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 クゼン病の騒動から、一月経った。


 センナギ草の在庫も増え、またあのように爆発的に患者が増えても対応できるほどになった。当分、育てなくても問題ないだろう。


「ルピナ! グリフェ達から手紙が届いたわよ」


 モナさんがわたしの部屋に入ってくる。

 手には昼食用のパンが入った籠と、手紙を持っている。

 手紙のあて先は、わたしとモナさんだ。

 椅子を引いて座るモナさんに、薬草茶を淹れる。


「あー、いい匂い。紅茶は贅沢品過ぎて飲めないけれど、この薬草茶は和むわねぇ」


「薬にもなりますけれど、飲むこともできますからね」


 今日は週に一度の休みの日だ。

 わたしとモナさんを同じ日に休ませてくれたのは、院長先生の計らいだ。


「ここ見て、あの子ったら、早くこっちに戻ってくるって!」


 広げた手紙を読みながら、モナさんが嬉しそうに指さす。

 あの騒動の後、グリフェさん達は罪を償うために刑罰を科せられることになった。

 内々に済ませるにしても騒ぎになってしまったし、あの場所にはランドリック様もいた。

 事実、グリフェさんは患者を危険に晒してしまったのだ。彼女の事情には同情を禁じ得ないが、何もお咎めなし、というわけにはいかなかった。


「彼女達なら、すぐに戻れると思っていました」


「さくっと刑期を早められる働きをするとは思ってたけどね」


 グリフェさんはもちろんのこと、ルッテさんとリーズルさんも同じ罰を希望した。

 二人は、グリフェさんがしたことを知っていて、黙っていたらしい。


 手紙を読むと彼女達は、王都の軽作業施設で刺繍を刺しているようだ。あまりひどい罰を課せられなくてよかったと思う。


「ねぇ、ルピナ。今日はさ、北通りに行ってみない? 噴水が綺麗なとこ!」


「行きたいです」


「うんうん、そう言ってくれると思った。じゃあ、さっさと食べて、出かけましょ」


 今すぐ駆けだしそうな勢いのモナさんにつられて、わたしも残りのパンを平らげた。





 王都の北通りは、普段はあまり通らない。

 修道院の用事で訪れるのは、いつも南の通りだからだ。

 南の通りが王城からまっすぐ伸びているのに比べ、北の通りは割と入り組んでいる。

 細かな路地裏があり、モナさんとはぐれたら帰り道がわからなくなりそうだ。


「大丈夫よ、そんなしり込みしないで。もしもあたしとはぐれたら、舗装された道を選べばいいわ。目印は王城だから、わかりやすいでしょ」


 いいながら振り返ってモナさんはお城を指さす。

 一際大きなその姿は、尖塔が空に向かってまっすぐに伸びていて、確かにこれ以上分かりやすい目印はないだろう。


「それでも不安なら、手を繋いじゃいましょ」


 差し出された手を握り返して、つい、笑ってしまう。

 どのくらい歩いただろうか。

 小走り気味なぐらい早く歩くモナさんに精一杯ついていくと、噴水にたどり着いた。

 周囲には人々が集まり、憩いの場となっているようだ。

 真っ白い鳩が何羽も舞い降りてきて、色とりどりのタイルで舗装された地面をさらに美しく彩った。


「今日はまた一段と人が多いなぁ。ルピナ、これを使って」


 モナさんがバックからパンを取り出して、半分に千切る。


「パンですか?」


「そそそっ。見ててね」


 いいながら、モナさんはパンをいくつか小さくちぎって投げた。

 瞬間、周囲にいた鳩が一気にわっと集まる。


「すごい!」


「そうでしょそうでしょ、ここの名物。絶対ルピナは見たことないと思ってさ」


 本当にそうだ。


「ほら、あんたもやってみなよ」


 促されて、そっとパンをちぎってみる。小さなパンくずの数々を、モナさんと同じように投げたのだが――。


「うおっ⁈」


 思いっきりパンくずが後ろに飛んでしまい、誰かの驚く声が響く。

 そしてその声の主に、一気に白い鳩が集まった。


「待ってくれ、いやこれは、まてまてまてっ」


 慌てて振り払おうと、けれども振り払えないのは、ランドリック様だ。


「え、ランドリック様? どうしてここに?」


 モナさんがわたしを見る。

 わたしはふるふると頭を振る。

 何も約束などしていない。なぜ彼がここにいるのだろう? 


 彼は鳩を振り払えないのか、いつになくおろおろとしている。思いっきり振り払えば払えるのだろうが、優しい彼はそんな無碍な真似はできないようだ。


「もうしわけありません、パンくずをかけてしまったようです」


 駆け寄ってパンくずの残りを白鳩たちに見せると、すぐにわたしの手の方に集まってきた。


「も、ちょっと皆様、待ってください、ゆっくり、順番に」


 数羽の白鳩が奪い合うようにわたしの手の平の上のパンくずをつつく。くすぐったくて、可愛らしくて、笑ってしまう。


「ルピナったら、そんなことしたら鳩にたかられるのは当たり前でしょ」


 見かねたモナさんがパンくずを離れた場所に撒いてくれた。

 鳩たちがわたしたちから離れてパンくずに集まっていく。


「凄いな、ここの鳩たちは」


 軽く体を払うランドリック様は、いつになくボロボロだ。黒い髪が鳩につつかれたせいであちらこちらに散らばっているし、服もすこし着崩したようになっている。

 わたしがパンくずを投げるのに失敗したせいで、ランドリック様を随分な目に遭わせてしまった。


「ランドリック様。こんなところで会うのは珍しいですね。休暇中ですか?」


「あぁ、いや、丁度この先の武器屋に用があってな。そうしたら、見慣れた二人が見えたからね」


「なるほど。ルピナを追いかけてきたんですね」


「や、待て、二人といっただろう? 俺は、ルピナだけを追いかけてきたわけでは」


「まぁまぁ、そういうことにしておいてあげます」


「だからだなぁ……」


 モナさんの言い方に慌てふためくランドリック様に、どうしても笑いがこみあげてしまう。


「冗談ですよ。ほら、ランドリック様もやってみます?」


「パンくずか。そうだな」


 渡されたパンくずを苦笑しながら受け取って、ランドリック様は随分と高くパンくずを投げる。地面にいた白鳩たちが、一斉にパンくず目掛けて飛び立った。


「わっ」


「おっと」


 すぐそばの白鳩の飛ぶ勢いに押されて、たたらを踏むと、ランドリック様が支えてくれた。


(あっ、近い……っ)


 至近距離にランドリック様の精悍な顔立ちがあって、わたしはそっと、距離を取る。

 中央の噴水が、ひときわ高く水を上げ、周囲に小さな虹が広がった。


「あ、あのっ、ランドリック様、その、噴水が」


「あぁ、とても綺麗だな」


 ランドリック様は何事もないかのように噴水の美しさに目を細める。

 焦ってしまったのは、わたしだけだったようだ。


「二人とも知ってる? この噴水、言い伝えがあるんですよ」


「言い伝え?」


「そそそ。ルピナは知らなそうだけど、ランドリック様は知ってたり?」


「いや、俺も知らないな」


「じゃあ、二人とも、ちょっと噴水の側にきて」


 てててっ、と小走りにモナさんが噴水に駆け寄り、わたし達を手招きする。


「そんなに勢い付けて駆け寄ると、落ちるんじゃないか」


「やだ、ランドリック様。それは小さな子供ですよ。あたし達は大丈夫ですって」


「でもあまり近づくと、水が跳ねそうですよ」


 勢いよく上がる噴水の水はとても綺麗だけれど、濡れそうだ。


「いいじゃない、濡れたって。こんなに天気がいいんだし」


 見上げる空はどこまでも遠く青く澄んでいて、気持ちがいい。


「じゃあ、二人とも、この硬貨を手にもってね。それで、噴水を背中にして」


 手渡された硬貨は錫貨で、表に女神の横顔が彫られている。ランドリック様も同じだ。

 並んで噴水に背を向ける。


「そう、いい感じ。寄り添ってね? ……うーん、もうちょっとくっつけない?」


「このぐらいか?」


 ランドリック様が、一歩わたしに近づいた。


「うん、いい感じ! それじゃ二人とも、後ろを見ずに、同時に噴水に向かって硬貨を投げてね。さぁ、3、2、1、ぽーん!」


「ぽーんっ」


 モナさんにつられて、思わず声に出しながら硬貨を後ろに向かって投げる。

 ランドリック様も同じようにした。

 ポチャンと硬貨が落ちた音にが二つ響いてほっとする。さっきはパンくずをあらぬ方向に飛ばしてしまったけれど、硬貨はうまくいったようだ。


「これが何の言い伝えなんだ?」


「おっ、完璧!」


 モナさんは噴水を覗き込んで手を叩く。


「ふっふっふ、実はね? この噴水で恋人同士が硬貨を投げて、その二つが重なると、末永く幸せになるんですって!」


「っつなっ⁈」


 ランドリック様が絶句して、わたしは口元に手を当てる。

 思わず振り返り、噴水の中を覗き込む。

 けれどわたしとランドリック様の硬貨がどれなのかわからない。

 沢山の硬貨が落ちていて、見分けがつかないのだ。


「この状態じゃ、どれが俺達のかなんてわからないんじゃないのか?」


 顔を赤らめながら、ランドリック様も噴水を覗き込む。


「そう思いますよね? だからあたしはちゃんとわかるように錫貨にしたんですよ。この辺は丁度銅貨が多いから、錫貨は目立つでしょう?」


 にんまり笑っているのがヴェール越しに伝わりそうな勢いで、モナさんは噴水の中に落ちている錫貨を指さす。

 確かにそのあたりには茶色い銅貨がぎっしりと重なっていて、その上に二枚の白い錫貨がそっと触れ合うように寄り添って、重なって落ちている。


 ランドリック様にも見えたようで、「ぐぬぬ……」と呻き声を漏らす。


「あの、モナさん、いいでしょうか……」


 わたしはとあることに気づいて、おずおずと手を上げる。


「はい、ルピナさんなんでしょう?」


 真面目な先生のような雰囲気でわたしを指名する。


「硬貨が二つ重なると幸せになれるということですが、わたしとランドリック様は恋人ではありませんよ?」


 言った瞬間、ランドリック様ががばっと音がしそうな勢いで背を伸ばした。


「そうだ、ルピナとは恋人などという関係では決してないっ」


「あら、気づいちゃった? 残念♪」


 悪戯が見つかった子供のように、モナさんは笑いながら肩をすくめた。


「まったく……」


 ランドリック様は、わたしとヴェール越しに目があうと、あからさまに目をそらされた。

 少しだけ胸が痛むが、わたしと彼の間には何もない。いえ、むしろ、わたしは彼の中でルピナお義姉様なのだから、恋人などという好意は生涯ありえないものだ。


「ルピナ?」


 モナさんが、黙ってしまったわたしに気づく。

 何か気まずい沈黙が流れた。 


「あ、いえ、特に何も……」


 ごまかそうとしたが、上手くいかない。


「えっとその、二人ともごめん! ちょっとからかい過ぎちゃった。でもね? この硬貨が重なった時に幸せになれるっていうのは、本当だったり。恋人ならもちろんだけど、友人同士でも効果があるそうよ」


「友人もですか」


 ランドリック様は、わたしを友人とみてくれるだろうか?


「……知りあい、だな」


 ぽそっと訂正されてしまった。


「まぁ友人でも知人でも? 重なって悪いことはないんだから、きっといいこといっぱいあるわよ。えいっ!」


 ごまかすようにモナさんが残っていたパンくずを私たちに向かって思いっきりかけた。

 瞬間、白鳩たちが一斉に飛びかかってくる。


「おわっ、お前、何をっ」


「モナさん、もなさーーーーんっ」


「ふふふふふっ♪」


 鳩たちに思いっきりまとわりつかれて、わたし達の間に一瞬走った気まずい沈黙なんて、消え去ってしまった。

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知らず知らず近づく距離。 監視目的だったはずが、いつしか目が離せない存在に… 友人と重なるのは、セ…ゲフンゲフン、いやなんでもないです
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