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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
■ 六章 司書王

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◆8 布の家の魔女

 旅路の上で、ユカとリエッキは様々な出会いを果たします。

 夜の国で出会ったソリ引きのおじさんのようなとびきり親切な人にも、反対にちょっとだけいじわるな人にも。

 普通の人には行く先々で、それに不思議な人とだって、たくさん。


 たとえば砂漠の国では『姿を失った透明の美女』とお近づきになり、内海に接した港町では『耳を塞いだ時にだけ視力を取り戻す盲目の傭兵』と知り合います。

 彼らは魔法使いではないのですが、しかし魔法とはまた違ったことわりの神秘をその身に帯びていました。


 数々の出会いには、出会った数だけの別れがあって。

 そして数々の別れの中には、悲しいものだって確かにあったのです。


 その老女は布で出来た家に住んでおりました。

 組み立てが簡単で運搬も可能な縫製ほうせいの家屋は移動生活を営む遊牧民たちにはよく使われている住居で、ユカとリエッキも彼らの村に立ち寄った際に一度だけ見たことがありました。


 ですが、町に住む一人暮らしの老女の住まいとしては、これはあまりにそぐわない。

 しかも、移動生活など無縁のはずの職業である、仕立屋の住居兼仕事場としては。


 ユカとリエッキがその奇妙なお店に足を踏み入れると、中で針仕事をしていた老女は顔をあげて、いらっしゃいませ、とのんびりした笑顔で挨拶を寄越しました。

 こんにちは、とユカも挨拶を返し、その後ろでリエッキがちょこっと頭を下げます。


 そんな型どおりの挨拶のあとで、ユカは単刀直入に切り出しました。


「間違ってたらごめんなさいだけど、おばあちゃんが針の魔法使いだよね?」


 老女の表情が驚きに固まります。


「あれまぁ、いったい誰から聞いたんです?」


 そう問うてくる老女に、僕の兄さんから、とユカは答えます。


「昔、もう十年よりずっと前にだけど、男の子を助けてくれませんでしたか? 特別な目を持った、傷を消す魔法の色を操る男の子です」



   ※



 その夜、布の家ではささやかな宴会が催されました。

 針の魔法使いが蓄えていた食料に加えて、ユカとリエッキが旅先で手に入れた珍味の数々までもが、所狭しと並べられます。


「この家って、中は外から見るよりもずいぶん広いような気がするぞ」

「うん。もしかしてこれも魔法なの?」


 リエッキの疑問を引き取る形でユカがそう質問すれば、針の魔法使いが「ええ、そうですよ」と楽しそうに答えます。

 外から見たよりずっと広いしね、しかも小さく折りたためるの、と。

 それから、空になった二人の器に温かいお茶を注いでくれました。


「でも、そうですか。ユカさんはあの子の弟なんですか」


 針の魔法使いがしみじみそう言ったのに、うん! と元気よくユカ。


「こいつはあの男にたいそう懐いてるよ」

 とリエッキが言い加えます。

「母親と姉、こいつの周りにいた年上の家族って、それまでは女ばっかりだったからな。そこに急に兄貴が出来て、それが嬉しくって仕方がないんだ」


 自分じゃ隠してるつもりらしいけどバレバレだよ。

 そう締めくくられたリエッキの暴露を「バレバレだったの!?」と驚くことで逆に肯定してしまったユカの墓穴に、針の魔法使いが口元を押さえて笑います。

 

「あの子は、お兄ちゃん子でしたからね。いつも自分のことを一番に考えてくれるお兄ちゃんがあの子にはいたから。目に見えないけど自慢のお兄ちゃんが。だからきっと、自分も弟にとって良いお兄ちゃんになろうって、頑張ってるのでしょうね」


 昔を懐かしむ口調で言った針の魔法使いに、この人は僕たちの兄さんを本当に理解しているんだなぁと、ユカはそう感じます。

 理解してくれてるんだな、と。


「恩返しよりも恩送りをしなさいと、私に返そうとするあの子にそう教えたせいかもしれません。しかもあの子は何倍にもして他の人に送ろうとする。そういう子なんです」

「うん」

「あんなに優しい子は、他にいません」


 針の魔法使いはしみじみと言って、それから。


「……だから私は、あの子の前から姿を消さなければならなかった」


 布の家の空気が少しだけ変わり、誰もなにも言わない無言の間が訪れます。


「……おばあちゃんのことは、兄さんから聞いてます」


 沈黙を破ったのはユカでした。


「故郷を追われてボロボロになっていた兄さんを、おばあちゃんが拾ってくれて、魔法使いのいろはを教えてくれたんだって。ううん、魔法使いのことだけじゃなく、生きていくのに必要な知識もみんなおばあちゃんから教わったって、そう言ってた」

「……そうですか」

「おばあちゃんは目に見えない兄さんのお兄さんのこともそこにいるみたいに扱ってくれて、兄さんはそれがとっても嬉しかったって、そう言ってた」

「……ええ」

「……だけどある朝、兄さんが目を覚ましたら、それまであったはずの家ごとあなたはいなくなっていた」


 ユカの言葉に、責めるような調子は少しもありませんでした。ですが、針の魔法使いは責められていると感じているようでした。

 いいえ、あるいは彼女を責めていたのは、彼女自身だったのかもしれません。


「……あの子は、とても優しい子です」


 少しの沈黙のあとで、針の魔法使いはもう一度言いました。


「だから、あの子は私と居たら私に気を遣ってしまう。そうして自分の本当にやりたいことまで我慢してしまう。魔法使いにとってそれは、とても辛いことです」

「……そうだろうな」


 そう同意したのは、魔法使いのユカではなくリエッキでした。

 もしもユカが物語ることを諦めてしまったらと、彼女はそんな想像をしたようでした。


 針の魔法使いはリエッキに小さく肯いて、さらに続けます。


「それに私の側にも、あの子から離れなければならない理由があったんです。だって、誰かの為に傷つき続けるあの子を見ていたら、私はきっとあの子を傷つける人たちに仕返しをしたくなってしまうから。そんなことをしたらあの子の頑張りを、いろんな意味で台無しにしてしまうとわかっていても。

 だから、私は……」

「大丈夫、わかってるよ。僕たちも、もちろん兄さんも」

「ねぇ、教えてください。あの子は、私のことを――」


 そう問いかけようとした言葉は、しかし途切れて消えてしまいます。

 中断された言葉の先は明白でした。


 あの子は私のことを恨んでいますか?


 もちろん、そんなことはありません。色の魔法使いにあるのはただ感謝の心だけで、恨みなんか少しもないのだ。そのことはユカもリエッキもわかっていました。


「そういえば、あの男がいつも着てる外套(マント)、あれもあんたの作品なのか?」


 少しあとで、ほとんど脈絡を無視したようにそう言ったのはリエッキでした。

 その外套はどのようなと問われて、二人が思いつくままに特徴を羅列します。


「ああ、それは間違いなく私の作、私があの子に作ってあげたものです」


 針の魔法使いの答えを受けて、「はん、道理で」とリエッキが納得して肯きます。


「おばあちゃんがくれた外套をね、兄さんはすごく大切に着てるんだよ。夏の暑さからも冬の寒さからも守ってくれる、大事な人を包み込むことも出来るって」

「ああ。あんまりにもいつも着てるもんだから、たまにあれを脱いでるとすぐにはあの男だって気付かないくらいだ」


 きっとなにか(くし)びの品だろうと睨んでたけど、やっと正体が判明した、とユカ。

 言葉を尽くした説明なんかより、この証言一つで十分でした。

 針の魔法使いはその場に泣き崩れて、おいおいと嬉し泣きに泣いて。そして絞り出すように、ありがとう、と言いました。


 ユカとリエッキにではなく、この場にはいない誰かに向かって。



   ※



 さて! そのあとはまた、楽しい宴会の再開です!


「あの子が、あんなに小さかったあの子がお嫁さんをもらって、それで今度は、お父さんになるなんて」


 そう言ってまたも嬉し涙を浮かべる老女に、リエッキが素早く手巾を差し出します。


「まだ会ってないけど、でももうとっくに産まれてるはずだよ。とにかく、いつか会いに来てあげてよ。お嫁さんにも赤ちゃんにも、それに兄さんにも」


 きっとすごく喜ぶよ、と。

 そう言ったユカに針の魔法使いは曖昧な笑顔で応じて、森への招待に対する回答は、なぜだか有耶無耶うやむやのうちに保留してしまいました。


「ユカさん、見てください」


 宴会が終わりにさしかかったころ(ちなみにリエッキはすでにすっかり酔い潰れていました)、針の魔法使いが、ユカになにかを差し出して言いました。

 それは、男性用と女性用で揃いになった、一組の帽子でした。


「これ、今日完成したんです」

「わぁ、とても素敵だね……!」とユカ。「でも、誰の為に作ったの?」


 ユカの質問に、針の魔法使いは首を横に振ります。


「わからないの。とにかく針が私に求めたんです、これを作るように」

「そういうことがあるの?」

「そういうことばかりよ。だって私たちは、魔法使いなのですから」


 そう楽しそうに笑う老女の言葉に、そういえばそっかとユカも笑い返します。


「あなたたちがこの家に入ってきた時には、ああ、この人たちが持ち主なんだなって思った。でも、違うみたいですね。あなたたちにはこれ、大きさが合わないみたい」


 だけど、と針の魔法使い。


「だけど、これが完成した日にあなたたちが現れたことは、きっと偶然ではないでしょう。だから、あなたたちに託させてください。旅を続ける中でこの帽子の持ち主たちに出会ったら、あなたとリエッキさんから渡してあげてください」


 もちろん、ユカは胸を叩いてこの大役を引き受けました。



   ※



 その夜、ユカとリエッキは布の家に宿泊しました。

 朝起きたら家ごとなくなっていた、という衝撃的な話を兄から聞かされていたので多少覚悟はしていたのですが、翌朝目覚めた時も、布の家は昨夜と変わらずそこにありました。


 針の魔法使いが姿をくらますことはありません。

 なぜなら彼女は死んでいたから。


「……この人は、たぶん自分の死期を悟っていたんだろうな」

「……うん。最後の作品が完成した日に僕たちが来て、その日に息を引き取ったんだ。僕たちが昨日ここに来たのは、本当に、偶然なんかじゃなかったのかもしれない」


 針の魔法使いの遺品である二つの帽子を見つめながら、ユカは言いました。



「……なぁ、ユカ」


 弔いを済ませて旅を再開する時に、リエッキがユカに言いました。


「お袋さんがいくら呼べ呼べって言っても、あの男はいつも『お母上』とか、そんな風に一歩引いた呼び方をしてたよな。母さんとか母上とか、そういうのじゃなくて」

「うん」

「わたしはあれを、照れとか遠慮の表れだと思ってた。でも、そうじゃなかったんだな」


 リエッキがなにを言おうとしているのかは、ユカにもしっかり伝わっていました。

 ユカも同意見でした。

 彼らの兄には、すでに母たる存在がちゃんといたのです。



   



 針の魔法使いに関する話を、二人は手紙に書きませんでした。

 彼女との出会いや話した内容、そして彼女の死。それらを面と向かって伝えずに手紙で済ませてしまうのは、なんだかとてもずるいことであるように思えたのです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ユカとリエッキの旅の続き、物語の続きが読めてとっても嬉しいです!!久しぶりに2人を見るといつでも楽しそうで変わらなくて安心します。 踊り子と色の魔法使いの子供も気になるし、続きが楽しみです…
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