■11/了 だって家族のことですから。
「この森のどこにも、あの子が、カルメがいない! 見つからない!」
いまにも泣き出しそうな声でリエッキは牛頭に叫んだ。
焦燥に駆られながら、リエッキはなおも森へと感覚を研ぎ澄ませる。
「いない、いない、いない……どこだ、どこだ、どこだ……」
「……リエッキさん、落ち着いて」
牛頭が努めて冷静な声で言った。
彼自身ひどく動揺していたが、しかしそれを表に出せば余計にリエッキを不安にさせると知って、懸命に自分を律していた。
だがそんな家族の言葉も、今の彼女には少しも届いていなかった。
「いない、いない、いない」
「リエッキさん、お願いだから落ち着いて。ね?」
「いないいない、いないいないいないイナイ!」
一秒ごとに加速する焦燥。際限なく千切れては乱れる思考。
見つからないことへの悲しみと怒り。
深まり続ける不安とそして――恐怖。
「こんなに、こんなに探してるのに、なんで見つからないんだよ!」
「大丈夫、大丈夫ですから」
「うるさい! なにが大丈夫なもんか! お前なんかになにがわかるっていうんだ!」
湧き上がる怒りを牛頭にぶつけて怒鳴った。完全な八つ当たりだったが、それが八つ当たりであることにすら今の彼女は気付けない。
焦燥、混乱、不安、悲しみ、怒り、そして恐怖……。
恐ろしかった。考えまいとすればするほど浮かんでくる『もしも』の考え。
そしてその『もしも』に目を向けてしまった瞬間、すべての感情が憎悪の親となる。
「……許せない……よくも、よくもわたしからあの子を……」
対象を絞れぬ世界すべてへの被害妄想で、心が黒く蝕まれていく。
そうして、番人の瞳が人のものから竜のそれへと変わりはじめた、その時。
「落ち着きなさい!」
静かな図書館に乾いた音が響き、頬に鋭く痛みが走った。
熱を持った頬を押さえながら、自分に平手を打った牛頭をリエッキは見た。
精神の暴走が驚きによって制止された。
その一瞬の凪間に潜り込むように、牛頭がリエッキの肩に手を伸ばした。
「いいですか。カルメは絶対に無事です、大丈夫です」
彼女の肩に手を置いて、諭すような声で悪魔は言った。
「だってあの子に危険が迫ったら、リエッキさんがそれに気付かないわけないじゃないですか? そうでしょう?」
「でも……」
「信じてください。私にはわかるんです」
大切な家族のことですから、と牛頭は言った。
いつかと同じように。
いつかと同じように、荒れ狂っていた心が静けさを取り戻すのがわかった。
番人の感覚になにかが走ったのは、その数秒後のことだった。
「あ……」
「ん?」
「いた……」
さっきまでどこをどう探しても見つからなかったカルメの気配が、唐突に森の中に現れたのだった。
それも、図書館からそう遠くない場所に。
悪魔と竜は揃って息をついた。
今度は安心で腰が抜けそうになっていた。なんでもないようにやれやれと肩をすくめる牛頭も、よく見れば冷や汗をかいている。
「それじゃあ、お迎えに行きましょうか」
カルメを迎えに行くために二人は揃って歩きはじめた。
「……牛頭、さっきはごめん」
歩き出して少ししてから、リエッキは後ろをついてくる牛頭に言った。
「あんたのことを『なんか』なんて、思ってないよ」
珍しく素直なリエッキの謝罪に、牛頭は楽しそうに笑って。
「そんなのちゃんとわかってますよ」
だって家族のことですから。もう一度そう言われたような気がした。
※
夕暮れ時だった。頭上を拓かれた森道は差し込む残照に赤く染まっている。
その道の向こうから、なにか荷物を抱えて歩いてくる少女の姿があった。
「カルメ!」
気づいた時には走り出していた。走って、リエッキはカルメを抱きしめる。
「? リエッキ、どうしたの?」
必死のリエッキとは対称的に、状況のわからないカルメはむしろぽかんとしている。
「バカ! どうしたのじゃないだろ!」
抱きしめる手と腕に無意識に力がこもった。
カルメが痛い痛いと抗議するが、リエッキは力を弱めなかった。
「心配かけやがって! いったいどこに行ってたんだよ!」
「?? あたし、ずっと森にいたよ?」
「「……はぁ?」
疑問符を顔一杯に貼り付けたリエッキに、カルメもまたはてなの顔を向ける。
「ずっと森にいたって……そんなわけあるか! 嘘言ったってわかるんだぞ!」
「嘘じゃないもん! あたし森にいたもん!」
互いに互いの事情を飲み込めぬまま水掛け論が交わされる。
……と、その後で、カルメが突然「あっ!」と声をあげた。
「森だけど、ここじゃない森だった」
「ここじゃない森って……」
少女の意味不明な言葉に、思わず手の力が緩む。
その隙を突いて素早く抱擁から抜け出したカルメは。
「これ、リエッキにお届け物」
そう言って、手にしていた荷物をリエッキに差し出した。
渡されたのは古ぼけた衣服だった。
控えめな色合いの男物の外套。
それがなんであるのか気付いた時、今度はリエッキが「あっ」と声をあげた。
外套にはあちこち染料の色染みが付着していたのだ。
「それでね、あたしはね、お届け物のお礼にこれもらったんだ!」
唖然としているリエッキに、カルメは得意げな顔で自分の戦利品を披露する。
少女の手の中にあるのは、純白のどんぐりだった。
その瞬間、忘れていた記憶が蘇り、追憶が理解を及ぼした。
「……そういうことだったのか」
世界中の森を漂泊しているという、不思議な五つの森。
その一つは、白い女王が治める白い森なのだ。
「……あの妖精の森が、この森に来ていたのか……」
呟くように言ったその後で、リエッキはいましがた渡された外套に視線を落とす。
それはかつて、彼女の大好きだった人間が愛用していた品だ。
その人物はいつでもこの外套を身につけていた。
これは夏の暑さから冬の寒さからも守ってくれるんだと、これがあれば大切な人を包み込むこともできるんだと、そう言って。
「……そうだ、思い出した。あの二人は、人生の最後を妖精界で過ごしたんだ」
あの二人。外套の持ち主だった彼女の兄と、その妻であった彼女の姉。
「あ、それとね」
そのとき、またもなにかを思い出したというようにカルメが言った。
「どんぐりくれた白いお姉ちゃんから、もう一つ、リエッキに伝言だって」
「……伝言?」
「うん。『そろそろご褒美は決まったか竜に聞いて』って、そう言われた」
あのね、ずっと待ってたんだって。もう待ちくたびれたって言ってたよ?
そう無邪気に話すカルメの声に、リエッキの内側でもう一つ記憶が蘇る。
『しばらくったらしばらくだよ。何年とか何十年とか、でなきゃ何百年とかだ』
「は、はは、あははははは!」
思わず笑い出していた。
おかしくておかしくて、笑わずにはいられなかった。
「まったく、これだから妖精は嫌なんだ」
彼女がそう独りごちた時、傍らでは牛頭がカルメになにか言っていた。
リエッキにはわからない魔族の言葉で。
カルメが魔族の言葉を覚えはじめてから、悪魔と少女はこうしてしばしば、リエッキの面前で公然と内緒話を交わすようになっていた。
そして今回、内緒話の内容は、どうやらお説教だったらしい。
「……リエッキ、心配かけてごめんなさい」
カルメがしょんぼりした様子でリエッキに謝ってくる。
そのカルメを、リエッキは素早く捕まえる。
抱きしめる。
「なるほどな。確かに、ここじゃない森の中まではわたしも探せないはずだ。……別のどこかに迷い込まれたら、いくら竜だって宝を見失っちまうさ」
再びの抱擁攻撃にカルメがわざとらしい悲鳴をあげる。
リエッキは攻撃の手を緩めない。
そんな二人の様子を、牛頭はいつものように微笑んで見つめている。
「おいガキンチョ、いい子にしてたら、ご褒美の権利はあんたにやってもいいぞ」
「ほんと!?」
反省の態度などどこ吹く風と目を輝かせるカルメに、「ああ、ほんとだ」とリエッキは言って、優しくその髪を撫でて。
「だからいっぱい遊んで、いっぱいお勉強して、立派な大人になるんだぞ」
そうしていつかは、本当にこの森から――。
夢ではないこの現実にもたらされた、一番大切な宝物。
その存在を五感の全部で感じながら、同時に、いつかこの宝を手放す日が来ることを彼女は考える。
「……立派な大人になるんだぞ」
いつかの未来に思いを馳せながら、だけど今はまだもう少しだけと、竜は抱きしめる腕に力を込めた。
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「この旅が終わったらさ、どこか僕たちだけの場所を見つけて、一緒にそこで暮らさない? 相応しい場所に根を下ろして、ふたりでそこに生活を営むんだ」
「相応しい場所に根を下ろしてって……」
本気か? とリエッキは親友に聞いた。
本当は「正気か?」と聞きたかったのかもしれない。
かつて左利きはユカについて『一つ処に落ち着いて生活する貴様など想像もつかん』と言ったものだったが、リエッキもまったく同意見だった。
物語師という生業的にもまた本人の性格的にも、一カ所に定住するユカなんて想像もつかない。
しかし怪訝を極めたリエッキの問いかけに、ユカはあっさりと肯定の返事を返す。
元気よく「うん!」と肯いて、それから「僕ももういい年齢だからね」と、良いトシをした大の男はあまり見せないガキっぽい表情で続けた。
「……相応しい場所って、たとえばどんなだ?」
言いたいことは山ほどあったけれど、リエッキは試しにそう聞いてみた。
すると、ユカはわざとらしく考える素振りを見せて。
それから。
「そうだ! こういうのはどうだろう!」
さも今この場で思いついたというように、きっと以前から暖めていたのであろう考えを披露した。
「司書王の住み処なんだから、図書館なんていいんじゃないかな?」




