◆13 ここで会ったが百年目
不在であった間の家族のお話は、ユカとリエッキを驚かせることしきりでした。
ですが、ユカたちの三年半だって負けてはおりません。
盛りだくさんの冒険譚!
色とりどりの見聞記!
そしてめくるめく美食の紀行録!
そうした一切をユカは語るがままに家族へ語り聞かせて、語り漏らしや間違いがあればリエッキが即座に「違う、あのときはこうだった」「そいつはあんたの記憶違いだ」「おい、その話をするならあれについても話さなきゃダメだろ」と横から訂正したり補完したり。
話を聞く家族たちは二人のこうしたやりとりまでを余さず楽しみました。
語っても語り尽くせぬ冒険旅行の日々。
いらない瞬間なんて一秒たりとも存在しなかった毎日。
ユカとリエッキの、二人の三年半。
骨の魔法使いが、「ユカ、あなた、何歳になったの?」と聞きます。
ユカは指折り数えながら「二十二歳」と答えますが、すぐさまリエッキが「違う違う」と口を挟んで、「二十三だよ。あんた先週誕生日だったろ」と訂正してくれます。
二十三歳。
十九歳の秋に旅立ったユカは、今では二十三歳となっておりました。
「最初に物語師になると言って森を出てから、もう十年が過ぎるのね……」
しみじみと言った骨の魔法使いに、まだ九年目だよ、とユカ。
これに対し色の魔法使いが「一年くらいは誤差にもならんさ。二十歳過ぎたらすぐ三十だぞ」と言います。
ユカが愕然とした表情となり、その反応が家族にまた笑いをもたらします。
「そういえば、魔法の本もまただいぶ増えたみたいね」
とそう指摘したのは踊り子。
「出発前に半分置いてったのに、本棚はまたいっぱいになっちゃいそう」
「なっちゃいそうじゃなくて、もうなってるよ。本棚に入りきらない分は荷物入れと、それから預かってた布の家に突っ込ませてもらってた」
「なんとまぁ……」
いま何冊あるの? と踊り子が聞き、リエッキが答えます。
さぁな、もう数えてない。
「いちいち数えるのが馬鹿馬鹿しくなっちまったんだ。ユカの奴、今まで以上の頻度で本を増やしやがるんだもん。布の家が手元になかったらと思うとゾッとする」
このままじゃ、そのうち本棚じゃなくて図書館が必要になっちまうよ。
リエッキのぼやきに生じた無自覚な諧謔に、ここでもまたひと笑い起きました。
「何歳になっても、君たちはほんと、変わらないね。あたしと一緒に旅していたときのまんまだ」踊り子はそこでユカへと視線を注いで、続けます。「ねぇユカくん、やっぱり君は最強だよ。リエッキちゃんがいてくれる限り、君は最強の男の子だ」
たとえおじさんになってもね、と踊り子が言い、おじさんはやだなぁ、とユカ。
おじさんになっても中身が男の子のままは勘弁してくれ、とため息まじりにリエッキ。
そしてまたひと笑い。
「それで、最強のおふたりさんは、次はどこに行くのかしら?」
踊り子はそう尋ね、どうせ大人しくしてるつもりはないんでしょ、と続けます。
「どうしようかなぁ。どこかに行くのは決めてるけど、どこに行くのかは決めてない」
「そうか。ならどこに行くにしろ、出発前に一度顔を出しておけ」
そこでそう指摘したのは色の魔法使いです。
「お前の宿敵のところにだ。手紙のことではだいぶ世話になっただろう?」
「ああっ! 確かに!」
ということで翌日、早速ユカたちは左利きの詰める詛呪院へと出向きました。
「こんにちは、左利きくんいますか? 宿敵の僕が遊びに来たよ」
「ほ、本の魔法使い殿! 少々お待ちください!」
ユカが名乗った瞬間、応対に出た呪使いが奥へとすっ飛んで消えます。
詛呪院におけるこうした反応はもはやおなじみのもの。
しかも今回は宿敵同士の感動の再会だもの、これはさぞや歓迎されるに違いないぞと、ユカはすっかりにやけ顔。
さて、待つこと数分、左利きは現れます。
「語り部ぇぇぇぇぇぇ! ここで会ったが百年目だぁぁぁぁ!」
「あれぇ?」
※
ユカと、それから同行していたリエッキが通されたのは、詛呪院の奥の一室でした。
室内はよく掃除されていて塵一つなし。
眼の邪魔になるような余計なものはなく、しかし少ない調度品はどれも見るからに一級品。
開け放たれた窓からは陽の当たる中庭が一望できて、ああ、これぞまさしく応接室、もてなしの為の一部屋です。
「やぁ、歓迎されてるなぁ」
「誰が歓迎などしとるものか!」
左利きがそう怒鳴ったのとほぼ同時に、年少の呪使いがお茶菓子を持って入ってきます。
お茶くみの少年は全員の前にお菓子を置こうとしたのですが、左利きが即座に「こっちの女にだけでいい! こいつにはいらん!」とこれを制止します。
左利き本人も辞退しましたので、三人分のお菓子がリエッキの前に山盛りです。
「あの、一応確認なんだけど……怒ってる?」
「確認しなければそれすらわからんのか!」
「あわわ、どうやらなにを言っても火に油っぽいぞ」
同じ卓に三人。一人は我関せずの調子で早速茶菓子に手を付けており、こちらはいかにも歓迎された客人のよう。あ、これ美味いな、と感想まで漏らしています。
しかし残る二人、こちらはまるで取り調べに臨む保安吏と下手人のようです。
「……貴様、ずいぶん派手にやってくれたな」
ややあってから、左利きが言いました。静かな声に怒気をいっぱいに孕ませて。
「派手に、とおっしゃりますと?」
「ほう、とぼけるつもりか」
と、そこで左利きが取り出したるは、使い込まれた一冊の帳面です。
「たとえばこんな話が届けられている。時期は二年前の夏だな」
とても、感動的な、話だ。
そう念押しするように(あるいは脅しつけるように)一語一語を区切って言って左利きが話しはじめたのは、次のような話でした。
――その夏、とある地方を未曾有の大豪雨が襲った。
河川は見る間に水位を増し、人々に逃げおおせる暇すら与えずに決壊した。
近くには数百人が暮らす村があったが、この村は地図から消え村民も大半が命を落とすだろうと、そう覚悟された。
「しかしそうはならなかった。たまたま通りがかった誰かが神のような奇跡を行使して水の流れを変えたからだ。結果として人死にはおろか、田畑への被害も皆無だった」
「あー、あの村かぁ! よかったなぁ、村の人たち元気でやってるかなぁ」
「やはり貴様だったのではないか!」
左利きが、対座するユカへと食いつかんばかりに身を乗り出します。
「なんだよ。誰も死ななかったんだから良いじゃないか。命は大事だよ、大切だよ」
「ああ、そうだな。ところで水害事件のあと、この男は村人とさらにどこからともなく呼び出した竜に協力させて、川の形そのものを強引かつ不自然にねじ曲げたそうだ」
「あ、あー……」
「村人たちはたいそう感謝して石碑まで建立したそうだが、記憶にあるか?」
「……せ、石碑のことまでは知らなかった」
「そうかそうか。それじゃ、また別の話だ。少し長いが、こっちも感動的だぞ?」
と、素早く帳面をめくって左利きが話しはじめた次の話とは、このようなもの。
――その町は代々に渡ってとある富豪の一族に牛耳られていた。
ある年、事情を知らぬ若夫婦が長旅の末にこの町に根を下ろすことにした。
富豪の当主は美しい若妻に目を付け、最初は権柄尽くに、それでも靡かぬとみるといよいよ私兵を動かした力尽くで、ついに自分の館へと拐かしてしまった。
絶望する若い夫に同情しない者はなかったが、しかし一族の恐ろしさを知り尽くした町民のこと、口を揃えて諦めを促すばかり。
「そこで状況に介入してきたのが、偶然居合わせた男女二人連れの旅人だ」
――事の詳細を聞くに及んで旅人たちは深く被害者に同情し、かつ、富豪の横暴に対しては真剣に腹を立てた。旅人は町民たちを集めて、彼らに立ち向かうことを促した。支配されることと諦めることに慣れすぎた町民たちは最初これに取り合わなかったが、この旅人の男の方はなにか異質なほど言葉が上手かった。
煽動、焚きつけ、叱咤激励……まだ若い男の言葉に勇気づけられて、人々はついに決起する覚悟を固める。
「へぇ、それでどうなったんだ?」
リエッキがわざとらしく相づちを打ちました。
ユカが「どっちの味方なの!」と顔全体に書いてリエッキを見ましたが、彼女はそれを無視して再びお菓子に取り組みます。
「よくぞ聞いてくれた。ここからが面白いぞ」
――町民の覚悟を見届けるや否や、旅人はにっこりと人々に笑いかけ、自分に作戦があるから乗って欲しいと申し出た。
はたして明かされた作戦の内容とは『旅人の女の方を着飾らせ敵の館に送り込む』という、ただこれだけのもの。
この女は拐かされた若妻が霞むほどに美しい女性であったので、企み自体はごくごく円滑に成功した。
しかしそこから先が町民たちには不明で、これではいたずらに虜を増やしただけと思えた。
「ふん、『そこから先』など、もとより不要だったのだ。女を館に送り込んでからほどなく、富豪の館は盛大に燃え上がった。道理は不明だが……ふ・め・い・だ・が! 突如として真っ赤な竜が現れて、館を内側から破壊し尽くしたのだそうだ」
まったく、あれだけやってどうして死者が一人も出ていないのか、と左利き。
「騒動が片付いた時、旅人たちの姿はどこにもなかったそうだ。『悪の支配者が打倒され町は人々の手に取り戻されました』、そんなおとぎ話めいた結末と立ち上がる勇気だけを残して、そいつらは黙って町を去ったというわけだ」
「ええと……悪者がやっつけられたんだし、めでたしめでたしじゃないかな?」
「そうだな。ちなみに竜が破壊した館は価値ある歴史的建造物だ」
いや、『だった』だな。過去形だ。もはや存在しない。
「とにかく、どこかの誰かのおかげで町は救われたのさ。解放者たる旅人の偉業を伝える為に、町の中心部には近々あるものが設置されるそうだ。なんだと思う?」
「……石碑とか?」
「なんと、正解だ! さすが魔法使い! 勘が良いなあ!」
左利きが「よかったな! 二つ目だぞ!」とユカに笑いかけます。
辛辣で居心地の悪くなる笑顔でした。嫌な汗がユカの背中に伝います。
「さて、次の話だ」
「……まだあるの?」
「黙って聞け。ひとまずこれで最後にしてやる」




