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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
■ 七章 その大役を君が引き受けてくれるなら

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■5 二人のあいだが濁っている。

 二人のあいだが(にご)っている、彼女はそう感じている。


   ※


 ユカが左利きにそうと語った通り、この三ヶ月ばかりの間、二人は図書館造りの準備の為にあちこち飛び回り続けていた。

 とはいえ、その準備活動の中に具体的あるいは実務的な内容は――たとえば建築資材の調達や各種の職人の手配、それに図書館の蔵書となる書物の収集などは――一つも含まれていなかった。


 その期間に二人がしたことといえばただ一つ、『図書館巡り』だけなのである。


「兄さんたちにも言ったけど、僕ってば図書館のこと、なんにも知らないからさ。というか、今まで知ろうともしなかったじゃない? 興味なかったしさ」


 だからとにかくそれを知ることからはじめよう!

 そういつも通り元気いっぱいに宣言したユカに、リエッキもまたいつも通り「んじゃ、そうするか」と承諾で応じた。


 三ヶ月間、二人は様々な、実に様々な図書館を見て巡った。

 長い歴史を持つ名門の図書館から、造られたばかりの新興(これから)の図書館まで。大きな街の大きな図書館から、小さな村の小さな図書館まで。名だたる図書館はもちろん、全然名だたらない図書館まで。

 利用者を選ばず万民に開かれた図書館から、貴族の邸宅に設置された個人用の図書室まで。

 変わりどころでは紙の書の代わりに文字の刻まれた石を並べている図書館や、文字を持たない部族の文字のない図書館などにも行った。


「一言で図書館と言っても、世の中にはいろんな図書館があるんだなぁ!」


 そう無邪気に感動したユカの、しかしその見学の仕方もまた、なんとも様々に多様だった。

 ある図書館では一つ一つの書架を巡って内部の構造を隅々まで確かめ、またある図書館では司書を相手が困るほど質問攻めにした。

 このあたりまではリエッキにも理解できたのだが、ある図書館では見学そっちのけで終日(ひねもす)読書に勤しんでみたり、別の図書館では座ったままの姿勢からピクリとも動かずに数時間過ごしていたこともあった。


 極めつけが、森渡りが可能な最寄りの森から数日をかけてようやく辿り着いた図書館でのこと。

 はるばる旅していったこの図書館でユカは、あろうことか入館してすぐに「よし、帰ろう!」と退散を切り出したのだ。

 これにはリエッキも唖然として「期待外れだったのか?」と聞いてもみたのだが、しかしユカは首をぶんぶん横に振りながら「とんでもない! 来てよかったよ!」と答えた。

 興奮醒めやらぬといった口調と態度はまったく言行一致したもので、嘘を言っているようには全然見えなかった。



   ※



 ユカがなにを考えているのかが、リエッキにはわからない。

 どうして急に旅をやめると言い出したのかも、あんなに司書王と呼ばれるのを嫌がっていたのにどうして図書館なのかも。

 方々の図書館で見せた奇妙な振る舞いの数々についても、それに、いざその時になったらどうやって図書館を建てるつもりなのか、金は必要としないというその手段も。


 なにも語られていない。なにも共有されていない。


 だけど、それは全然、構わなかった。


 色の魔法使いに「いいのか?」と眼差しで問われた時、リエッキは「いいんだ」と笑い返した。

 優しい兄の問いかけがあの決闘の夏を、宿敵との対決に熱中するユカが彼女を寂しく置き去りにしてしまったあの盲目の日々を指しているのだとそう(あやま)たず理解して、理解したからこそ、彼女は迷いなく「いいんだ」と答えた。

 答えられた。


 リエッキはユカを信じている。

 あいつはもう絶対にわたしを見失ったりしないと、あの夏の盲目は二度と繰り返されないと、そう、信じるよりも以前に信じている。

 いま目の前にあるいくつもの不明についても、もしもわたしが「これはどういうことなんだ?」と聞けば、あいつは「よくぞ聞いてくれた!」とばかりに話しはじめるはずだ。

 あるいはガキっぽくえへへと笑って、「ナイショ」と答えるかもしれない。だけどその「ナイショ」は前向きなナイショだ。

 わたしを蔑ろにした秘密ではなく、わたしと一緒に日々を楽しむ為の、あるいはわたしを喜ばせる為の、愛すべき内緒の秘密。


 だから、ユカにはなんの問題もない。

 あいつはなんにも悪くない。


 リエッキにとっての問題は、彼女の方からユカになにも聞けずにいること。

 そして、彼女の方からユカになにも話せずにいること。


 最近自分はひどく口数が減っていると、彼女はそう自覚している。

 親友や彼の母親との日々の会話ではすっかり相槌役になってしまったし、あの呪使いや他の親しい人たちを訪ねて行ったときも、会話はほとんど親友に任せきりにしてしまう。


 そしてなにより、一番大切なユカとの会話ですらが減っている。


 親友は変わらず話しかけてくれるのに、彼女から彼に話しかけることは、はっきりと減った。

 話しかけられた時の自分の返答も、以前と比べて膨らみを欠いた無味な響きを(そな)えて感じられた。


 自分の無口の原因もまたリエッキには明白だった。

 彼女は親友に、自分の中の不安や恐怖を伝染させたくなかったのだ。

 だから言葉が重くて、だから声が(しぼ)んだ。


 しかし、どうしようもなかった。

 今となってはもう、彼女は日常の些細なことにいちいち不安を感じずにはいられなくなっている。

 たとえば砂漠に沈む大きな太陽、親友と二人で見た美しいはずの日没の情景を、彼女はふとした瞬間に不吉な暗示のように感じた。移ろいゆく季節に色づく木々の葉を、無邪気に風流だと喜べなかった。

 他にも、くつろぐ山猫たちの並びに見いだした母猫の不在が、いらなくなったと残されていった子供用のおもちゃが、それから、親友の母に見つけた色のない髪の一本が……余さずリエッキの気分を沈ませた。


 自分という存在を、彼女は(すがた)を得て歩き回る憂鬱の化身のように感じている。

 毒の息を吐く邪竜のように、暗い気持ちを言葉に乗せて吐き出す不安の怪物。

 そんな自分から親友を守るために、彼女は無意識のうちに口数を減らしていた。


 そしてその結果、これまでわかちあえていたはずのものを、親友とわかちあえない。

 二人のあいだが濁っている――彼女はそう感じていて、彼女にはそれが辛い。


 だけど、どうしようもない。

 なぜなら濁らせているのは、この自分なのだから。



   ※



 二人の図書館巡りはそれから先もまだ少しだけ続いた。


 見学旅行には純粋な旅としての楽しさも備わっていた。

 様々な図書館の様々な趣向と二人は出会った。盗難防止の為に本を鎖でつなぎ止めている本棚があり、天井間際の絶対に手の届かない梁の中に隠すように収蔵された本があり、それから、害虫退治の専門家として飼われる誇り高き図書館猫がいた。

 それらのすべてを、二人は勉強という観点など忘れ去った地平から、ただまっすぐに面白がった。


「楽しいね」と、ユカがリエッキに笑いかけて、

「楽しいな」と、リエッキもユカに答える。


 いつもと同じ、これまでと同じやりとり。

 けれどリエッキの内部にはわずかな、ほんのわずかな違和感があり、その小さな痛みを彼女は無視できない。


 わたしとユカのあいだが濁っている。わたしが濁らせてしまっている――その拭いがたい意識の中で彼女は、あの夜の国での体験を思い出す。

 ユカと自分、お互いの(あわい)が極限まで澄み切って、言葉すら不要となってわかりあえたあの素晴らしい体験の記憶を、すっかり冷え切ってしまった心の(うち)に灯した。


 そうしたあとで、あんな奇跡はきっともう二度と起こらないんだと気付いて、余計に泣きたくなった。



   ※



 そしてある朝、ユカがリエッキに呼びかける。

 いつものように、ねぇリエッキ、と。


「ねぇリエッキ。理想の図書館には三つの条件があるって、知ってた?」


 ユカはそう切り出して、それから彼女の返事を待たずに、「これは極秘中の極秘なんだけど、君にだけは特別に教えてあげるね」と続けた。


「理想の図書館に必要なものは、まずは静けさかな。やっぱり図書館は静かじゃなくっちゃね。そうじゃないと読書に集中できないもん」


 ユカは三本立てていた指の一つを折って、さらに続けた。


「で、二つ目だけど……本がいっぱいあることだと思ったでしょ? でも違うんだなぁ。正解はね、良い読者と良い司書がいること。これってほんとに重要!」


 二つ目の条件が語られて、二本目の指が折られる。

 残る指は一本となった。


 しかし、三つ目の条件を彼が語りはじめることはなかった。

 ユカは最後の人差し指を立てたまま、にこにこと笑いながらリエッキを見ている。


 親友がなにを期待しているのか、もちろん、彼女には考えるまでもなくわかっている。


「……それで、三つ目の条件はなんなんだ?」


 リエッキがそう聞いてやると、案の定ユカは満足そうな笑みを顔中に広げて。


「えへへ、まだナイショ」


 それは、いつかのリエッキの予想を完璧になぞった反応だった。


 それから、呆気にとられてポカンとしているリエッキに向かって、ユカは告げる。

 宣言する。


「図書館巡りは昨日で終わりだ。もはや準備は万端整った。

 だからいよいよ、今日これから、僕たちの図書館を創りにいこう!」


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