◆12 おじちゃんっ子たち
色の魔法使いは、あまり感情を表に出さない人です。
しかしけっして感情のない人ではない。そのことは読者よ、あなたもわかってくれているはずです。
子を持つ父として、妻を守る夫として、彼は強固に自分を律して、律し続けていて。
だから、ユカがこの兄の本気の涙を見たのは、たった一度だけのことでした。
しかし、それはまだ少しだけ先のお話です。
先の話は、先に伸ばしましょう。
なにしろ三年(と半年)ぶりの里帰り、三年ぶりの家族との再会です。
積もる話はお互いに山ほどもあるのです。
まずは家族たちの近況からお話ししましょう。
兄と姉の夫婦は、今でも骨の魔法使いの森で暮らしていました。
当然です。子育てというのはただでさえ大変な事業だというのに、一人でも手のかかる子供が、一度に二人!
ああ、大人の手はいくらあっても足りません!
「お母様には感謝してもしたりないわよ。赤ちゃん産んだ後の母親って冗談抜きで死に体なの。もうべらぼうに産褥で、お母様の介抱がなかったらって思うとぞっとする」
「大変だったんだねぇ。でも、まさか双子だったなんて」
びっくりしたなぁというユカに、あたしだってびっくりしたわよと踊り子。
「苦しんで苦しんでやっと産まれてくれたと思ったら、なんかもう一人出てくるみたいって言われて……あのときに感じた絶望は人生でも指折りに屈指よ」
そう言ったあとで、まぁ今は幸せも二倍って感じだけどね、と踊り子。
姉さんてばもうすっかりお母さんだね、とユカがリエッキに笑いかけます。
「でも、あたしたちだけじゃこんなに上手くいかなかった。ほんと、お母様には今でも助けてもらいっぱなしよ。子供たちもよく懐いてるし。お婆ちゃんお婆ちゃんってね、あたしたち親の言うことは聞かなくてもお母様のは聞くのよ?」
「母さんも孫たちがかわいくて仕方ないみたいだよ」
「双子の両方ともが婆ちゃん子なのか?」
リエッキのこの質問に、踊り子は、にんまり笑って首を横に振りました。
「確かにお婆ちゃんのことは大好きだけど、でも、一番じゃない」
「ふうん、やっぱり両親が一番か。ま、よかったな」
「ふふ、残念ながら……とぉっても残念ながら、それも違うんだなぁ」
はて、と首を傾げる二人にたっぷりもったいぶってから、踊り子は正解を告げます。
「子供たちは二人とも、おじちゃんが一番なのよ」
おじちゃん? と二人分の声が重なり、それから、ユカが自分を指さします。
踊り子はこれにも首を横に振って。
「違うわよ。ユカくんじゃなくて、もう一人、いるでしょ?」
※
骨の魔法使いの屋敷は『鯨の頭骨の魔法』の産物であり、聖域の森が発現したその当初から現在の場所に存在しておりました。
少女時代の母にとって祖父のような存在であった鯨。その贈り物の一つであるお屋敷は、いつか彼女がたくさんの家族に囲まれるようになると、あたかもそう予見していたかのように立派な家構えをしておりました。
そういうわけで、これまでは持て余し気味だったお屋敷の広さが、夫婦と子供たちを受け入れるにあたって眠っていた本領を発揮します。
兄姉の一家は二階の二部屋をまるごと与えられて、真にこの家の住人となって魔女と生活を共にしはじめたのです。
では、暮らし向きはどうだったか?
一言でいって、豊かです。
それはもう徹頭徹尾、豊かです。
まず食べることについてですが、森からは季節ごとに多様な実りがもたらされますので、この一点において不足など生じようはずもありません。
いつでも手に入る新鮮な食材たちを教材に、踊り子は数々の家庭料理を骨の魔法使いから伝授されました。
森で得られないものについては町に出てお金で購うわけですが、森の資源とその加工品はどれも飛ぶように売れましたので、ここでも不自由はまったくありません。
たとえ財布を持たずに出かけたとしても、大量の物品を買い込んだ上に町の活況を存分に楽しんで、売り上げはそれでもなお余るのが常の有様。
色の魔法使いは余暇などに木工細工に打ち込むようになっていたのですが(色彩技術と手先の器用さを駆使した彼の作品はいつでも真っ先に完売しました)、これも生活の為というよりはただ楽しみとしての創作活動でした。
「町へのお出かけといえばね。みんなで町に行った時に一度、事件が起きたの」
笑い話の調子で骨の魔法使いが口にした事件のあらましとは、以下のようなもの。
はじめて立った子供たちがそのうちに歩くことも覚え、さらに走り回るようになった頃のこと。
母と祖母はいつものように子供たちの手を引いて町へと出かけた。
必要な買い物もいくらか余分な買い物も楽しみ、森暮らしの子供たちに人間社会の営みも見せて、さて帰ろうかとなったまさにそのとき――一人の不審者がひったくるようにして双子の片方を抱え込み、そのままどこぞへと連れ去ろうとした。
「すぐにとっ捕まえてやろうとしたけど……でも、この子のほうがずっと早かった」
骨の魔法使いが走り出そうとした次の瞬間、市場に陳列されていた品々が宙を飛んで不審者に殺到した。
大きな南瓜に尖った石の飾り、その他あらゆる物品が殺意を孕んだ礫となって男を打ちのめした。
踊り子の魔法であると、ようやく森の母がそう理解した時にはもう、魔法の主は馬乗りになった相手に向けて拳を振り下ろし続けていた。
「私の出る幕なんて、変態さんを殴り殺しちゃう前にこの子を止めるだけだったわよ」
そんな骨の魔法使いの言葉に、いやぁ、と照れくさそうに頭をかく踊り子。
「……本当に、もうすっかりお母さんだね……」
「……母は強しとかいうやつだな……」
それぞれ戦慄を込めて言ったユカとリエッキに、踊り子は次のように応じます。
「そうよ、母親って強いの。強くて、獰猛なの」
がるるるる、と獣の声真似をする踊り子に、朗らかな笑いの波がその場に満ちました。
「ただいまぁ」「ただい、まぁ」
開け放しの扉から子供たちが飛び込んできたのは、そのときのことでした(双子の出入りを円滑にするため、最近では昼間のうち玄関の扉を閉めずにおくのだそうです)。
入ってくるなり、双子たちは母親の前を素通りして骨の魔法使いに抱きつきます。
おばあちゃん、おばあちゃんと口々に呼んでは、外で手に入れたすべすべの石や虫の死骸などの戦利品を披露します。
踊り子はそんな様子を微笑ましそうに眺めたあとで、虚空に向かって話しかけます。
「お義兄さん、そこにいます? この子たちのこと、いつもありがとうございます」
目に見えぬ彼がそこにいると信じて、踊り子はそうお礼を言いました。
色の魔法使いの、死んで産まれた兄に。姿のない義兄に向かって。
※
子供たちの目がしばしばなにもない空間を見つめていることがあると、最初にそう気付いたのは母である踊り子だったそうです。
そうして家族が注意深く観察を重ねるうちに浮かび上がったのは、なんともはや、俄には信じられぬ事実でございました。
どうやら双子が見ているのは、目に見えぬはずの父親の兄であるらしいとの。
それが生来のものであったのか、それとも父親の『色彩の眼』のように後天的に獲得されたものなのか、それはわかりません。
しかしとにかく、子供たちは死者である伯父の姿をその目に捉えることができたのです。
誰にも、実の弟にさえ捉えることのできなかったその姿を。
そして特別の眼の発覚からわずかに一月ほどの後、さらなる事実が判明します。
双子たちは伯父の姿のみならず、その声までも(この世でただ一人、父だけしか聞くことのできなかった声を)聞き取っているのだと、そうわかったのです。
つまり双子たちにとって、この伯父は生きている他の大人となんら変わりない存在で。
二つの事実が明るみに出るに及んで、感極まったのは色の魔法使いです。
彼は双子を抱きしめて、抱きしめられる子供たちが戸惑ってしまうほどに強く抱きしめて、繰り返し繰り返し「ありがとう」と言い続けたそうです。
――お前たちの目が、お前たちの耳が、兄さんを孤独から引き上げてくれた。ひとりぼっちじゃなくしてくれた。ありがとう、ありがとう。
そう、ほとんど泣きそうになりながら繰り返したそうです。
こうして、霊体の兄は変わり身も早く霊体の伯父へと転身いたしました。
取り憑く相手も弟から双子たちへと鞍替えし、片時も歇まずに見守り続けます。
かつて弟にそうしていたように、甥姪の守護霊となって。
この兄の子守っぷりには家族の全員が全面的な信頼を置いておりました。
手は出せぬまでも口は出し、子供たちが危険な真似でもしようものなら即座に叱りつけて躾にも大いに貢献し……と思えば、父母の教えてくれぬ類いの遊びをこっそり子供たちに教えてやり、そのことで弟と言い合いになるのもしばしば。
これが『子供たちの一番に大好きなおじちゃん』の正体。
今まで弟以外には実感されることのなかった彼が、双子たちを通して、今では家族の中に確固たる存在感を示しているのです。
以上が、読者よ。我らが親愛なる家族たちの、その愛すべき近況報告です。
森での暮らしは、この通り豊かさの極み。
衣食住のすべてにおいて。
そしてなにより、心にとって豊かでした。




