■3 いまさらの能力
庭に出て雑草をむしっていると牛頭がやってきて、夕食は魚と肉どちらがいいですかと聞いた。
魚の種類を聞くと鮭だというので、じゃあ魚がいいと答えた。
鮭はカルメとリエッキが揃って好物とするものの一つだった。無論、蜂蜜には勝てないけれど。
食事の注文を聞き届けた牛頭は、しかしすぐには立ち去らなかった。
厨房に向かうのではなくその場に居残って、彼は彼女のそばで一緒に草むしりをはじめた。
しばしのあいだ、ふたりは黙りこくったまま雑草と戦った。
「あの子はどんどんリエッキさんに似てくるようです」
先に言葉を発したのはこのときも牛頭だった。
作業の手は休めずに、優しい悪魔はわざとらしく苦笑して言った。
まったく、おかげでおてんばなお姫様になっちゃって。
「はん、あのがきんちょ、なにかにつけてわたしの真似をしやがるんだ」
リエッキはそう答えた。
「子供ってのは近くにいる大人の真似をするもんさ。そうだろ?」
言いながら、リエッキは自分も笑っていることに気づいた。
反射的に口元に手をやると、それを見ていた牛頭がくすくすと笑った。彼女の含羞を楽しむように。
「……そ、そういえば」
ばつの悪さを誤魔化すようにリエッキは続けた。
「あの女の産んだ子供もそうだったな。双子の両方がそれぞれに親の生業を継いだんだ」
「そうなのですか?」
「うん。でも男女はあべこべだったけど。双子の女の子の方が色彩の名人になって、逆に男の子のほうが舞踏家になったはず。たしかな、詳しくは知らない」
脳裏に百年の面影が蘇る。
あの女、あの踊り子。
竜である自分をちゃん付けで呼んだ唯一の女。
……このわたしを妹と呼んでくれた、大好きだった姉。
過ぎ去りし思い出はしかし、以前のような悲しみを連れてはこなかった。
親友の夢を見ても、自分をやめてしまいたいとはもう感じなくなったように。
感じなくなってしまったように。
「……」
また黙りこくって、また雑草をむしる。
こうして庭の手入れをしていること自体が彼女には不思議だった。
親友が死んでから見向きもしなかった庭。荒れ放題のままに放置して、その荒草の蔓延る様にすら一瞥もくれなかった庭。
二度とは顧みぬと思えたその庭を、わたしはいま、こうして。
――変わらないものと、変わっていくもの。変わってしまうもの。
「ねぇリエッキさん、いまカルメがどこにいるかって、わかりますか?」
物思いに沈みかけたリエッキに、ほとんど唐突に牛頭が尋ねた。
「はん、どうせどんぐりでも集めてるんだろ。子供はみんなどんぐりが好きだからな」
「そうですね。それにこの森のどんぐりを持ってると町では人気者になれますし。でも、今日はどのあたりで拾ってるんでしょう。ね、ちょっと探ってみてくださいよ」
牛頭にしつこく促されて、リエッキは渋々意識を集中した。
瞳を閉じてカルメの姿を思い描き、そのまま五感を研ぎ澄ます。
すると右手の側に反応があった。右手の側、方角でいえば東で、距離はそう遠くない。
「……あっちにいる。すぐそこらへん、ちょいそこ行ったあたり」
「いやぁ、お見事」
牛頭がぱちぱちと手を叩いて言った。茶化すのではなく、素直に感心して。
カルメの所在地を言い当てたのは、リエッキの新しい能力だった。
日々お勉強を頑張る図書館の寵児は、もちろんお勉強だけではなく遊びにも精を出している。
幼児期を脱して少女と呼びうる年齢へと成長したカルメは、図書館だけでなく図書館の存在する森にも遊びの場を拡げた。牛頭の付き添いがなくとも臆することなく森を散策しあるいは疾走し、活動の半径は急速に大きくなっているようだった。
カルメの成長については純粋に喜ぶ反面、行動範囲の拡大は保護者たちにとって頭痛の種だった。
手元に置いて見守れない不安、行動把握の不如意。知らぬ場所で怪我をされあるいは迷子になられても、すぐにはそれを関知できない気がかり。
赤ちゃん時代のように牛頭が始終付き添えれば問題ないのだが、厄介なことに自立心もまた成長してきた時期らしく、最近では少女の側から悪魔の同行は却下されてしまう。
そうした折りに目覚めたのが、いましがた披露されたリエッキの能力だった。
意識を集中して探れば、カルメが森のどこにいるのかがリエッキには手に取るように感じ取ることができる。
そうなっていたのだ。彼女自身も気づかぬうちに。
図書館内の気配を察知する番人の能力、その拡張。
しかし感じ取れる対象はカルメ一人に限定されていて、それ以外のいかなる存在に対してもこの新能力は働かない。
「おい牛頭。あんた、これやらせたかっただけだろ?」
「いやぁ、はは。せっかく授かったお力ですし、どんどん使わないと損かなって」
笑って誤魔化す牛頭に、無駄打ちしたって得なんか一つもないだろ、とリエッキ。
そのあとで、彼女はいつものように「はん」と鼻を鳴らして、言った。
「……まったく、自分でも驚いてるよ。いまさら番人の能力が強くなるなんてさ」
百年。読者と司書を失って、図書館が図書館でなくなってから、百年も過ぎて。
いまさらといえば、これ以上のいまさらなんて、どこにあるだろう。
「本当に『いまさら』なんでしょうか?」
虚しさに襲われかけたリエッキに、牛頭が言った。
「そもそもリエッキさんの新しい能力って、図書館の番人としての力なんでしょうか?」
「はぁ? 番人の力じゃなけりゃ、いったいなんだってんだよ?」
呆気に取られて問い返すリエッキに、牛頭は道理を解き明かすように言った。
「ねぇリエッキさん、ドラゴンという存在の本質は『守る者』ですよね?」
「うん」
牛頭の言葉に肯いて応じながら、リエッキはかつて自分と親友が出会った幾頭かの竜を思い出していた。
それぞれに個性的な姿と役割を持っていた彼らは、なにかを守護するという一点においては共通する属性を所有していた。
「リエッキさんに備わっていたもともとの能力、賊や侵入者を見逃さない為のそれは、番人としての、図書館の守り手としてのものである。これは疑いようがありません」
「うん」
「では、新しい能力は? そっちはどうしてカルメだけを見逃さないのでしょう?」
どうしてあの子だけを見守るのでしょう、と牛頭は言い直した。
そして続けた。
「図書館を守る存在とは番人です。では、子供を守る存在とは?」
そう問いを発した牛頭は、いつになく真剣な眼差しでリエッキを見つめていた。
なにかを促して。
おそらくは、なにかを理解することを。
「子供を守る存在……」
牛頭の真摯な目、胡散臭さの塊のようなこの男がすべての胡乱を置き去りにして発する圧に打たれて、リエッキもまた真剣に思考する。
子供を守る存在。
子供の守護者。
子供の。
思考の輪の向こう側で、誰かに囁かれた気がした。
強くて、獰猛なの、と。
「わかった! そういうことか!」
「はい!」
「子供を守る存在、それは……」
「はい、はい!」
「ずばり、保護者だな!」
「ああっ、そうじゃない! 惜しいけど、それじゃない!」




