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図書館ドラゴンは火を吹かない  作者: 東雲佑
■ 六章 司書王

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◆7 朝の来ない夜におはようと告げて

 時には立ち寄った村の結婚式に参列して、時には近隣の村を(おのの)かせている熊さんのねぐらに話をつけにいき、街角の小さな恋愛模様に巻き込まれたこともありました。


 意味のある寄り道も意味の無い寄り道も(川沿いを歩きたいというだけの理由で大きく遠回りをしたことだってありました)重ねに重ねること、数ヶ月。

 ユカとリエッキは、ようやく目的地である夜の国に辿り着きます。


 ですが、二人が最初の村に到着した時、空にはしっかりお日様が照っていました。


「なんか、全然夜じゃないよね」

「うん。おまけに良い天気だ」


 これって、流言に踊らされちゃった? 所詮、伝説は伝説に過ぎなかった?

 と、二人があたりはばからず落胆を声に出して話していますと。


「あんたらぁ、そいつは当然だぁ。なにせここいらはまだ夜の入口だからなぁ」


 会話を聞きとめた一人のおじさんが、そんな風に声をかけてきたのです。


「夜の入口って、どういうこと?」

「この辺はまだ夜の国の外側のほうでなぁ、だからまだそこまで夜が深くないんよぉ」

「夜に深いとか浅いがあるの?」

「あるなぁ。ここいらも他の国と比べりゃ夜が長いんだけんど、それでも一日に何時間かはお日様が出てるんよぉ」


 もっと北に行けば一日中夜の場所もあるよぉ。

 おじさんは北の方角を指さしてそう言ったあとで、なんと、「なんなら連れてってやろうかぁ?」と申し出てくれたのです。


「俺はソリ引きでなぁ。ちょうどあっちに用事もあるしなぁ」

「いいの?」

「いいんよいいんよ。夜の深い方は雪も深いかんなぁ、歩いてかせるのは、心配だぁ」

「でも、大丈夫? おじさんと僕たちの三人も乗せて、荷物だって重いよ?」

「はっは! うちの馴鹿(トナカイ)たちはなぁ、自慢じゃないが自慢すると、強いぞぉ!」


 ということで、親切なおじさんのソリに乗って、二人はさらに北を目指すことに。


馴鹿(トナカイ)ってすごいんだねえ!」


 はじめて垣間見た輓獣(ばんじゅう)としての馴鹿(トナカイ)の優秀さに、ユカが思わず歓声をあげます。

 縦列じゅうれつに繋いだ二つのソリを二頭の馴鹿が引く二頭立て二両編成は、驚くほど軽快に雪上を走るのです。

 滑走かっそうはいかにも快走、車輪で走る馬車とは乗り心地も全然違います。

 素朴で裏のない賞賛にソリ引きのおじさんは、はっは、はぁ! と大きな口を開けて笑います。

 荷物がなけりゃあ、速さだってもっと出るんだぞぉ!


「ねぇ、夜の国に人の住む街や村は、おじさんたちのとこ以外にもあるの?」

「あるにはあるけど、みんな夜の浅いとこにあんだぁ。あんたらが行く先には、ねえ」

「どうして?」

「ずうっと夜だけが続く場所で暮らすのは、夜に慣れてる俺らでも不便だからなぁ」

「どんな不便さがあるの?」


 ユカがそう訪ねると、おじさんは、そうだなぁ、と言って。


「まず気分が沈むなぁ。一日に何時間かでもいいから、人間はお日様浴びねえとぉ」

「なるほど」

「それから目が暗いのに慣れきっちまって、たまに明るいとこ出ると目が痛くなる」

「あー、それも困っちゃうね」

「それから、なんと言ってもぉ」

「なんと言っても?」

「やたら眠くなっていけねぇなぁ」


 笑い声が三人分、それぞれの大きさで雪原に(こだま)しました。


 そうこうするうちに、ここらでいいだろうと、おじさんがソリを停めます。

 天には星、周囲にはただ雪と夜と森の静けさ。

 夜の国の、ここがその最深層さいしんそうでした。


「そいじゃぁ満足したら言ってくれぇ、そしたら元の村まで連れて帰るからぁ」

「ありがとう。でも、僕たちはすぐには帰らないよ」


 そう言ってソリを降りようとする二人を、豪放磊落ごうほうらいらくを絵に描いたようなおじさんが、はじめて慌てた様子を見せて引き留めます。


「待て待て、こんななんにもないとこで降りて、いったいなにしようってんだい?」


 凍えっちまうからやめときなぁ。

 そう言ってくれるおじさんに、ここまで来たら夜が明ける時間まで……というか、夜が明けない時間までここにいたいんだ、とユカ。


「んー、ずっと夜だから時間がわかんないや。今はどのくらいの時刻なんだろ」


 ユカがそう言うと、おじさんは頭上に広がる星空に目をこらして、「だいたい夕方くらいかなぁ」と教えてくれました。夜の国の人間は星の運行で時間を計るんだぁ。


「むむむ、わかったぁ。それじゃソリを片方置いていくから、その上に乗ってろぉ」


 そう言うと、おじさんはソリ同士の連結を解いて、二人のソリをその場に切り離します。それから大きな毛布を一枚投げて寄越し、風邪ぇ引くなよぉ、と言いました。


「明日また迎えに来てやるからなぁ」


 去って行くおじさんのソリに、ユカとリエッキはいつまでも手を振り続けました。

 こんなに寒いところなのに、人の心というのはやっぱり温かいものなのです。


 走らないソリの上で、二人は身を寄せ合って一枚の毛布にくるまれます。

 身を寄せあって、ただ二人だけで夜の底にいます。


「夜だねぇ」

「うん。夜だな」


 見渡せば一面の銀世界で、だけどお天気はこの上なく良好。降りしきるのは月光と星光、そして静けさ。

 雪が余計な音を吸収して、静寂せいじゃくがあたりを清めています。

 手にした角灯(ランタン)以外には人工的な光は皆無で、なのに雪明かりはこんなにも明るくて。


 この世で一番深い夜。

 不純物のない、夜の中の夜。

 極夜。


 お互いの体温でお互いを温めあいながら、二人はこの夜を堪能します。

 熱を操る『ほとぼりを手繰る見えない手』の物語(まほう)で、逃げようとする暖かさをしっかりと集めて。

 あとには採暖の為の熱源なんてたき火の一つもないのですが、だけど心はぽかぽかです。


 最初の内、二人はあれこれと話をしていました。

 なにしろ他にやることもありませんので、話して、語って、それに歌ったりも(片方は類い希なる音痴でしたが)。

 ですが、時の経過と共に口数は少なくなり、いつしか完全に会話は途切れます。

 話題がなくなったのでも、話すことに飽きたのでもありません。


 言葉が不要となっていたのです。


 いつの間にか、二人は言葉を用いずに意思を疎通させはじめていたのです。

 ある瞬間に発した「そういえばあれはどうだっけ?」という何気ない質問に、「それはこれこれこういうことで」と答えたその後で、あれ? いま僕たち、声を出してなかったよね? とそう気付いた、それが最初でした。


 あらゆる夾雑物きょうざつぶつから切り離された環境に身を置くうちに、彼我の(あわい)までもが極限まで澄み渡って、だから可能となった……それは、ある種の奇跡のような体験でした。

 まるで自分が相手の半分になって、相手が自分の半分になったかのような、素晴らしい奇跡。


 二人はその後も終始無言を貫いて、だけどいつも以上にたくさん話をしました。

 言葉を用いない会話は、百の言葉を尽くすよりも正確な気持ちを伝えてくれました。


 そうして二人はいつしか眠りに落ち、すやすやとたっぷり眠って、だけど目を覚ましてもやっぱり朝は来ていないのです。

 朝の来ない夜の真ん中で声を出さずに「おはよう」を告げ合って、それから、その状況に含まれたいくつもの奇妙さがおかしくて、ようやく二人は声をあげて笑いました。



   ※


 その後も、ユカとリエッキの旅路は続きます。

 見て聞いて譚って、食べて歌って体験して、二人はすべての瞬間を謳歌します。


 楽しいのは自分だけかもなんて、そんな馬鹿なこと、ユカはもう絶対に考えません。

 リエッキと過ごす一分一秒が自分にとって宝物たからものであるように、リエッキにとってもそうなのだと、はっきりとそう気付いたからです。


 だから、「楽しいね」と語りかけることもありません。

 だってそんなの、わざわざ言葉にするまでもないのですから。

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― 新着の感想 ―
[一言] この間のゆる募はこのシーンのためだったのですね。いい雰囲気です。 これまでとは物語の基軸が切り替わった感じになって、先がどうなるのか予想もつかない拡がり方が何とも新鮮です。ゆっくりでいいの…
[良い点] おはよう!極北の夜よ
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