◆4 じゃ、行くか
宴の準備は着々と整えられました。
この日の為に用意されていた食材が次々に調理されて、屋敷の前庭に設えられた宴の場に運ばれます。
円卓は野趣溢れる大樹の輪切りです。優に百を超える年輪のその上に、大皿と小皿が無数に、所狭しと並べられてゆきます。
日没の時間、残照を背負って帰宅したのは色の魔法使いと左利きの相棒です。
二人の釣果は一同が揃って感嘆するほど(ほとんどは左利きの相棒が釣ったものでしたが)。これをどう料理するかについては白熱した議論が交わされたものですが、結論は塩を振ってたき火で串焼き! ということになりました。
骨の魔法使いと踊り子がはらわたを抜いた魚たちを、中年呪使いが次々に樹枝で串刺しにして塩を振りかけます。
やがてあたりに夜が満ちて、かがり火が焚かれます。
眠り続けていた左利きが目覚めて姿を現したのは(たっぷり半日以上眠ったことで寝不足はすっかり解消! 目の下の隈は去って目の玉の血走りも消えて、見るからに健康そのものです!)、ちょうどすべての準備が整った頃でした。
さぁ、かくして宴のはじまりです!
※
誰もが幸せに過ごしているように見えました。
料理は食べきれないほどに用意されていて、しかし時間の経過と共にどんどん空の器は積み重ねられ、卓上を通り過ぎていった食欲のすごさを物語ります。
次にお酒はと申しますと、まずは各種の果実酒の樽が登場しました。これは骨の魔法使いが長年にわたって手ずから仕込んで醸していたものです。彼女自身はほとんど消費せず、だから作っても溜め込まれる一方であったとりどりの美酒が今宵一挙に開放されて、これらは一樽の例外もなく好評を博しました。
続いて呪使いたちがお土産に持参した名酒。これは魔法使いたちに、特に色の魔法使いに好んで飲まれました。そして最後に蜂蜜酒ですが、これに夢中になったのが誰なのかはもはや語るに及ばないでしょう。
ほとんど我を忘れて痛飲するリエッキの姿は、みんなを感心させたり唖然とさせたり、ユカと踊り子にはいつかの酒場の一件を思い出させて懐かしがらせもしました。
こうして口腹の欲は満たされて、お次は仲合の憩いです。
最も語り尽くせぬのは、おそらくこの部分でしょう。
たとえば左利きの相棒が「最近の旦那はこれこれこういう風に大変で」と話せば、骨の魔法使いと踊り子が一斉に「だいじょうぶなの?」と案じる視線を左利きに投げかけます。
こうした女性陣の気遣いはいかな左利きといえど無碍には扱えず、慣れない愛想笑いなど作ってユカを爆笑させます。
色の魔法使いが相棒の釣りの腕を褒めれば、「こいつは馬の扱いも大したもんなんだ」と左利きが自分から会話に加わります。
呪使いたちが遠い異国の生活と歴史にまつわる話を披瀝して聞かせると、お返しとばかりに魔法使いたちがそれぞれの魔法を用いた大道芸を披露して見せます。
母と姉の要望を受けたリエッキがはじらいつつも楽器を持ち出せば、昔を懐かしんだ踊り子が身重であることも忘れて踊り出そうとし、色の魔法使いが真っ青になってこれを制止します。
中年呪使いがユカにお酒を勧めるという、以前ならば絶対に考えられなかった場面すらありました。
誰もが幸せに過ごしているように見えて。
いいえ、誰もが幸せに過ごしていて。
そこにある魔法使いと呪使いの、局地的で限定的で、いとも特殊な友情。
ですがこれから先、このような関係はきっと珍しいものではなくなっていくのだと、その夜の誰もがそんな予感を共有していて。
だから、ユカは言いました。己の宿敵に向かって。
「ねぇ」
「なんだ?」
「やったね、僕たち」
この夜と、いつかこの夜に続くであろう無数の瞬間を肯定して、ユカが左利きに笑いかけます。
これは僕と君とでつかみ取った成果だよと、そんな風に、にっこりと。
これに対し、左利きはほんの一瞬だけ応じるような笑顔を浮かべます。
しかしすぐに緩んだ頬を引き締めて、いつも通りの仏頂面となって言いました。
「阿呆」
なんとも無体なこの返しに、えー、と不満げなユカ。
左利きは構わず続けます。
「アホ丸出しのにやけ顔で、なにが『やったね!』だ。勘違いも甚だしい、私はまだなにもやり遂げちゃいない。ようやく出発点に立ったばかりだ。
……だから、ここからだ、『私の物語』は」
最後にユカ流の表現を持ち出してみせた左利きは、しかし口にしたあとで強烈な含羞に襲われたとみえて、誤魔化すようにたき火に視線を逃がします。
ある種かわいげのある宿敵の様を茶化してやろうとしたユカは、だけど、すぐにその悪戯心を引っ込めます。
待ち受ける課題に対する壮大な意欲と、それに取り組めることへの限りない喜び――宿敵の瞳に漲るそうしたものに気付いたからです。
からかう代わりに「ちゃんと寝なよ」とユカが言い、「余計なお世話だ」と左利きが返します。
それから、薪の爆ぜる心地良い音響にしばし揃って耳を傾けました。
「とはいえ」
と、少しの間のあとで口を開いたのは左利き。
「私はともかく、貴様の方は確かにやり遂げたといえるだろうな。魔法使いへの偏見を払拭するという目的は、もうほとんど成就したようなものだろう。なにしろ世の風向きはすでに決したのだ。あとは新しい価値観が人々に浸透するのを待てばいい」
「待つだけ?」
「待つだけ。貴様の出番はもはや終わったのだ。私にはまだまだやらねばならないことが山ほど、売るほど、死ぬほどあるのだが。貴様にはない」
「なにそれ、なんかずるい」
少し分けてよ、とユカが言い、無茶言うなと左利きが応じます。
「えー、じゃあ僕はこれからどうすればいいのさ?」
「好きにすればいいだろうが、好きに生きれば」
「うーん、いきなり『ここから先は余生です』みたいな事実を突きつけられて、なんか僕ってば、途方に暮れちゃったぞ」
「そこまでは言っとらん」
「まだ二十年も生きてないのに! ああ、僕はこの先どうしたらいいんだ!」
「らしくなさの極致だな……おい、しっかりしろよ。目の前の自由に怯むような稟質でもないだろう? ……というか、なんで私が貴様を慰めてるのだ、気色悪い」
そんなこと言わずに慰めておくれよー、とユカが左利きにまとわりつき、やめろやめろ鬱陶しい! と左利きがそれを払いのけます。
「……別に、今まで通りでいいのではないか?」
ユカをはねつけるのに杖まで持ち出したあとで(暴力反対!)、左利きが言いました。
「今まで通り?」
「そうだ。好きに生きろと言っても、一つ処に落ち着いて生活する貴様など想像もつかんからな。またあっちこっち渡り歩いて、行く先々で見て聞いて譚ればいい。
使命があろうがなかろうが、貴様が骨の髄まで物語師なのはどうせ変わらんのだ」
断言する口調で言い切ったあとで、次に左利きが語り出したのは世界の知識です。
ひとまずの目的地が欲しいというならこういうのはどうだとばかり、東西南北の知られざる風光明媚と異国情緒、名勝に奇勝、美味珍膳の食文化から奇想天外の自然現象、おまけに七不思議を二揃い半! こうしたあれこれを途切れもせずに立て板に水、次から次へと語ります!
ユカはもうすっかり夢中になって、身を乗り出すようにしてこの素晴らしい観光案内に食いついています。
盛り上がる二人の様子を見ていつしか他の面々も話の輪に加わっていたのですが、それにも全然気付いていません。
「じゃあ、そこでは貴重な木の実を動物に食べさせて、わざわざ糞にして食べるの?」
「そうだ」
「その国では熊と人間が結婚するの?」
「らしいな」
「火山でもないのにどうして地面から火が出続けるの?」
「わからん」
「それってほんと?」
「知らん」
語られる内容、その内訳には確かな情報もあれば眉唾物の伝説もあって、しかしその真偽不明っぷりまでもが心を掴みます。掴んで、離しません。
さっきまでの『らしくなさ』が嘘のよう。ユカのお目々はきらきら、頭の中では聞きたての観光情報たちが隊列組んで大行進。
それらはご自慢の空想力と結合した瞬間にむくむくと膨らんで、膨らむほどに空想の主をさらに魅了します。
行きたいなぁと、ユカは一つ一つの話に対して、思いました。
見に行きたい。聞きに行きたい。体験しに行きたい。
確かめに行きたい。
「――行きたいか?」
夢見る表情となったユカに、誰かがそう問いかけます。
リエッキでした。
「行きたいか?」
主語も修飾も余計と断じた、必要最低限の短い問い。
ただそれだけで自分たちは相通じると、そう当たり前に信じているような。
だから、ユカは答えます。こちらもまた必要な言葉だけで。
「うん、行きたい」
「そっか」
リエッキは頷き、それから、言いました。やっぱり簡潔に。
「じゃ、行くか」




