◆20 孤独なもんかよ、ひとりぼっちなもんかよ
「……ならば、兄に合わせて欲しい」
この言葉を聞き、その場にいた人間たちと竜は、揃ってはっと息を呑みました。
「お兄上様、でございますか?」
「ええ、兄です。死んで産まれた我が兄。弟である俺の幸せを全霊をかけて望んでくれた、有り難い兄。その兄の目に見えぬ姿を、ただ一度でいい、この目に映したい」
それが俺の願いです。
色の魔法使いはそう言って深く頭を垂れます。
「この森の恩人であるあなた様がそのように、どうか頭をあげて……ですが、そうでしたか。何度数えても魂の数が合わぬと不思議に感じておりましたが、どうりで……」
なるほどと合点がいった様子の前女王、双子たちのほうにちらと視線をやります。
そうして、そこにいる姿のない存在を確かに認めて、もう一度なるほどと肯き。
そのあとで、よござんす、承りました! と胸を叩きました。
「わずかな、限られた時間ではございますが……お兄上様のお姿、浮かび上がらせて見せましょう。ええ、ええ、見事やり遂げてご覧に入れましょうとも!
欠色の……いやさ、白の妖精女王の! これがその祈念すべき初仕事でございますれば!」
そう言って前女王が視線をやりますと、純白の少女は応じるように微笑んで。
それから、双子たちの方向に向かって、両方の手をかざします。
すると、なにが起きたか?
なにも起きません。風が吹き抜けることもなければ、光が輝くこともなかった。
ですがそこにいた皆が皆、強烈な風に打たれ、光に包まれたような感覚を覚えました。
新女王が発した力の奔流が過ぎ去ったあとで、前女王の姿はどこにもありませんでした。
初仕事に挑む新女王に、前女王はついに姿まで還し終えたのです。
前女王は消滅して、代わりに、そこにはそれまでいなかった誰かが現れています。
「……ああ……!」
その姿を一目見るや、色の魔法使いの表情は涙に崩れます。
あなたが兄なのかと、そう一言問う必要すらありませんでした。
「そうか……そうだったのか……!」
なにしろ、死者である兄は、この膚絵師とそっくり同じ顔貌をしていたのです。
「当たり前だろ。おい、まさか忘れてやがったのか? 俺たちは双子なんだぜ?」
この兄不孝者め! そう笑って兄は弟を小突きます。
その声は、姿は、この場に居合わせた他の全員にも見えています。聞こえています。
声も姿も届いていて、ですが、誰一人として一言も言葉を発しません。
だって、誰がこの兄弟の邂逅の場に水を差すことができるでしょう?
「ようやく会えた。ようやく……ようやく……」
「ばーか。ずっと一緒だったじゃねえか。それも忘れちまったか?」
「……ああ、ああ、そうとも。俺たちは……僕たちは、この世のどんな兄弟よりも一緒だった。それほどまでに兄さんは、ずっと、ずっと、僕を……」
一語を重ねるほどに涙は強まります。嗚咽が言葉を邪魔します。
夫として兄として、そして父として、これまでけっして涙を見せることのなかった色の魔法使い。
その彼が、こんなにも泣いている。
そんな彼の姿は、家族に次のことを思い出させます。
夫であり父であり兄であった彼は、同時に弟でもあったのだということを。
「兄さん、兄さん。やっぱり僕は不孝な弟で、父親としても不適格だ。だって僕は、嫉妬してたんだ。子供たちに兄さんが見えると知って、僕は我が子に妬いた。あの子たちが兄さんを孤独から救い出してくれたのに、ひとりぼっちじゃなくしてくれたのに……」
「ばーか。ほんとに、お前はなんにもわかっちゃいねえ」
そう言って、兄は弟の肩に手を置きます。
「孤独なもんかよ、ひとりぼっちなもんかよ。俺にはお前って弟がいたじゃねえか?」
兄の手を握って、今この瞬間だけ形を得た兄の手を握って、弟は泣き崩れます。
色の魔法使いは泣いていて、そして、それを見守る家族も泣いていました。
許された邂逅の時間は、本当にわずかなものでした。
死者に形を与えるという難事業は、妖精女王の力を持ってしても制限に満ちていたのです。
しかしその短い時間の中で、色の魔法使いは確かに望みを果たしたのでした。
兄の目を見て感謝を伝えるという、ずっと願い続けていた大望を。
時間切れになって消え去る直前、死者である兄はユカに、リエッキに、骨の魔法使いに会釈を寄越し、それから、「おう、義妹、ちっと来い」と弟嫁を呼びつけました。
踊り子は呼ばれるままに義兄に近づき、なにやらこそこそっと内緒話を交わします。
そうしてしばらく話したあとで、弟嫁は涙の上に笑顔を浮かべて、ようやく出会えた義兄になにかを約束したのでした。
これが最後でした。それからすぐに、見えない兄はまた見えない兄へと戻ってしまいました。
姿は消えて、その声も色の魔法使いと双子たちにしか聞こえなくなります。
夢のような時間は、夢のように終わって。
ですがその短い時間は、十年にも劣らぬ価値を持つ時間でございました。




