◆5 たまには手紙くらい寄越せ。
呪使いたちは翌日の正午過ぎに森を発ちました。
「も少しゆっくりしてけばいいのに」
そうやんわりと慰留するユカに、アホ、忙しいと言っただろうが、と左利き。
「呪使いという組織は見事なまでに腐りきっていたからな。死ぬ気でやらなければ、私の生きているうちに変えることなど夢のまた夢だ」
人の一生はそれほど長くはないのだ――そうきっぱりと言ったあとで、左利きは急にぶんむくれたような顔となって、目も合わせずに言い放ちました。
「……だが、確かに良い気晴らしにはなったぞ」
言行不一致極まるこの態度にその場の全員がしばしぽかんとし、その後で、今度は一斉に笑い出します。
今回の交流会における最も有意義な発見は、左利きのはにかみ癖は彼以外の人間に対しては最高の諧謔として機能するという事実であったかもしれません。
さて、呪使いたちの出立は当初の予定通りだったので、意外性なんて全然なくて。
しかし、この後のもう一つの出発宣言は、そこにいたみんなを仰天させました。
「それじゃあ、僕たちも明日行こうか?」
何気ない調子で発せられたユカの言葉は、確認を振られたリエッキ以外の全員から、いっとき言葉を失わせます。
「行くって……どこへ?」とまずは踊り子。
「まだ決めてない。でもたくさん、いっぱい、いろんなとこに」
「どこに行くかも決めてないのに旅立つの?」と骨の魔法使い。
「うん。細かいことは歩きながら考えようかなって」
「旅立つこと自体はいつ決めたんだ?」と色の魔法使い。
「んと、昨日の夜」
三人の家族のあとで、「……おそらく、焚きつけたのは私なのだろうが」と、なにやら慚愧する様子を覗かせながら言ったのは左利きでした。
「……しかしこれは、あまりに急ではないか?」
問うと言うよりは半ば窘めるような宿敵の言葉に、ユカは自信満々、さっき聞いたばかりの言葉を引用して応じます。
「のんびりしてたらもったいないよ。だってさ、人の一生はそんなに長くないからね」
得意げにそう言ったユカに、何人かが諦めたようにため息をつきました。
これ以上は言っても無駄、なにしろユカというのは『こういう奴』なのです。
「明日出発、か。ならば、ここを最後にしばしの別れだな」
もちろん私は見送りになど来ないぞ、と左利きは言い、それから。
「……だがまぁ、近況くらいはたまに知らせろ。詛呪院のことは知っているな? ある程度以上の規模の都邑にならば必ず置かれている呪使いの施設だ。そこに預ければ私に届くよう手配しておくから、時折は文でも寄越せ。
……私にだけでなく、ここの家族にもな。受け取ったら届けてやるから」
最後の部分を言った後で、左利きは女性陣の感謝の視線から逃げるようにそっぽを向いてしまいます。
この通り、彼という男はつくづく含羞の人なのでした。
「うん、わかった! 気合い入れてお手紙書くよ!」
「あ、いや……貴様の文が牛の糞にも劣るのはよくわかったからな……おい、あんた」
張り切るユカを無視して、左利きはリエッキに向かって言いました。
「すまんが、あんたが監修してやってくれ」
「……ん、わかった。こいつの破滅的な文才はわたしも目撃したしな。引き受けるよ」
助かる、と。
そうリエッキに肯いたあとで、左利きは一呼吸の間を置いて。
「あんたが見ていてくれるなら、安心だな」
それが手紙のことだけを指しているのではないのだということは、当のユカを除いた全員が気付いているようでした。
それからまもなく、呪使いたちは今度こそ本当に去って行きました。
森の外まで見送るとのユカの申し出には「鬱陶しいからやめろ!」と否を突き返して。
そのかわりに、「次に会うときまでに少しは呪使いをマシにしておくから、楽しみにしておけ」と、そう再会の約束をして。
ところで、滞在二日目にして宿敵同士がしばしの別れを交わしたこの日の朝、ユカと左利きは、左利きの希望通り、二度目の決闘を行っておりました。
再びの死力を尽くした決闘で勝利を収めたのがどちらか、知りたいですよね?
だけどそれは、あえて語らずにおくとしましょう。
※
さて、それからさらに翌日。
ついにユカとリエッキにも旅立ちの朝が来ます。
「ユカくんてば薄情だなぁ。せめてあたしが赤ちゃん産むまで居てくれてもいいのに」
「心配なんかひとつもしてないよ。なんたって姉さんには兄さんがいるんだもん。それに産後の養生も母様がついててくれれば大丈夫。なんなら子育ても頼ったらいいよ」
娘が母親に甘えるのは当然の権利だからねとユカが言い、踊り子がえへへと笑ってお腹を撫でます。
私もとうとうお婆ちゃんかぁ、と骨の魔法使いがしみじみ感じ入り、色の魔法使いといえばなにやら見えない兄と言葉を交わしている様子。
普段と変わらない日常の、普段と変わらない家族の情景がそこにあります。
一度旅立ったが最後、きっとユカは平気で数年は帰って来ないでしょう。
それがわかっていて、なのに誰ひとりとして、寂しさなんて少しも感じてはいないかのよう。
ええ、そうです。そうなのです。
だって、たとえ血のつながりがなくたって、ここにいるみんなは家族なのですから。
だから、離れていたって寂しさを感じる必要なんか、ちっともないのです。
「それじゃぁ、そろそろ行こうか」
旅装の点検を終えたあとで、ユカがリエッキに声をかけます。
いよいよ出発の時間です。
「ねぇ、リエッキさん?」
立ち上がって本棚を背負ったリエッキに、骨の魔法使いが声をかけます。
「その本棚、たくさん本が詰まってるわよね。ユカの魔法の本が、たくさん」
「うん」
「そんなにたくさん入ってたら、少し重いのではないかしら?」
「いや、別にわたしは全然……」
そこまで言いかけて、リエッキは言葉を中断させます。
骨の魔法使いの……母親の瞳の中にあるなにかに、彼女は気付いたのでした。
「……ああ、うん。そういえば、すんごく重い」
「そうよね、そうよね!」
リエッキの答えにぱっと明るい声をあげて、それから、母は息子に視線を移します。
「そういうわけだから、ユカ。使わなそうな本を半分選んで、置いて行きなさい」
「え、でも……」
「ユカ」
不思議そうな顔をするユカに、今度は色の魔法使いが横から言いました。
「いいから、お母上の言うとおりにしておけ」
それだけ言うと、ユカの目をまっすぐ見て、兄はただ一度だけはっきり肯きます。
さてもこれはどういうことか?
事情の把握は全然出来ないまま、しかしユカはとにかく言われた通りにすることにしました。
ユカはこの兄を尊敬していて、だから、彼の忠告は聞いておいて間違いないだろうと、そのように全面的に信頼していたのです。
「それじゃあ、今度こそ行ってくるね」
それから十分ほどの後、本棚の中身をきっちり半分取り出してその場に残してから、ユカはあらためて家族に行ってきますを言います。
「行ってらっしゃい」と骨の魔法使い。
「気をつけてね」と踊り子。
「手紙、楽しみにしてるからな」と色の魔法使い。
そうして、背中で見送るみんなに何度も振り返って手を振りながら、ユカとリエッキは今度こそ本当に旅立ったのです。
「ねぇ、リエッキ」
森を出て整備された街道の上を歩きはじめてしばらく、ユカがリエッキに言います。
「さっきのは、いったいどういうことだったんだろう?」
「さっきのってのは、本を置いてけってお袋さんが言ったことか?」
うん、とユカは肯いて、
「どうして母さんはあんなこと言い出したんだろう。それに兄さんも」
君だって本当はそんなに重く感じてないよね?
リエッキは少しだけ考えたあとで、答えます。
「わたしはお袋さんじゃないから、あの人が本当はなにをどう考えてたのか、確かなことはわからない。だからこれは、あくまでわたしの考えだけど」
そう前置きして、彼女は続けます。
「他の魔法使いはそうじゃないらしいけど、あんたの魔法は成長するんだよ。未完成の状態で生まれて、あんたの成長にあわせてページを増やし続ける」
「うん、そうだよ?」
「そういうことだよ」
どういうこと? と全然わかっていないユカに、リエッキはさらに言いました。
「あんたがどんなに遠くにいても、少しずつページが増えていく本を見たら、たとえそれが読めなくたってお袋さんはあんたのことを感じられる。
あんたがどこかで無事でいて、あんたが成長し続けているって、それがお袋さんに伝わるんだ」
それはきっと正しくて良いことだなって、少なくとも私はそう思ったんだよ、なんとなく。
そう言って、リエッキはいつものように鼻を鳴らしたのでした。
はん。




