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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
■ 七章 その大役を君が引き受けてくれるなら

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■6 深きの森の司書王

 建築資材の調達、各種職人の手配、書物の蒐集、その他いろいろ。

 図書館建造のために必要な実務は山ほどもあったが、しかしいま挙げたどれにも増して重要な、というか、それらのすべてに先立つ問題が一つあった。


 いったいどこに図書館を建てるのか? 

 その場所の物色(ぶっしょく)と選定、さらには土地取得の為の交渉や調停など。


 この『場所』にまつわる問題を、あろうことかユカは丸投げしてしまったのである。

 左利きに。


「なんでそうなる! なんで私が!」


 ユカに『たのみごと』の内容を説明された二秒後、左利きは『ごもっとも』としかいいようのない反応を破裂させた。

 そのあとで彼がずらりと述べ立てたのは、


「だいたい貴様には自覚というものが欠落してる!」

「自分たちの人生の一大問題、その肝心要の部分を人任せにしようとする性根が気に入らん!」

「いい年齢(トシ)した男がもう少ししっかりしようとか思わんのか!」


 という、こちらもまたもっとも千万としか言いようのないお説教の数々。


 喉首掴まんばかりの剣幕の左利きを、しかしユカは「まぁまぁ」と鷹揚(おうよう)(なだ)めて。


「なんで私がっていうけどさ、そんなの決まってるよ」

「ああ?」

「だって、君はある意味で僕以上に僕のことを理解してくれてるでしょ? だからさ、そんな君だったら僕たちにぴったり相応しい場所を――それこそ僕らが自分で探すよりもさらに良い場所を――見つけ出して選んでくれるって、僕はそう確信してるんだ」


 そう自信満々に説明したあとで「ということで、よろしくね!」とユカは左利きに再度頼んだ。

 なんだかんだ言いつつも最終的にはこの宿敵が自分の頼みを引き受けてくれると、そう信じ切って(ごう)も疑っていないお気楽な笑顔で。


 もちろん、ユカのこの態度はお説教の火に油を注いだ。


「前から言おうと思っていたが貴様は私に甘えすぎだ!」

「貴様と私はお友達じゃなくて敵なの! 宿敵なの!」

「ここらでいったん『右手と左手では握手できない』という子供でも知っている事実を思い出させてやろうか!?」


 などと、左利きは口角泡を飛ばしてまくし立て。


 そうして最後にはやっぱり、ため息交じりに「……わかった」と承諾してくれた。


「……どんな場所に決まっても、後から文句をつけるなよ?」


 あたかも敗北を受け入れる口調で言った左利きに、対するユカはとびきりの笑顔を浮かべて「ありがとう!」と感謝を告げる。

 リエッキは同情の目で呪使いを見ながら「はん」と鼻を鳴らした。



 このやりとりがあったのが、だいたい三週間ほど前。



 まだ一月も経っていないのに尚早(はやすぎ)なのではないかとリエッキは思ったが、しかしその朝訪ねて行った二人に対して、詛呪院(そじゅいん)で出迎えた左利きは開口一番に「決まったぞ」と告げた。


「いいか、もう決まったんだからな? 決まっちゃったんだからな? 金は払って話もつけて、もはやこの土地は泣いても笑っても貴様らのものだ。だから『えー、思ってたのとちがーう』とか、いまさらそういう文句を言うなよ?」


 不平不満は一言たりとも口にするなとそう念押しをしたあとで、左利きは一枚の封書をユカに手渡した。


 待ってましたとばかりに受け取った書状を――手渡しにもかかわらずご丁寧にも蝋封緘(ろうふうかん)まで施されたその封書を――ユカは早速、その場でバリバリと開封して読みはじめる。

 上から下までさっと視線を走らせて、その後で各項目を素早く一読する。


 そうして読み終えたあとで、ユカは。


「うふふ、それ見たことか! やっぱり君にお願いして正解、大正解じゃないか!」


 まるっきり勝ち誇るような調子で宿敵を賞賛した。




   ※




 とある辺境の小国の北端部、他領との境界線の役割も果たす急峻(きゅうしゅん)な山脈の(ふもと)にその森は広がっていた。

 まさに広がっていたのだ。森は樹海と呼ぶに相応しい広さを、あるいは深さを、誇りもせずに有していた。

 

 そしてこの緑色の深淵を、土地の人々はいつとも知れぬ昔から『不吉』と見做(みな)している。

 他とは違う不気味の森、良くないことで満ちている良くない森、そのように感じ取って、立ち入ることすら半ば禁忌としてきたのだ。


 この森こそが、左利きが二人の為に選んで手に入れた場所だった。


「ふうん」


 目的地への道中、回し読みした書状から視線をあげてリエッキは言った。

 それから、前を歩くユカに向かって。


「この森、人里からは?」

「けっこう離れてるみたい」

「詛呪院が置かれているようなでかい街からは?」

「たぶんもっと離れてる」

「ふうん。で、その人里離れた僻地の人も寄りつかない不気味の森を、あんたは?」

「気に入った! すんごく気に入った!」


 弾む足取りで歩いていたユカが、足取り以上に弾んだ声で答えた。


 リエッキはもう一度「ふうん」と言った。

 それから、親切な呪使いの書状を元の包みに戻して、物入れへと大事にしまった。





 都合五日が旅に費やされた。

 はじめの三日目で辿り着いたのは想像していた以上に寂れた土地の寂れた町だった。

 そこからさらに二日をかけて北上するうち、風景の中にある辺鄙(へんぴ)な印象はひたすら累加(るいか)された。

 それは色濃くなることはあっても、希薄(きはく)されることは少しもない。


 そうして最終的に二人が立ったのは、僻地(へきち)の情景の最深部にして終着点。

 ここから先は僻地ですらない、不吉の樹海の門口(かどぐち)、深淵の森のその境界であった。


「うむ!」


 ようやく到達したその森を、ユカは右から左に眺め渡す。

 すでに自分たちのものになっているらしい森を見晴るかす眺望(ちょうぼう)して、満足そうに何度もうなずく。


 それから。


「じゃ、行こう!」


 そう言って迷うことなく森へと飛び込んだユカの後を追って、リエッキもまた緑の領域へと足を踏み入れた。


 最初は歩きにくいことこの上なかったが、すぐにユカが獣道を見つけて、そこから先はだいぶ楽になった。


「途中の村で聞いたんだけどね、この森が不吉と嫌われている理由の一つに、ここが『お化け山羊の森』だからってのがあるんだって。この森にだけ生息していて、なぜだか他の森には絶対に行かない不思議な山羊。きっとこの道は彼らの通り道だね」

「理由の一つってことは、他にも色々ありそうだな、不吉と不気味の理由が」


 リエッキが言うと、ユカは「よくぞ聞いてくれました!」と語りはじめた。

 この森の不気味さの証明を、さらにはいくつもの時代に語られてきたいくつもの不吉の物語を。

 それらを、あたかも観光案内のような明るい口調で彼は語る。(かた)る。


「驚いたな。それ全部、途中の町とか村で聞いたのか?」

「うん。君が宿で休んでる間にちょこちょこっとね」


 どうだいこの物語への嗅覚! 見たか面目躍如(めんもくやくじょ)

 そうはしゃいで笑った。


 日が落ちたのか、それとも頭上をさえぎる(こずえ)の密集が度合いを増したのか、いつの間にかあたりは真っ暗になっていた。


 ユカは一度立ち止まると、リエッキの背負っている本棚から『明けない夜の小さな太陽の物語』の本を手に取った。

 彼が物語るとたちまち光の球が二つ、三つと現れて、宙に浮かんで周囲を明るく照らした。闇は難なく克服された。


 灯りの問題を解決して、二人はまた歩きはじめる。

 森の奥へ、奥へと向かって。



   ※



 再び立ち止まったのは道の終わりでだった。

 獣道はそこで途切れていて、同時に、緑の領域もそこでいったん途切れていた。


 二人の目の前に拓けた空間が現れたのだ。

 原始の森もかくやとひしめいていた樹木たちが忽然(こつぜん)と姿を消して、さらには(おどろ)に生い茂る蔓草(つるくさ)(やぶ)も消滅していた。。

 鬱蒼(うっそう)たる樹海のただ中にあって、そこだけが満点の星空を頭上に頂き、地面には柔らかな若草の絨毯(じゅうたん)を敷いている。


 ――落雷によって発生した森林火災が局地集中的に一帯を焼き払い、結果として森の中に空白の空き地を生み出した。


 説明をつけようとすれば、そのように説明はいくらでもつくのだろう。

 しかしリエッキには、その場所が自分たちの到来を待っていたのだと、なぜだかそんな風に感じられてならなかった。


「あ、リエッキ! ここ、ほら! ここに座って!」


 ユカが野原に倒木を見つけて、リエッキを手招きする。


 ちょうど二つ並んで倒れた樹。

 野趣(やしゅ)溢れる、二人分の腰掛け椅子。


 森がわたしたちを待っていた――その印象が、彼女の中でさらに強まる。


「ほら、本棚も下ろして。そんで君はここに座って、少しの間待っててよ」


 言うなり、ユカはリエッキを置いて再び森に分け入る。

 焚き火の準備の為に。


 季節は冬のはじめで、だから(たきぎ)に使う乾いた枝を集めるのに、それほど時間はかからなかった。

 どっさりと薪を積み上げたあとでユカは背嚢から火口箱(ほぐちばこ)を引っ張りだし、そこからさらに燃え(ぐさ)と火打ち金を取り出して着火の作業をはじめる。


 火を吹いて欲しいと、彼がそうリエッキに頼むことはなかった。


「僕がこの森を気に入った理由はね、大きく三つあるんだ」


 慣れない火打ち金の扱いに苦戦しながら、ユカがリエッキに語る。


「まず一つ目は、森渡りであちこち飛び回る僕には都合がいいってこと。でもこれは、説明するまでもなくバレバレだよね。左利き(あいつ)だってきっとそれで選んでくれたんだ」


 ほんとに気が利く宿敵だよなぁ、とユカは笑う。


「それで二つ目がね、単純にここが森だっていうこと」


 火はまだ点かない。ユカは話し続ける。


「魔法使いに世襲はない、親が魔法使いだからといって子供まで魔法使いにはならない……ずっと昔にそう話したことがあるけど、だけどそれでも、僕も母さんからなにかを受け継ぎたいなぁって、漠然とではあるけどずっと願ってたんだ。


 だからね、僕はこれからこう名乗ろうと思うんだ。『深きの森の骨の魔法使い』から拝借して、『深きの森の司書王』って」


 どう、かっこいいでしょ?

 照れくさそうな笑顔を光球の灯りが照らし出す。


「それでね、最後の三つ目。三番目だけど、実は一番大事なのはこれなんだ」


 火打ち金から火花が散る。

 燃え種から細く小さく煙があがる。


 火が(とも)る。



「この森でなら、誰にも邪魔されることなく、君と二人だけで生きていける」



 燃え種を薪にくべると、火はすぐに枯れ枝のいくつかに燃え移る。

 そうして小さな火は、見る間に炎へと成長していく。


「よし、火起こし成功! どんなもんだい!」


 彼女の為に起こした焚き火を指しながら、彼は「お待たせ、さぁ火に当たろう」と言った。


 おまたせ、さぁ話そう――そう言われた気がした。


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