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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
■ 六章 司書王

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■1 なにかを、誰かを待っている夢

 そしてまた夢を見ている。

 彼女は、図書館のドラゴンは。


 夢の舞台は図書館だった。現実の彼女が暮らす場所、百年の孤独を過ごす場所。

 夢に見る図書館には、現実にはいるわけのない人物が存在している。


 窓辺の椅子に腰掛けて、差し込む陽光をたよりに、親友がそこで本を読んでいたのだ。


 (ページ)がめくられるさらさらという音。現実の図書館からは失われて久しい、最良の読者の音響。

 そんな心地よい音に耳を傾けながら、彼女は夢の中でまで微睡まどろんでいる。

 親友との間に会話はなかったけれど、それでよかった。彼が生きていた頃もこうして過ごしていて、その時間を、彼女はこよなく愛していたのだから。

 親友がそこにいてくれるだけで、彼女はすみずみまで満ち足りていた。


 ――いや。


 そこでようやく、彼女は自分の内側にある違和感に気づいた。

 こんなに満たされているのに、わたしは『足りない』と感じている。


 いや、これは単なる不足感ではなく、もうすぐやってくるものへの期待とか待望。


 ――わたしはなにかを、誰かを待ちわびている。


 そうと自覚した途端に焦がれる気持ちは大きくなった。

 彼女は急にそわそわとしはじめる。そんな彼女の様子がおかしいのか、親友がにやにやした顔でこっちを見ている。


 やがて親友の膝の上で本が閉じられた。主張するようにぱたんと音を立てて。


「ほら、帰ってきたよ」


 微笑みながら親友が言った。


「君のいちばん大切な人が」

「はぁ? なに言ってんだよ、わたしのいちばんは――」


 あんただ、と。

 そう言おうとした瞬間に夢から覚めた。


「……」


 机に伏せていた体を起こしながら、リエッキはあたりを見渡す。

 図書館の静けさが周囲には満ちている。

 主を失った図書館が、親友のいない現実がそこにある。


 夢から覚めた現実に親友はいなくて、だけど、そのかわり。


「ただいまぁぁぁぁぁ!」


 絶叫めいて叫ばれた帰宅の声が眠気の残滓を吹き散らした。


「ただいま! ただいま! ただいま!」


 繰り返し叫びながら声の主は駆けてくる。

 ただいまの声と騒々しい足音は一秒ごとに近づいてくる。


 広い館内を迷いもせずに、まっしぐらにリエッキの元へと。


「ただいまっ!」


 やがて声の主は姿を現す。

 音を立てて扉を開け放ち、開けたと同時にまた走り出す。


 脇目も振らずに走って、そこにいたリエッキに全身を投げ出すようにして抱きつく。


「……ただいま!」


 リエッキの胸に顔を埋めて、カルメはもう一度、一杯の気持ちを込めて言った。


 カルメに少しだけ遅れて牛頭がやってきた。

 旅荷を下ろした牛頭は抱き合う二人を微笑ましげに見守りながら、「ただいま戻りました」とリエッキに言った。


 牛頭に目をやったあとで、リエッキはもう一度カルメに視線を注ぎながら、言った。


「……うん、おかえり」



   ※



 七年目の図書館。

 赤子を抱えた悪魔がやってきてから、家族ができてから七年目の。


 カルメは七歳になった。

 小さい頃は遊ぶのが仕事とばかりに全身全霊で遊び尽くしていた幼子は、今では読み書きをはじめとした種々のお勉強にも取り組んでいる。

 教師は牛頭が務めた。教材となる書物が不足する日は、おそらく永久に訪れないだろう。


 ところで、牛頭が教えるのは人間の学問、人間の言葉だけではなかった。

 人の身でありながら魔族の言語にも適性を得たカルメに対し、牛頭は彼らだけが操れる言葉の指南をはじめていた(最初の発声を成功させた瞬間からカルメは魔族言語に興味津々だったのだが、人としての言語能力がしっかりと構築される前にそれを教えるのは悪影響との判断から、六歳になるまではどれだけせがまれても牛頭は一語として教えなかった)。


「この子は天才です! もしかしたら歴史上いちばんに利口な七歳児かもですよ!」

「ほんっとにいちいちおおげさな馬鹿牛だなぁ……」


 牛頭の親馬鹿ぶりには呆れた反応を示したリエッキだったが、実際、カルメの学習能力には彼女も舌を巻く思いだった。

 この年齢の子供はみんなこうなのかそれとも牛頭が言うように特別な利口さの持ち主なのか、とにかく、カルメは教えられたことをまるごと飲み干して吸収した。

 その日に学んだことを夕食の席でリエッキに得意満々で披露して、覚えた文字と語彙を武器に無限の蔵書に挑むのも楽しんでいた。

 書いてある内容までを理解できることはなくとも、カルメにとっては『読める』ということそのものが刺激的であるらしかった。

 物心つく前から星よりも多くそこに存在していながら、これまでは完全な没交渉だった書物との対話の始まり。

 それはきっと、世界の変革にも等しい体験であったに違いない。



 だからかもしれない。カルメがあんなことを言い出したのは。



 六歳の誕生日にはじめて町に行った日から、森の外へのおでかけはすっかり慣例となっていた。月に一度の頻度で、カルメは牛頭に連れられて人間の町や村を訪っている。

 旅の薬師とその弟子という触れ込みで都邑(まちむら)を巡る二人は怪しむことなく受け入れられ、いくつかの村にはカルメに同年代の遊び友達もできたのだとか。

 カルメの人間社会との交流という初期目的は完全に達成されている。


「森を出てからは魔族の術で近道もできるんですけどね、それまでが長いんですよ。この図書館ってば周囲の森までしっかり結界として機能しちゃってますからね」

「牛頭のくせに生意気にも恨み言か? 森の外までは二つの足で歩けばいいだけだろうが。そっからはいくらでも近道ってのができるんだろ?」


 とはいえ、今回の旅先はいくら近道を重ねても『一日で行って帰って』というわけにはいかなかった。

 二ヶ月前、カルメは牛頭に次のような注文(おねだり)をつきつけたのだ。


「うちじゃない他所(よそ)の図書館が見てみたい。うちくらいおっきいとこがいい」

「……ええとね、ここより大きい図書館は、ちょっとこの世にはないかなって……」

「じゃあうちの次におっきい図書館でいいよ?」

「……」


 かくして海を渡る長旅は決定した。

 大急ぎで行って帰ってもまるまる一ヶ月は要し、ついでに牛頭が虫の息と化すような大旅行である。


 今日、二人はその長い旅から帰還したのだった。

 カルメは興奮冷めやらぬ様子で元気いっぱいだが、限界まで『近道』を駆使した牛頭はぐったりと死に体である。


「あのね! あのね! あのね!」


 帰ってきてからずっと、カルメはひっきりなしに喋り続けている。道中で見聞きした


「それで、肝心の図書館はどうだったんだ?」


 リエッキに水を向けられて、カルメは旅の目的であった図書館について語り出す。


「んとね、外見(そとみ)はうちよりも大きかった」

「うちは最初の建物自体はそこまで立派に作ってないからな」

「でも中はうちの方が全然広かったから、だまされたって思った」

「普通建物ってのは外見に相応しい中身しかないもんなんだよ」

「サギ? マヤカシ?」

「どっちかっていうとそれはうちの方かもな。……詐欺なんて言葉どこで覚えた?」

「あといっぱい人がいた。本読んでる人も、本片付けてる人も」

「読者と司書だな。良い読者と良い司書、うちにも昔はいたんだけどな」

「人がいっぱいいて、でもみんな静かだった」

「図書館を使う者は沈黙を支払うのさ」



 そこから先も、カルメの感想は続く。

 初めて見た他所の図書館についての感想。


 そしてその感想の総合は、最終的に次のような一言にまとめられた。


「その図書館とうち、比べてみてどう思った?」


 少し意地悪なリエッキの質問に、カルメは少しも迷わずにこう答えたのだ。

 幼い顔に似合わぬ不敵な笑みに、今やすっかり自分のものになったあの癖を添えて。


「『はん、勝った』って思った」


 リエッキは声をあげて笑った。横で聞いていた牛頭も苦笑気味に笑った。

 なんだかひどく気分が良かった。

 その気分のまま、リエッキは言った。


「当然だ。なんたってここは『司書王』の図書館だからな」


 カルメの髪をくしゃくしゃに撫でつけながら、リエッキはふと思った。



 最近、あいつの夢を見ても、あまり悲しくならない。


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― 新着の感想 ―
[一言] 久しぶりに20話ほど一気に読ませて頂きましたが、すぐに物語の世界に引き込まれました。とても良いです。応援してます。
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