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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
■ 七章 その大役を君が引き受けてくれるなら

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■2 いいトシした大の男はえへへとは笑わん。

 遠くまで来たね、と。

 そう言われたのは、船乗りたちにさよならを告げた日のことだった。


   ※


 航海の終わりからしばらくの間は、船乗りたちもまた森に逗留した。

 司書王とともに偉業を成し遂げた海の男たちは、全員が彼の故郷たる不思議の森に滞在し、連日連夜の宴会を含む『歴史的大航海』の事後処理に日々を過ごした。


 息子が連れ帰った男たち、潮風の匂いをまとった二十八人を、骨の魔法使いは迷惑な顔ひとつせずに受け入れてくれた。

 彼らは以前にもこの森を訪れたことがあった。航海の最中に発見した未知の大陸からの森渡りで。

 だから、集団の人柄はこの母にもすでに知れていたし、それになにより、彼らの発する賑々しい活力が森に生じてしまった不在と欠落を穴埋めしてくれる、そのことを彼女は歓迎しているようだった。


 森を去る日、船員たちはひとりずつ順番に彼女と別れの抱擁を交わした。

 骨の魔法使いを含む全員が目に涙を浮かべながら。



 ユカとリエッキが同じように彼らと抱き交わしたのは、最初に彼らを雇用した港街でだった。



 長かった旅が終わりを迎えた、たぶん、これがその本当の瞬間だった。

 ともかくそのようにして、二人は家族であり戦友である男たちとさよならをしたのだった。


 ユカが最初に宣言したように、誰一人欠けることなく大航海から帰還した船長以下二十八名。

 その後、彼らは『司書王の水夫』を名乗って組合を組織し、航海史に刻まれる三つの偉業を含む大仕事をいくつも成功させることになる。


 だがそれは、この時点の二人には知りようもない未来の話である。


「ねぇリエッキ」


 船乗りたちと別れた帰り道、いつものようにユカがリエッキの名前を呼ぶ。


「ずいぶん遠くまで行ってきたね」


 その台詞は、以前にも旅の区切りに彼が彼女にかけた言葉だった。

 だから、リエッキもまたその時と同じ台詞で返事をした。


「……うん、そうだな」


 返事をした途端、並んで歩く隣から嬉しそうな気配が伝わってきた。


 わかっている。話しかけて、応えが得られる。それはとても嬉しいことなのだ。

 ただそれだけで嬉しいのだと、それだけのことが心を満たすのだと、リエッキはそうを知っていた。


 もうずっと昔に彼女はそれを知ったのだった。

 彼女と親友が出会ったあの日、ふたりがまだ等しく子供でいられたあの頃。


「ねぇリエッキ」


 それからもう一度、さっきと同じようにユカがリエッキを呼んだ。

 親友は再び彼女の名前を呼んで、そして言った。


「なんだか、ずいぶん遠くまで来ちゃったね」


 リエッキは返事をしようとして――しかし、できなかった。


 並んで歩く親友に、リエッキは『そうだな』と言えない。

 遠くまで来たという彼の言葉が、移動してきた距離だけではなく、あの日からの時間のこともまた指しているのだと理解して。

 だから、自分が彼と一緒に『来られた』のか、全然確信が持てなくて。

 そして、いつまでこんな風に足並みを揃えて歩き続けられるのかと、どこまで彼と一緒に行けるのかと、そんな不安に駆られて。


 彼女は、だからこのとき、ただ曖昧に(うなず)くのが精一杯だった。



   ※



 船乗りたちが残していったものが、二つあった。

 一つは十数冊に及ぶ文書である。

 その内訳は、まずはじめに航海記と航海日誌。船長と航海士が船上で日々綴っていた二種類の記録が、それぞれ数冊分。

 それから、船を下りたあとで船員たちが記憶を持ち寄って作った見聞録が、こちらもまた数冊。


 そして、これらの書と並んで語られるべきもう一つが、船である。

 丸一年に及ぶ過酷な航海を立派に支えきった木造帆船(もくぞうはんせん)

 たった一隻で未知の大洋を航りきって世界の真実を解き明かした、あの愛すべきおんぼろ船。


 書の方はともかく、船までが残されたのはまるっきり想定外だった。

 そもそも誰の手元にも残らないはずだったのだ。

『旅の目的である世界の果てを確認次第、すぐさま最寄りの陸地までとって返し、そこからは森渡りで帰還する』

 これが本来の手筈てはずであり、この計画の中で船は乗り捨ての置き去りが大前提。

 なればこそ、船乗りたちに払った莫大な前金には船の代金も含まれていたのだ。


「例の船だが、いらんのならこちらで引き取るぞ」


 左利きがそう切り出したのは、船乗りたちと別れた翌日のことだった。

 旅の終わりと新たな出発の報告を兼ねて詛呪院(そじゅいん)を訪れたユカとリエッキの機先を制して(というか二人が世間話に本題を忘れている間に)、彼はその話題を持ち出した。


 この申し出は、正直願ってもないことだった。

 限界を超えた航海で船は損耗の限りに損耗しており、もはや再びの就航(しゅうこう)は不可能。

 とはいえ、ユカとリエッキにとっては愛着もまたひとしおで、解体したり沈めたりしてしまうのは忍びなかったのだ。


「やれありがたや! 君に任せたらちゃんとご供養してくれそうだ!」


 ユカは手を叩いてこの提案を受け入れ、処分にかかる費用はもちろんこっちで払わせてもらうよ、と付け足した。


「でっかい冒険のあとで素寒貧(すかんぴん)だけど、そのくらいのお金はまだ残ってるからね」

「阿呆、処分などするか。壊さないしてないし、したがって供養もせん」

「はて?」


 それじゃどうするの? とはてな顔のユカに。

 左利きは、残すのだ、と答えた。


「あの船は価値のある船だ。今この時ではなく、未来にとって大いなる価値のある。だからその未来が来るまで厳重に保存し、遺産として残すのだ」


 だから金も、貴様が払うのではなく、我々が貴様に払うのが筋だ。

 そう締めくくった左利きに、ユカとリエッキは揃って感歎(かんたん)の声をあげた。


「君ってば、次から次に、いろんなことを考えてるんだなぁ」

「次から次にやっていかなければ追いつかんからな。前にも言っただろうが、人の一生はそう長くないのだ。やりたいこともやらねばならんことも私にはまだまだ山ほどある。

 この十年で呪使いの組織改革は上手くいったが、もう一つの宿願である『魔法ではない神秘の獲得』の方はとっかかりすら得られていないような有様だしな」


 ぼんやりしている時間など、人生には少しもない。

 そうため息交じりに言い切った左利きに、ユカが「うーん、えらいなぁ」とまたも素直に感心する。


 だが、リエッキは。


 彼女の心はこの時、左利きが発した言葉の一つに、ひどく揺れ動いていた。

 前にも聞いた言葉。前から胸に突き刺さっている言葉。

 『人の一生は長くない』。


 人の、人間の。


「それで、貴様らの方はこれからどうするのだ?」


 というか、今日はその話をしに来たのではないのか?


 そう左利きに促されたユカが、訊かれるまですっかり忘れていたくせに、「よくぞきいてくれた!」と胸を叩いて立ち上がる。


「あのね、図書館を作ろうと思うんだ!」

「……はあ?」


 再確認でもなければ詳細の要求でもなく、ひとえに『なに言ってんだこいつ?』の『はあ?』だった。


 左利きのこのすげない反応に、しかしユカは少しもめげず、というよりそこにある冷たい温度になど気付きもせずに、自信満々に続けた。


「図書館を作ってね、これからの余生をそこですごそうと思うんだ。それも、どうせなら普通の図書館じゃなくて、天下無双の世界一の図書館がいいな」


 なんせ僕は司書王だからね! と胸を張るユカ。


 左利きが、助けを求めるようにリエッキに視線を寄越す。

 そんな彼に、リエッキは肩をすくめて首を振った。

 ユカの考えることなんてこのわたしにだってわからない、そう態度で示した。


「……どういう複雑怪奇な風の吹き回しを経たらそうなるのだ?」

「えへへ。まぁ僕ももういい年齢だからね。いつまでも旅に生き旅を住処としてはいられないかなって。いわゆるつい棲家(すみか)? そういうのを夢見るお年頃なのです」

「いいトシした大の男はえへへとは笑わん」

「わはは」

「わははとも笑わん。だいたい貴様、司書王と呼ばれるのをあんなに嫌がってただろうが? なのに司書王だから図書館? まるっきり解せんぞ」

「まぁそう呼ばれ出してからすでに何年も経つしね。それにほら、僕は物語師だからさ。『司書王という物語』をこの身に受け入れてみるのもまた一興かなって」

「物語師、それだ。旅芸人の貴様が旅をやめてしまって、いったい誰に語るのだ? まさか物語ることまでやめてしまうつもりか?」

「もしも相手がそれを望んでくれるなら、図書館を尋ねてくるお客さんに向かって譚るさ。それにね」


 そこでユカは言葉を止めて、座っているリエッキの手を引いた。


「大丈夫。だって僕にとって最高の聴衆は、いつだってそばにいるんだもん」


 立ち上がった彼女の肩を抱いて、子供の時から変わらない笑顔で彼は言った。


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― 新着の感想 ―
一緒に老いることのできないリエッキは、これから図書館でユカとどんな時を過ごしていくんだろう。 たくさんの冒険を共にした記憶。一体感が読者の中にも降り積もって居ます。 続きをお待ちしてます
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