◆17 妖精と竜、アルビノの妖精女王、森渡り
「ユカ……?」
「ユカくん?」
「あれ、まぁ」
ユカを目に入れた瞬間に家族の示した反応はいかにも三者一様。双子たちは久しぶりのユカに(小さい子にとっては二ヶ月だって十分お久しぶりです)「ユカにぃだ!」と無邪気に喜びましたが、それ以外の三人、兄姉と母は、揃って目を丸くしています。
「ユカくん、なんでここに……? 君、世界の果てを見にいったのよね?」
「うん。というか今もその旅の真っ最中だよ」
「じゃあなんで引き返してきたんだ?」
「引き返してなんかいないよ。今だってまっしぐらに世界の果てを目指してるもの」
「だったらどうしてここに……というか、リエッキさんはどうしたの?」
「待ってる。ここからきっちり二ヶ月分東に行った森の中で」
はぁ? と再びの三者一様、みんな揃ってはてなの顔にさらに疑問符を重ねます。
さて、そんな家族にユカが説明した事情は、次のようなものでした。
※
骨の魔法使いの森を出発したあと、ユカとリエッキはまっすぐに、それはもう愚直なほどにまっすぐに一路として東に向かっておりました。
なにしろこの旅の目的は『世界の果てに到達すること』の他にもう一つ、『到達して帰ってくること』も含まれます。
だったら、寄り道している暇なんてありません。
そんな先を急ぐ旅の二人を、ある日「もし」と呼び止める者がありました。
「もし。不躾とは存じますがここは直入に、そちらのお嬢様は竜でございますね?」
「そういうあなたも人じゃなさそうだね?」
返す刀の反問でユカは相手の正体を鋭く看破ります。
とはいえこれは故あってのこと。
なにしろ二人が歩いていたのは人里離れた山中で、しかも時刻は真っ暗くらの夜の時間。そこに道沿いの森からぬっと現れたのが鮮やかに着飾った貴婦人ときたら、これで騙されるのは盲人か阿呆だけというものです。
「いえ、いえ! 騙すなんて、滅相もございません!」
ユカの指摘を受けた貴婦人が、必死の声でそう弁明します。
「……この女、なんか臭いぞ」
と、そのときリエッキが言いました。
「……妖精臭い」
「妖精?」
そうなの? とユカが視線で問いますと、貴婦人は首を何度も振ってこれを認めます。
世に妖精譚は数あれど、ユカたちがその存在と出会うのはこれが初めてでした(子供の頃には妖精の友達もいたのだと母は言うのですが、ユカにその記憶はありません)。
なにしろ、妖精と竜は大変に相性が悪いのです。
妖精にとって竜とは暴力の権化、世に満ちる野蛮さと無骨さとその他ありとあらゆる乱暴っぽいものを集めて作ったに違いないと、そう怯えて嫌い抜いた相手です。
翻って竜にとっての妖精は、臭くてうるさくてウザったくてやかましい、最悪の害虫よりもさらに最悪な不快の主です。
水と油、犬と猫、魔法使いと呪使い……妖精と竜はそのような関係で、だから、ドラゴンのリエッキとずっと一緒に居たユカの前に妖精が姿を現すことは、なかった。
では、これまで現れなかった者が、どうしてこの日この夜は現れたのでしょう?
「助けて欲しいのです」
と、縋る声で貴婦人は言いました。
「そちらの、竜のお嬢さんに」
はぁ、わたし? と自分を指差すリエッキに、そうです、そうです、と貴婦人。
「とにかく、ついて来て下さいまし。きっとお礼はいたしますゆえ」
言うが早いか、妖精の貴婦人は二人の返事を待たずに道沿いの森へと分け入ります。
「どうする?」
「どうするもなにも、あんたはこの状況に興味津々なんだろ?」
もちろん、そんなの確認するまでもありません。
妖精が不倶戴天の相手である竜に助けを求めるなんて、これに好奇心を動かされないユカは我々のユカじゃありません。
ということで、二人は妖精貴婦人のあとを追って森へと入りました。
そこはまったく普通の森でした。さほど深くもなければ特別さの片鱗すら感じられない。
骨の魔法使いの森とは比べるべくもない、なんの変哲もないただの森。
しかし、ある地点を境に、周囲に満ちた空気が変わります。
雰囲気が一変します。
骨の魔法使いの森に暮らした二人にはおなじみの、結界を踏み越えた感覚。
「妖精の森でございます。世界中の森を漂泊し続ける、五つある妖精の森の一つです」
今はこの森に停泊してるのです。
そう説明して、貴婦人はさらに先へと進みます。
色彩に満ちていた妖精の森はしかし、深部に近づくほどに色を失っていきます。
そうして貴婦人が足を止めた時、あたりに生えるのはただ白化した木々ばかり。
真白に染まった広場の中心には、これもまた白樹で出来た玉座がありました。
「ここが妖精の森の最深部。そしてあそこにおわすのが、この森の女王でございます」
貴婦人の示す先、白樹の玉座には、一人の少女がぐったりと横たわっておりました。
周囲の樹々と同じか、あるいはそれよりもなお白い少女。
「……欠色だね」
ユカの呟きに、妖精の貴婦人はひどく悲しそうに肯きました。
欠色は人や動物にも時折誕生します。
色を忘れて産まれてきた、宿命的な白さの持ち主。
たとえば少女時代の骨の魔法使いの家族には、真っ白な羽を持つ『黒くない鴉』がいました。
それにユカが砂漠の街で出会った『姿を失った美女』は、元を正せばこれもまた欠色でした(欠色は日の光に弱く、この女性は砂漠の苛烈な陽射しと人々の差別の眼を避けるために肌を隠し続けるうち、いつしか完全に姿を失ってしまったのです)。
ですが妖精の欠色というのは、見たことはもちろん聞いたこともありません。
「申し遅れましたが、わたくしはこの森の前代女王でございます」
と、ここではじめて妖精の貴婦人、もとい前代の妖精女王は身分を明かしました。
「妖精は女王を中心に生きる存在。新たな女王が誕生し、わたくしの役目はもはや終わったものと、そのように考えておりました。ですが、色を持たずに生まれた新女王は、産まれてから今日まで一度も目覚めてくれないのです」
「新しい女王が眠ったままなのは、欠色であることとなにか関係があるのかな?」
「大いにあります」と前代女王。「妖精にとって、色は命と力の源です。鮮やかさはそのままその妖精の格を示すほど」
そう語る前女王は、なるほど、人間の姿である今も実に鮮やかに装っているのです。
「言うなれば、新女王は命も力も持たずに生まれてきたようなもの。だから目覚めず、眠りの中で森を白く染めている。命であり力である色を、森からも奪い続けている」
どうにか女王を目覚めさせなければ、新女王と共に森も死んでしまうのです。
「女王を目覚めさせるために今日まで思いつく限りの手を尽くしましたが、どれも功を奏さず。もはや万策尽きたとそう思えた、そこにあなたたちが現れたのです。だから、竜のお嬢さん、お願いです。妖精の森に竜を迎えたのは、五つの森の歴史を見渡しても前例なきこと。前代未聞の事件が変化をもたらしてくれる可能性に、縋らせて下さい」
前代女王の懇願を受けて、リエッキはすぐさま竜の気配を全身から発しました。
すると、それまで死んだように動かなかった新女王が、かすかに身動ぎしたのです。
前女王が、ああっ! と感動の叫びをあげます。
ですが、そこまでが限界でした。
それからリエッキがどれほど威圧をぶつけても、人の姿からドラゴンに戻って恐ろしい咆哮をあげてみても、身動ぎ以上の反応は得られませんでした。
リエッキだけでなくユカも本棚の魔法を片っ端から試してみましたが、やっぱり結果はおんなじです。
「なにやってもダメだな……なぁ、欠色が原因なら、そっちを解決できないか?」
「色かぁ……だとしたら兄さんの出番だけど、ここから母さんの森は遠すぎるしなぁ」
と、ユカのこの呟きを、前女王が耳ざとく拾い上げます。
「兄さん? 森? その方ならなんとかできて、しかもその方は森にいるのですか?」
ユカが色の魔法使いについて説明しますと(兄さんは色彩の天才で、僕の母さんの森に住んでて)、すっかり消沈していた前女王が膝を打って立ち上がりました。
「ああ、なんたる僥倖! でしたら、さぁ、すぐにその方を迎えに参りましょう!」
「はぁ? いや、だから遠いんだっての。こちとら大急ぎで二ヶ月旅してきたんだぞ」
行って戻ってで最低でも四ヶ月はかかるんだよ、と呆れた調子でリエッキ。
これに対し、前女王は豪語する口調で、大丈夫です! と返します。
「妖精の女王には森から森を渡り歩く力が備わっているのです。瞬間移動ですよ瞬間移動! 行き先が森でしたら、たとえ世界の裏側であっても一足飛びです!」
幸いにも女王の権利譲渡はまだ行われていないので、わたくし、渡れますわよ!
※
「――ということで、前代の妖精女王と一緒に兄さんを迎えに来たってわけ」
あ、リエッキは居残りして新女王に竜っぽいことし続けてる、休み休み。
駆け足気味に語られた説明に、家族はここでも三者一様、唖然として言葉を失います。
妖精の森、欠色の妖精女王、森渡り。
……どれも俄には信じがたい話ばかり。
ですが、ややあってから最後の三者一様、全員の意見は次のように一致します。
――まぁ、なんといってもこいつはユカだしな。
「……わかった。絵筆やら顔料やら用意するから、少しだけ待ってろ」
そういうことになりました。




