい。それならせいぜい惨めを曝してくるがいいさな。言っておくが、ここから先はうちの一座とは一切無関係。そこんとこ忘れるんじゃないよ」


 まるで別人のようになった少女の雰囲気に呑まれながら座長が言った、ちょうどそのときです。

 手に手におひねりの入ったざるを持った踊り子たちが舞台から戻って参りました。

 仲間の踊り子たちはそこにいる少女に、それも自分たちと同様の化粧を……いいえ、自分たち以上の色彩の美をまとった彼女に、ほんの一瞬瞳を奪われて硬直します。

 そんな仲間たちの横をすり抜けて、少女は颯爽とした足取りで舞台へと躍りでたのでした。



 たった一人の踊り子の登場に、観衆は気づきもしません。それぞれに次の出し物を待って歓談に沸いていて、舞台のほうなど見てもいません。

 やがてちらほらと舞台上の少女に気付きはじめるものも出はじめましたが、そうしたいくつかの眼も『なんだあの娘は?』という呆れや怪訝を浮かべるばかり、舞い手として彼女を捉えているものは一つとありません。


 観客たちの冷淡な態度に、しかし少女は悠然とした表情を向けます。

 余裕に満ちた笑みを。己の依って立つものはただ己の中にあるのだと、そう宣するような晴れがましい笑みを。

 最後に一度だけ、少女は観客席にひしめく未だ監修ならぬ観衆たちにではなく、舞台袖から己を見守る唯一の観客にちらと視線をやりました。

 青年はその視線をまっすぐに受け止めて、彼女のすべてを肯定するかのようにしかと肯き返します。


 そして演舞ははじまります。

 場を盛り上げる音楽はおろか口上の一つもないままに、たった一人の舞台は静寂しじまから唐突に浮上します。

 

 この日の最高の一番は。

 並ぶものなき舞姫のそれは。


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