◆22 『知の交易所』
森渡りの獲得によって、ユカとリエッキの旅路はさらに自由さを増しました。
ユカが左利きに語ったように、二人はその後も世界を目指す旅を続けます。
ですが、脇目も振らずにまっしぐらという必死さはもはや全然、ありません。
なにしろ急ぐ必要がなくなってしまったのです。
まっすぐ東に向かって歩んで、どこかちょうどいい森があったら今日はそこまで、お家に帰って家族とお夕飯を食べて、就寝続きはまた明日……とこんな具合。
いいえそれどころか、もう十日も続けて世界の果てを目指したから明日は全然違う土地で羽を伸ばしちゃえ、なんてことも。
片手間に進めることなど不可能な旅を、片手間に進めて。
中断などできないはずの旅を、好き放題に中断しては再開して。
ああ、ある意味で時間と距離までもを半ば支配してしまった、なんたる出鱈目な自由さ!
これはもう絶対自由どころか、絶対絶対絶対自由! です!
さて、そのように絶対自由を(絶対絶対絶対自由を!)謳歌するユカでしたが、翻って彼の宿敵、左利きはといえばどうだったか?
やっぱり忙しい! 息つく暇もなく多忙! 一寸先は忙殺!
しかし、では不自由かといえば、けっしてそうではありませんでした。
組織の権力の一切を掌握して、彼もまた『変えていく自由』を獲得したのですから。
ではその自由を、左利きはどのように行使したのでしょう?
いくつかの政策が実施されて、そのいずれもが組織の外側に目を向けたものでした。
内政の季節はすでに終わって、ここからは外への働きかけということです。
左利きの改革に共通する思想はもちろん変革、これまでの呪使い像からの脱却が命題だったのですが、とりわけ大きな成果をあげた取り組みはずばり『知の開放』です。
ご存知の通り、呪使いとは知を司る存在でございます。
しかしこれまで、彼らは組織的に蒐集した知識を、ただ溜め込むばかりだった。
いいえ、溜め込むのみならず、知識は独占してこそ価値があるとばかりに囲い込んで、徹底的に秘匿して、外に出すのは見返りをもらって権力者に切り売りする場合などに限られていた。
呪使いの博識の、これがその従来的な有り様。なんともせこいその実態です。
これに、左利きは終止符を打ちます。醜悪極まりないと唾棄して、やめさせます。
そうして彼が押し進めたのが先ほど名前を挙げた『知の開放』なのですが、これがどういったものかと申しますと、『求める者には誰であろうと必要な知識を提供する。見返りは一切無用』と、このようにこれまでとは真逆に舵を切った政策です。
流石に反対意見が噴出しました。そんなことをしては呪使いの影響力いや存在意義そのものが薄まると、これまで相談事の一つ一つに対価を頂戴していた高貴の方々が納得せぬと、ある観点から眺めればもっとも千万とも取れる意見が。
左利きはしかし、これらの異論一切を力業で封じ込めて改革を断行します。
成果は徐々に表れ、加速度的に勢いを増し、そして爆発しました。
最初こそ相談者は少なかったものの、半信半疑に詛呪院の戸を叩いた者から口伝いに評判が伝わり、すぐに大行列の満員御礼が各地で日常となったのです。
一石は見事に投じられて、では、それがもたらした変化とは?
まず第一に、呪使いに注がれる視線が変わりました。
権力者には重用される一方で民草には嫌い抜かれていたのが彼ら呪使いです。『左利きの魔法使い』なる存在の登場もその新英雄がなにやら改革めいたことを進めているとも知られていて(噂話や物語を通して)、しかし、それでも人々の目は依然として厳しかった。
呪使いはしょせんは呪使い、どう変わろうとも腐った中身は変わりゃせぬ、そう見放されていたのです。
その変わらぬはずの呪使いが、変わった。権力に阿るのではなく民草に寄り添う存在へと正反対の変貌を遂げた。
世間の目はそのように彼らを見直し、世間の口は次のように語りはじめます。
杖持ちこそ我らが隣人よ、有り難いのは呪使い様たちよ、と。
この反響が、連鎖的に第二の変化を呼びます。
悩みを解決された人々が示してくれる感謝と親愛の情、身分に無理強いされたのではない正真正銘の敬いの態度。
これに、多くの呪使いが胸を打たれたのです。
ああ、俺たちはもはや嫌われ者ではないぞ、いまや愛される俺たちだ。
そんな自負に貫かれて、ならばもっと寄り添うぞと、もっと人々に尽くしちゃうぞと、若手を中心に奉仕の心に目覚める者が続出したのです。
奉仕が感謝を呼び、そして感謝があらたな奉仕を呼び、ああ、なんと健全な循環!
さて、ここまでは仕掛け手である左利きにとっても半ば狙い通り(想定を遙かに凌駕する成功ぶりではありましたが)。
予想もしていなかった事態の出来は、この先。
知識を開放したことによって、新たな知識が続々と舞い込みはじめたのです。
つまり、こういうことでした。
呪使いが知識を独占していたのと同じように、世間の人々もまたそれぞれ個人や組合や業界においてのみ共有する知識を持っていた。それらは意図的に秘匿されていたり、はたまた扱う人間たちにとっては当然のことすぎて知識として認識されていなかったり。
それが、呪使いたちの元に集合しはじめたのです。
相談事の中で『俺たちのやり方はこうで、するとこうなって』と思いがけず浮かび上がってきたり、『こいつは業界の秘密なんだがな』と明かされたりして、埋もれていた知識が次々、発掘されます。
後の時代において詛呪院が『知の交易所』と呼ばれた理由がここにありました。
知識の返礼に知恵を伝授されて、それまで無価値とされていた叡智の畑が耕されて。
そうして交換された知識同士は結びつき、やがて様々な発明が生み出されることとなります。生活や仕事の利便に役立つ道具から、それまでの常識を覆す大発見までもが。
人々の文化と生活の水準は、ここを境に飛躍的な向上を遂げるのです。
一人の呪使いの信念が、人間の歴史に確固たる点を穿ったのでした。




