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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
■ 六章 司書王

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■2 なんで僕が司書王なのさ!

「司書王って、あんたのことなんじゃないのか?」

「……はい?」


 リエッキの指摘に、ユカは純粋な疑問符だけを捏ねあげたような表情で応じた。


「僕が司書王?」と自分を指さして、ユカ。

「あんたが司書王」とユカを指さして、リエッキ。


 そして沈思と黙考の一間が置かれる。

 ユカはリエッキの言葉を丁寧に咀嚼し、時間を掛けて飲み込む。リエッキはそれを辛抱強く待っている。


 やがて、思考を完了させたユカは「なるほど、そうか!」と叫んで顔を上げた。


「君ってばなに言ってんの? それってちょっとならず意味不明」

「全然わかってないじゃんか! なんか理解してたっぽいのはなんだったんだよ!」


 特大のため息をつくリエッキ。馬鹿の考えとはいかにも休むに等しいらしい。


「……なんとなくそうじゃないかと感じることはあったんだけど、でもやっぱり、どう考えてもこれは間違いないと思う。だって、思い当たることが多すぎるんだよ」


 そう言って、リエッキはこれまでに集めた司書王の噂話をひとつずつ、確認するようにして読み上げる。

 だいぶ変形して伝わっている話もあったが、そのいずれもが、二人が首を突っ込んできた事件と見事に符合しているようだった。


「ええとでも、こっちの話では司書王、かわいい女の子ってことになってるよ?」

「噂の出所(でどころ)はどこだ? ……ああ、あんたこの町ではお得意の女装で過ごしてたな」

「司書王は百歳超えの老賢者だって話もある。僕、お年寄りの変装はしてないけど?」

「その話は物語の現場と噂話として聞いた場所が離れてる。『噂話は蛙の子』ってあんたも言ってただろ。それだけ遠い距離を旅してたらそりゃ尾鰭(おひれ)だって生えまくるよ」

「司書王さんは恐ろしい地獄の魔神とも親しく付き合ってるらしいですけど?」

「地獄で恐ろしいかはともかく、魔神っぽいのの片棒担がされたことは、あるな」

「炎のドラゴンとお友達だって」

「まっとうな真実だな」


 ユカが、あー、えー、本当(マジ)かぁ、と情けない声をあげる。


「で、でもでも、まだ決まったわけじゃないよね?」

「まぁそうだけど……ああ、そうだ。あの男ならなにか知ってるんじゃないか?」


 リエッキの言うあの男とは、もちろん左利きのことだった。

 知と情報の管理蒐集者たる呪使い、その頂点に立つ彼であればなにか聞き及んでいるかもしれない。


 早速、二人は森渡りによって宿敵の元へと飛んだ。

 詛呪院(そじゅいん)で対応してくれた若い呪使いは、ユカが名乗った瞬間に輝く目となって言った。


「本の魔法使い殿! いやさ、司書王殿! お目にかかれて光栄です! ……って、あの、いかがなさいましたか?」


 思わず天を仰いだユカに、面と向かって彼を司書王と呼んだ男が案じる声をかけた。


 いかに往生際の悪いユカでも、もはや認めぬわけにいかなかった。

 こうして宿敵に直接問うまでもなく用事は済んでしまったのだが、それでも二人は奥へと案内された。


 執務室にて大量の書簡に目を走らせていた左利きは、二人が部屋に入るとそれが休憩の合図ででもあったかのように、立ち上がって大きく体をひねった。


「久しぶりだな語り部。それとも司書王と呼んだほうがいいか?」

「……いつも通りがいい」


 力なく答えたユカに「だろうな」と返して、左利きは室内で職務を補佐してくれていた女性にお茶の用意を申しつける。

 短い受け答えで了承を伝えた女性は、ユカとリエッキに笑顔でお辞儀をして部屋を出て行った。彼女も利き手が左のようだった。


 女性の退室を待って、単刀直入にユカは切り出す。


「あのねえ! なんで僕が司書王なのさ!」

「……質問に質問で返すようで悪いが、なぜ私に文句を言うんだ?」


 抗議する口調のユカに呆れた調子で左利きが返す。八つ当たりもいいところである。


「だが、まぁ」と左利き。「私がまったく無関係かといえば、どうもそれも違うらしい」

「どういうことだ?」


 そう聞いたリエッキに対して、左利きは「ようするに私の名声が高まりすぎたのだ」と答えた。

 自惚れや思い上がりとは無縁の、客観的な事実を述べる口調だった。


「昨今、私がなんと呼ばれているかは知っているな? 『左利きの太守』だ。……個人崇拝などクソ食らえだが、それでも『左利きの魔法使い』よりはだいぶましだ。とにかく、私に対する世の人々の感情はいまやこの上のない高みに達している」


 個人崇拝などクソ食らえだが、ともう一度ぼやいて、左利きは続ける。


「さて、以前私が言ったことを覚えているか? 貴様と私はなにかにつけて一揃いに語られることが多いと。拮抗する宿敵、対等な盟友(不愉快千万の解釈だ!)。人々は私と貴様が互角の存在であると認識しているし、またそうであることを望んでもいる」

「なんで望まれるの?」

「そのほうが面白いからだろう」


 左利きはあっさりとそう言ってのけた。


「二人の英雄、二つの英雄像は一対の存在として互角に並び立っていたほうが、劇的で面白い。だから人々は貴様にも私と同格の名声を望み、またそれを与えようとする。私と貴様、どちらが勝ることも劣ることもなく高め合う、そんな構図を期待してな。こういう観客の心理について、貴様は私などよりもよほど理解してるだろう?」

「そんなのいい迷惑だよ。僕らは物語の登場人物じゃなくて生身の人間だよ?」


 口を変な形に曲げて不満を表現するユカ。

 リエッキは面白いものを見物する気分でやりとりを眺めていた。

 ユカが物語に否定的な態度を示し。反対に左利きが物語的な論理をユカに説いている。この状況に溢れる諧謔かいぎゃく味にこいつらは気づいているのだろうか。


「でもそうか、ようやく話が見えた」とリエッキ。「片方が『左利きの太守』になっちまったら、もう片方が『本の魔法使い』のままじゃ、釣り合いがとれないもんな」

「そうだな、太守に対する王ならばいかにも対等だ。無論、それだけが原因とは思わんがな。ここ数年来のあんたらの活躍ぶり、(おびただ)しい数の伝説とそれにより救われた人々の多寡(たか)。それに詩人や物語師の間ではこの男、もはや生き神のように語られているらしいではないか。だから、『左利きの太守』は一つのきっかけに過ぎなかったのさ」


 もはや『本の魔法使い』にはこの男の格は収まりきらなかった、と左利き。

 ユカは大きく深くため息をついた。


「……司書王、か。書を司る者の王、みたいな意味?」

「そんなところだな。不服か?」

「不服ですね、大いに不服」とユカ。「……でも、なっちゃったものは仕方ないか」


 諦めるようにユカが言ったそのとき、扉が開いた。

 さっき出て行った女性が茶の子の用意を整えて戻ってきたのだった。

 淀みのない手つきで給仕を済ませると、女性は声を出さずにユカとエッキに微笑みかけて、やはり黙ったまま部屋から出て行った。


「女性の呪使いは珍しいね。呪使いって男性社会というか、男ばっかだったし」


 これも君の改革の成果かな? と、そう言いながら早速お菓子を口に入れたユカの言葉を、左利きが首を振って否定する。


「あれは呪使いじゃない」

「じゃお手伝いさん? 呪使いじゃなくてもここで働く人は左利きなんだね。君たちの建物ってなんでもかんでも左利き用にあつらえてあるから、右利きじゃ不便だもんね」

「家政婦でもない」

「わかった、秘書とかいうやつだ! やぁ、君ってばほんと偉くなっちゃったなぁ!」

「いや、家内(かない)だ」


 おやつの時間が凍り付いた。

 ユカとリエッキは愕然とした顔で左利きを凝視する。


「……家内って、お嫁さん?」とユカ。

「……この男が、所帯持ち?」とリエッキ。

「……そこまで大げさに驚くことないだろうが」


 だから貴様らには話したくなかったのだ、と左利き。


「貴様との最初の決闘から何年経ったと思ってるんだ? 私の立場と状況は変化に変化を重ね続けた。それに比べれば、結婚の一つや二つなんでもない」


 それでもなお驚愕の目をやめない二人に舌打ちして、左利きはさらに言った。


「あとでまた驚かれるのも面倒だからついでに明かしておく。家内の利き手が左なのは生まれつきだ。あれの兄貴がそうであるようにな。きっとそういう血筋なのだろう」


 左利きの言葉の真意を、ユカもリエッキも即座には理解できなかった。

 二人同時に「あっ!」と声をあげたのは、たっぷり十秒近く経ってからだった。


「……君の相棒さん、お義兄(にい)さんになっちゃったの?」

「……そういうことだ。忌々しいことに、我々はいまや義兄弟というわけだ」


 本当(マジ)か……とユカとリエッキが声を揃え、左利きはもう一度舌を打った。


 そこから先は司書王のことなど完全に忘れ去られた。

 当然だ。なにしろ当初の目的を置き去りにしてあまりあるほど強烈な関心事が目の前に現れたのだから。


 細君とのなれそめやその人柄など二人は根掘り葉掘り質問し、左利きは舌打ちを連発しながらも律儀にそれに答えた。

 左利きの生活の世話役として相棒が連れてきたのが出会いの最初だったとか、誰よりも熱心に結婚を勧めたのは中年呪使いであったとか、新婚なのに多忙がたたってほとんと一緒に過ごせていないとか、そういうことを。


 真っ暗に日が落ちてからようやくいとまを告げた二人に、別れ際、左利きが言った。


「景色や街並みも、生活や掟も、人の心や生き方さえも……変わらないものよりは変わっていくもののほうがずっと多いのだ」


 彼がどういう意図でそれを言ったのか、あるいはそこには意図などなかったのか。

 それを判じることができぬまま、ただ言葉だけがリエッキの胸に刺さっていた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 左利きの結婚、しかも相棒と義兄弟、となれば司書王の事を忘れても仕方ないですね。
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