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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
■ 六章 司書王

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■4 悲しみはまだありますか?

 また別の日、また別の午後のことだった。


「――あ、リエッキ」

「……うん、わかってる」


 お絵かきの手を止めて顔をあげたカルメに、リエッキがさっとうなずく。

 ひとりだけ何も感じなかった牛頭だったが、しかし察しのいい彼のこと、すぐに表情を引き締めた。


 この竜とこの少女だけが感じ取れる異変、そんなのはひとつしかない。


「……はん。二、三年ぶりだな。お客さんが来たのは」


 お客さん――すなわち、侵入者のおでましだった。

 立ち上がった時、すでにリエッキの表情は保護者から番人のそれへと変わっていた。

 背中の二人に「行ってくる」と言い残して彼女は歩き出す。


 しかし、数歩歩いたところで、不意に立ち止まった。


 立ち止まり、振り返り、リエッキは牛頭とカルメに聞いたのだった。


「……おい、暇ならあんたらも一緒に来るか?」



   ※



 久しぶりの客、二年あるいは三年ぶりに現れた侵入者たちは、これまでに撃退してきたすべての賊と同じ反応を示した。

 戦利品たる書物の海を陶然(うっとり)と眺めていた彼らは、番人たる彼女の登場を驚きをもって迎え、しかしすぐにその驚きを侮りで上書きする。

 判で押したように同じ展開。幾度となく繰り返されたやりとり。


 だが今回は、そこから先のなりゆきがいつもと違っていた。


「やぁやぁやぁ、みなさま、まずはようこそいらっしゃいました」


 そう賊たちに語りかけたのはリエッキではなく牛頭だった。

 胡乱うろんな美丈夫の歓迎口調に返されたのは「ああ? なんだてめえ?」という当然といえば当然の(すい)()


「私はこの図書館の執事みたいなもんです。……え、あんたは執事なんてたいそうなもんじゃないだろって? ふんだ、じゃ家政夫でいいですよ。……あ、すいません話が横道に。ええとそれで、皆様は盗賊さんですよね? ここの蔵書をお宝とみなして一切合切いっさいがっさい略奪しちゃおうって、そういうやくざな考えをお持ちの方々ですよね?」


 にこやかにそして饒舌に繰り出される問いかけに侵入者たちは戸惑い、戸惑いつつも答えを返した。

 おうそうだ、それがどうかしたか。


「はい、承知いたしました。でもその前に……さ、リエッキさん、どうぞ」


 牛頭の合図と同時に、リエッキは竜の本性を解き放つ。


 瞬き数回の間に、侵入者たちの前から赤い髪の美女は姿を消して。

 かわりに、赤い鱗と金色の瞳の竜がその場に現れていた。


「あらためてご紹介させていただきます。こちらが当図書館の番人でございます」


 やはりにこやかに牛頭は言って、それから。


「ね、勝てると思います? 皆さんみたいな破落戸(ごろつき)が、この図書館のドラゴンに?」


 牛頭の問いに、侵入者たちが揃って首を振る。ぶんぶん振る。


「でも一応、()ってみます? 死んでもともと、死なば諸共もろとも、挑戦してみます?」


 再び横に振られる首たち。全員が必死の形相で、涙まで浮かべて。


「じゃ、おとなしく帰ってくれますよね?」


 人数分の首が今度は縦に振られて、振られたと同時に全員が逃げ出した。



「はん」とリエッキが鼻を鳴らした。見下げた顔で侵入者たちの背中を見送りながら。

「はん」とカルメも鼻を鳴らした。こちらは勝利を誇るように胸を張り腰に手を当て。

 牛頭は苦笑しいしい肩をすくめてみせた。


 かくして侵入者たちは撃退された。血の一滴として流されぬまま。


「……一つ手順を入れ替えただけでこれほど呆気なく事が済んじまうとはな。警告する前に竜の姿を見せるだけで……拍子抜け過ぎていっそ感動すらしてるよ」

「私としては百年もそれに気づかなかったことに呆れて感動してますよ。リエッキさんって変なところで間が抜けているというか、案外阿呆なとこがあるというか……」

「おいおいどうした? 喧嘩売ってるなら買ってやるぞ?」


 牛頭の命知らずの軽口に、侵入者の代わりにあんたが血をぶちまけるか? と凄むリエッキ。

 大人たちの繰り広げる茶番にカルメがきゃらきゃらと声をあげて笑う。


「リエッキ、かっこよかった! 強くて、大きくて、かっこよかった!」

「はん、そいつぁどうも。……今回強いところは一個も発揮してないけどな」

「あたしもねぇ、大きくなったらねぇ、大きくて強くてかっこよくなるんだ!」

「……うん、そうだな。そのためにもお勉強をしっかり頑張らないとな」


 リエッキはカルメの髪に手をやる。愛情に貫かれながら竜は少女の髪を撫でる。

 その様子を、優しい悪魔は何も言わずに、ただ尊いものを見る目で見守っていた。


 それからカルメはリエッキの腕を引き、いっしょにお絵かきしよ! と誘った。わたしは下手くそだからいいとリエッキが言うと、だったら自分が教えてあげると少女は言い張った。

 そうして返事も聞かずに図書館の奥へと駆けだした。


 走り去る後ろ姿を見送りながら、竜と悪魔は顔を見合わせて笑い合った。


「あのがきんちょ、まだわたしの後釜を狙ってやがるらしい」

「ええ、揺籃(ようらん)の決意はまだまだ有効です」


 おかげでお勉強もやる気いっぱいで助かってます、と教師役の悪魔は微笑む。


 そのあとで、牛頭は不意に声の調子を変えて続けた。


「だから、ですか? だから今日は番人の現場を見学させたのですか?」

「……別に、そういうわけじゃない。ただ気が向いただけだ」


 誤魔化すように目をそらしたリエッキに、ねぇリエッキさん、と牛頭。


「さっきはああ言いましたが、あなたは間抜けでも阿呆でもありませんよ」

「はぁ? 藪から棒になん――」

「リエッキさんの中に、悲しみはまだありますか?」


 出し抜けに突きつけられた問いかけが、リエッキから言葉を奪い去った。


「あなたは間抜けでも阿呆でもありません」


 牛頭はもう一度言った。


「だから、本当はもうとっくに気づいていたはずです。こうすれば無駄な血は流れないと、無意味な殺戮は不要だと。気づいていて、しかしリエッキさんは百年それをしなかった」


 リエッキは何も言わない。牛頭は続ける。


「百年ものあいだ眠らせていた気づきを、今、あなたは実践した。それはきっと、リエッキさんの中の何かが変わったのでしょう。

 ……あるいは、癒やされたのでしょう」


 リエッキは何も言わない。なにも言えない。


「リエッキさんの中で、百年間癒やされなかったなにかが癒やされている」


 と牛頭。


「なのに、リエッキさんはそのことに苦悩しているのではないですか? 百年間付き合ってきた悲しみがなくなってしまうことに、あなたは――」

「み、見透かしたようなこと言いやがって! そんなこと、なんであんたに!」


 ほとんど激昂した剣幕で反論するリエッキ。

 そんな彼女に、牛頭は柔らかく笑んで。


「わかりますよ。だって、大切な家族のことですもの」


 リエッキの中で急速に膨れ上がったものが、膨れ上がった時と同じ速さでしぼんだ。



「ねぇリエッキ! なにしてるの! はやく、はやく来て!」


 そのとき、いつまでも戻ってこない二人にしびれを切らせたカルメがそう叫んだ。


「はいはい! いま行くよ!」


 叫び返して、リエッキは牛頭を見る。目と素振りで子育ての苦労を分かち合う。

 さっきまでの会話は、ひとまずなかったことにして。


「やれやれ、最近は一人遊びが上手になったと思ってたのに、長旅から帰ってきてからこっち、やたらべったりしたがる」

「まぁまぁ、仕方ありませんよ。なにせ一ヶ月もリエッキさんと離れてたのは、あの子にとっては生まれてはじめてのことなんですから」

「別にあのガキンチョは産まれた時からわたしと一緒にいたわけじゃないだろうが」


 歩き出しながら言ったリエッキに、背後から牛頭が「いいえ」と応えた。


「いいえ、カルメは生まれた時からリエッキさんと一緒でしたよ。あの子はこの図書館で生まれたんです。あの子の人生は、この図書館からはじまったんです」


 振り返って見たわけではなかったけれど、牛頭がどんな顔をしてその言葉を口にしたのか、それはなんとなくわかる気がした。

 冗談ではなく、こいつは真顔でそれを。


 そのくらいのことはわかる。

 だって、家族のことなのだから。


「……うん」


 だから、リエッキは言った。真実を上書きするような牛頭の言葉を肯定して。


「……うん、そうだな」


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