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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
■ 六章 司書王

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■11/了 だって家族のことですから。


「この森のどこにも、あの子が、カルメがいない! 見つからない!」


 いまにも泣き出しそうな声でリエッキは牛頭に叫んだ。

 焦燥に駆られながら、リエッキはなおも森へと感覚を研ぎ澄ませる。


「いない、いない、いない……どこだ、どこだ、どこだ……」

「……リエッキさん、落ち着いて」


 牛頭が努めて冷静な声で言った。

 彼自身ひどく動揺していたが、しかしそれを表に出せば余計にリエッキを不安にさせると知って、懸命に自分を律していた。


 だがそんな家族の言葉も、今の彼女には少しも届いていなかった。


「いない、いない、いない」

「リエッキさん、お願いだから落ち着いて。ね?」

「いないいない、いないいないいないイナイ!」


 一秒ごとに加速する焦燥。際限なく千切れては乱れる思考。

 見つからないことへの悲しみと怒り。

 深まり続ける不安とそして――恐怖。


「こんなに、こんなに探してるのに、なんで見つからないんだよ!」

「大丈夫、大丈夫ですから」

「うるさい! なにが大丈夫なもんか! お前なんかになにがわかるっていうんだ!」


 湧き上がる怒りを牛頭にぶつけて怒鳴った。完全な八つ当たりだったが、それが八つ当たりであることにすら今の彼女は気付けない。


 焦燥、混乱、不安、悲しみ、怒り、そして恐怖……。

 恐ろしかった。考えまいとすればするほど浮かんでくる『もしも』の考え。

 そしてその『もしも』に目を向けてしまった瞬間、すべての感情が憎悪の親となる。


「……許せない……よくも、よくもわたしからあの子を……」


 対象を絞れぬ世界すべてへの被害妄想で、心が黒く蝕まれていく。

 そうして、番人の瞳が人のものから竜のそれへと変わりはじめた、その時。


「落ち着きなさい!」


 静かな図書館に乾いた音が響き、頬に鋭く痛みが走った。


 熱を持った頬を押さえながら、自分に平手を打った牛頭をリエッキは見た。

 精神の暴走が驚きによって制止された。

 その一瞬の凪間に潜り込むように、牛頭がリエッキの肩に手を伸ばした。


「いいですか。カルメは絶対に無事です、大丈夫です」


 彼女の肩に手を置いて、諭すような声で悪魔は言った。


「だってあの子に危険が迫ったら、リエッキさんがそれに気付かないわけないじゃないですか? そうでしょう?」

「でも……」

「信じてください。私にはわかるんです」


 大切な家族のことですから、と牛頭は言った。

 いつかと同じように。


 いつかと同じように、荒れ狂っていた心が静けさを取り戻すのがわかった。


 番人の感覚になにかが走ったのは、その数秒後のことだった。


「あ……」

「ん?」

「いた……」


 さっきまでどこをどう探しても見つからなかったカルメの気配が、唐突に森の中に現れたのだった。

 それも、図書館からそう遠くない場所に。


 悪魔と竜は揃って息をついた。

 今度は安心で腰が抜けそうになっていた。なんでもないようにやれやれと肩をすくめる牛頭も、よく見れば冷や汗をかいている。


「それじゃあ、お迎えに行きましょうか」


 カルメを迎えに行くために二人は揃って歩きはじめた。




「……牛頭、さっきはごめん」


 歩き出して少ししてから、リエッキは後ろをついてくる牛頭に言った。


「あんたのことを『なんか』なんて、思ってないよ」


 珍しく素直なリエッキの謝罪に、牛頭は楽しそうに笑って。


「そんなのちゃんとわかってますよ」


 だって家族のことですから。もう一度そう言われたような気がした。




   ※



 夕暮れ時だった。頭上をひらかれた森道は差し込む残照に赤く染まっている。

 その道の向こうから、なにか荷物を抱えて歩いてくる少女の姿があった。


「カルメ!」


 気づいた時には走り出していた。走って、リエッキはカルメを抱きしめる。


「? リエッキ、どうしたの?」


 必死のリエッキとは対称的に、状況のわからないカルメはむしろぽかんとしている。


「バカ! どうしたのじゃないだろ!」


 抱きしめる手と腕に無意識に力がこもった。

 カルメが痛い痛いと抗議するが、リエッキは力を弱めなかった。


「心配かけやがって! いったいどこに行ってたんだよ!」

「?? あたし、ずっと森にいたよ?」

「「……はぁ?」


 疑問符を顔一杯に貼り付けたリエッキに、カルメもまたはてなの顔を向ける。


「ずっと森にいたって……そんなわけあるか! 嘘言ったってわかるんだぞ!」

「嘘じゃないもん! あたし森にいたもん!」


 互いに互いの事情を飲み込めぬまま水掛け論が交わされる。

 ……と、その後で、カルメが突然「あっ!」と声をあげた。


「森だけど、ここじゃない森だった」

「ここじゃない森って……」


 少女の意味不明な言葉に、思わず手の力が緩む。

 その隙を突いて素早く抱擁から抜け出したカルメは。


「これ、リエッキにお届け物」


 そう言って、手にしていた荷物をリエッキに差し出した。


 渡されたのは古ぼけた衣服だった。

 控えめな色合いの男物の外套マント


 それがなんであるのか気付いた時、今度はリエッキが「あっ」と声をあげた。


 外套にはあちこち染料の色染みが付着していたのだ。


「それでね、あたしはね、お届け物のお礼にこれもらったんだ!」


 唖然としているリエッキに、カルメは得意げな顔で自分の戦利品を披露する。

 少女の手の中にあるのは、純白のどんぐりだった。


 その瞬間、忘れていた記憶が蘇り、追憶が理解を及ぼした。


「……そういうことだったのか」


 世界中の森を漂泊ひょうはくしているという、不思議な五つの森。

 その一つは、白い女王が治める白い森なのだ。


「……あの妖精の森が、この森に来ていたのか……」


 呟くように言ったその後で、リエッキはいましがた渡された外套に視線を落とす。


 それはかつて、彼女の大好きだった人間が愛用していた品だ。

 その人物はいつでもこの外套を身につけていた。

 これは夏の暑さから冬の寒さからも守ってくれるんだと、これがあれば大切な人を包み込むこともできるんだと、そう言って。


「……そうだ、思い出した。あの二人は、人生の最後を妖精界で過ごしたんだ」


 あの二人。外套の持ち主だった彼女の兄と、その妻であった彼女の姉。


「あ、それとね」


 そのとき、またもなにかを思い出したというようにカルメが言った。


「どんぐりくれた白いお姉ちゃんから、もう一つ、リエッキに伝言だって」

「……伝言?」

「うん。『そろそろご褒美は決まったか竜に聞いて』って、そう言われた」


 あのね、ずっと待ってたんだって。もう待ちくたびれたって言ってたよ?

 そう無邪気に話すカルメの声に、リエッキの内側でもう一つ記憶が蘇る。


『しばらくったらしばらくだよ。何年とか何十年とか、でなきゃ何百年とかだ』


「は、はは、あははははは!」


 思わず笑い出していた。

 おかしくておかしくて、笑わずにはいられなかった。


「まったく、これだから妖精は嫌なんだ」


 彼女がそう独りごちた時、傍らでは牛頭がカルメになにか言っていた。

 リエッキにはわからない魔族の言葉で。


 カルメが魔族の言葉を覚えはじめてから、悪魔と少女はこうしてしばしば、リエッキの面前で公然と内緒話を交わすようになっていた。

 そして今回、内緒話の内容は、どうやらお説教だったらしい。


「……リエッキ、心配かけてごめんなさい」


 カルメがしょんぼりした様子でリエッキに謝ってくる。

 そのカルメを、リエッキは素早く捕まえる。

 抱きしめる。


「なるほどな。確かに、ここじゃない森の中まではわたしも探せないはずだ。……別のどこかに迷い込まれたら、いくら竜だって宝を見失っちまうさ」


 再びの抱擁攻撃にカルメがわざとらしい悲鳴をあげる。

 リエッキは攻撃の手を緩めない。

 そんな二人の様子を、牛頭はいつものように微笑んで見つめている。


「おいガキンチョ、いい子にしてたら、ご褒美の権利はあんたにやってもいいぞ」

「ほんと!?」


 反省の態度などどこ吹く風と目を輝かせるカルメに、「ああ、ほんとだ」とリエッキは言って、優しくその髪を撫でて。


「だからいっぱい遊んで、いっぱいお勉強して、立派な大人になるんだぞ」


 そうしていつかは、本当にこの森から――。


 夢ではないこの現実にもたらされた、一番大切な宝物。

 その存在を五感の全部で感じながら、同時に、いつかこの宝を手放す日が来ることを彼女は考える。


「……立派な大人になるんだぞ」


 いつかの未来に思いを馳せながら、だけど今はまだもう少しだけと、竜は抱きしめる腕に力を込めた。




●━━━━━━━━━━━━━━━━━━●





「この旅が終わったらさ、どこか僕たちだけの場所を見つけて、一緒にそこで暮らさない? 相応しい場所に根を下ろして、ふたりでそこに生活を営むんだ」

「相応しい場所に根を下ろしてって……」


 本気か? とリエッキは親友に聞いた。

 本当は「正気か?」と聞きたかったのかもしれない。


 かつて左利きはユカについて『一つ処に落ち着いて生活する貴様など想像もつかん』と言ったものだったが、リエッキもまったく同意見だった。

 物語師という生業なりわい的にもまた本人の性格的にも、一カ所に定住するユカなんて想像もつかない。


 しかし怪訝けげんを極めたリエッキの問いかけに、ユカはあっさりと肯定の返事を返す。

 元気よく「うん!」とうなずいて、それから「僕ももういい年齢トシだからね」と、良いトシをした大の男はあまり見せないガキっぽい表情で続けた。


「……相応しい場所って、たとえばどんなだ?」


 言いたいことは山ほどあったけれど、リエッキは試しにそう聞いてみた。


 すると、ユカはわざとらしく考える素振りを見せて。

 それから。


「そうだ! こういうのはどうだろう!」


 さも今この場で思いついたというように、きっと以前から暖めていたのであろう考えを披露した。


「司書王の住み処なんだから、図書館なんていいんじゃないかな?」



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― 新着の感想 ―
[良い点] 久しぶりの更新からワクワクしながらみてました。前まで10代ぐらいだと感じてたユカが、いつのまにか三十路になってて物語の終わりを感じ初めてます(´•̥_•̥`) リエッキがカルメに対して親心…
[一言] 旅を終えて図書館に住む、遂に終わりが近くなってきましたね。 悲しみが癒えてきても未だ失う恐怖は根強いのが心配になります。 次の章も楽しみにしています。
[一言] 森を渡る魔法でも使えるようになってしまったかと思ったら、森が移動して来てましたΣ ユカを亡くした時のこびり付いた焦燥が、カルメの死をイメージから蘇ってしまったか、酷く取り乱して... 了の文…
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