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7.校長室の掃除◆ネクラ



 ひりあちゃん、すごくいい子。

 話してると癒される。友達がいないからこんなつまらない男を友達にしてくれる、可哀想な子。あんなにいい子なのに。


 俺だけじゃなく、向こうも姿を見せたがっていない気がする。姿を見せようとしないのは容姿にコンプレックスがあるからかもしれない。あんないい子、たとえどんなバケモノ並みのブスだったとしても抱きしめて可愛いよと言ってあげたくなる。どんな人間でも性別が女である限りそんなことは本当にはできそうにないけど。


 ほのかに胸が高鳴るのを感じて慌てて打ち消す。せっかく友達になってもらえたのに、余計な感情を持ち込んだら嫌われてしまうだろう。



 朝のホームルーム終わりに増田先生が言う。


「放課後、校長室の掃除を手伝ってくれるやつ、いるかー?」


 誰も手はあげなかった。

 増田先生はよく言えば親しみやすい先生であったが、教師の中では段違いにだらしなくて、毛深くて、人使いが荒かった。職員室のポットの清掃だとか、自分の机周りの片付けとか、平気で頼んでくる。呼ばれて行くと肩揉みさせられただけだったとか言う男子生徒もいる。そういう案件は女子に頼むとセクハラになりかねないので、そこらへんはちゃっかりしている。


 彼はこの学校に長くいるせいで、割と好き放題だ。なぜそんな奴が野放しにされているのか、校長と浅からぬ縁があるとか、理事長の親戚だとか色々噂はあるが、彼の担当科目はみな異様に伸びがよく、教師としての実績はかなり名高いらしいので、割と簡単な理由かもしれない。あと、なんだかんだで情には厚く、憎みきれないおっさんでもある。


 しかし手伝えと言われて行くと先生は何もしてないことも多い。というか、そんなことしかない。最近はみんなわかっているので寒々しい目をいっせいに向けていた。だが、そんなことでたじろく先生じゃない。これだけ毛深いんだから心臓にもワサワサ生えていておかしくない。


「じゃあ今日は七日だからー……ふひひっ、近藤……は部活あるな……佐倉! 西園寺! おっちょうど学級委員だな! ふたりに頼む」


 なぜそうなった。


 西園寺さんが一瞬だけこちらを見て、ほんのわずか眉根を寄せるのが見えてドキッとした。気のせいか、嫌そう。いや、俺だって掃除は嫌だけど。





 校長は小柄で温和そうなおじいちゃんだ。ちょっとフガフガしている。俺と西園寺さんを見てニコニコしながら言う。


「わりゅいねぇ。いやね、この額の縁のホコリとか、見たら、急にしゅごい気になっちゅって! あとあのあの、棚の上ね! ホコリまみれでにぇ。終わったらお菓子あげるからにぇ!」


 どうも普段の掃除では触れないような細かいところが急に気になっちゃったらしい。掃除当番とか普段来てくれてる業者に頼めばいいのに、適当に増田先生に声をかけてすまそうとあたり、やはり浅からぬ縁はあったりなかったりするんだろうか。


 増田先生は清掃用具一式を置いて出て行こうとする。


「先生、どこに」


「俺は昼寝……ごほん、試験問題を作らなきゃならん。終わったら知らせてくれ」


 んん?


 出て行く背中を見送って、振り返ると西園寺さんがハタキを持っていた。謎の盾やトロフィーのようなものにパタパタとハタキをあてているが、ホコリが散るばかりであまり落ちてない。


「あの……」


 声をかけると不機嫌そうに睨まれる。

 え、俺なんかしたか。


「あの、一度全部上のモノをどけて、拭いて……棚も拭いて戻したほうが早くないかな」


 西園寺さんは目をぱちぱちさせて、棚と俺を見た。


 それから無言で棚のものを床におろし始めた。返事なし。なんか嫌われてる気がする。


 校長は最初校長椅子に座ってニコニコ見ていたけれど、埃が散ると「窓、あけりゅね」と言って大きく窓を開けてどこかへ避難した。


 しばらく無言で掃除していると、騒々しい音と共に開け放されていた扉から人が入ってきた。


「やあ! 総士君!」


「薮坂かよ。何しに来た」


 こいつ俺にはしばらく会いにくるなとか言ってなかったか。


「お掃除を、見に!」


 語尾にハートマークでもついてそうな邪悪な声で言ってウフフと笑い西園寺さんをジロジロ見る。


「来たなら手伝ってくれよ」


「お掃除を、見に」


 今度は「見に」を強調するよう力強く言う。


「なんかキモい。帰れ」


「なんだよ総士君、友達じゃないかよ!」


 西園寺さんがちらりとこちらを見た。


「あ、あ、ボク、佐倉君のお友達の薮坂透っていいます」


 薮坂の張り切った挨拶に、西園寺さんは抑揚なく「はぁ」と答えた。薮坂を引っ張り戻す。


「おい、薮坂やめろよ」


「なんでだよ」


 俺は西園寺さんが好きとかじゃないけど、彼女にはもう少し彼女に似合いの奴と仲良くして欲しい気がする。薮坂じゃ釣り合わないにもほどがある。まかり間違っても、薮坂なんかとはたとえ134238人目の彼氏でも付き合ったりして欲しくない。勝手な幻想ではあるけれど。


 しかし、心配しなくても薮坂はそれ以上彼女に話しかけたりはしなかった。できなかったとも言える。思ったよりヘタレだった。彼女の方もそれでなくても話しかけづらい雰囲気なのに、今日はどこか不機嫌な感じで、警戒した表情をしていたのもある。よほど図々しくないとここに切り込めなさそうだ。

 きっと彼女の彼氏の四十九人は猛者揃いなんだろう。


 薮坂はしばらくウロウロしていたけれど、やがて「失礼しました」と言ってスゴスゴ帰っていった。見事な撃沈ぷりだった。


 なんとか掃除を終わらせて、応接机のソファにどかっと沈み込む。


 西園寺さんはそれを見て、無言で向かいの反対端に腰かけた。最大限に距離をとろうとしてくる。嫌なんだろうな……俺が。


「先生呼んでくる」


 言って立ち上がる。彼女はあらぬ方を見ていて、完全に無視していた。これはもう気のせいでもなんでもない。嫌われている。一体何をしでかしたんだ、俺。


 職員室に行って奥の長椅子で寝こけていた増田先生を起こして掃除が終了したことを伝える。


 校長室には出た時と同じように西園寺さんがぽつんと座っていた。気を使ってやはり向かいの反対端に腰掛けると、一瞬だけ睨まれた。おお……これ以上離れては座れないというのに。


「おちゅかれおちゅかれー」


 校長が戻ってきて額縁や棚の上を小姑のようにチェックして笑顔で「うんぬ!」と頷いた。


 少し遅れて増田先生が紙コップとペットボトルのお茶を手に「おつかれさん」と戻ってきた。


 先生がふたりいたので、西園寺さんは少しためらうような仕草のあと、俺の隣に移動した。かなりスペースをあけて。不本意だろうなと、俺のほうも気を使ってさらに端に寄った。


 校長が約束通りお茶菓子の箱を出してきたのでそれを開封した。


 お菓子は饅頭だった。疲れた身体に甘味が染み渡る。甘味を緑茶で流すように飲み込む。腹が減っていたので余計に美味い。


 西園寺さんは普段ケーキしか食べないって藁子ちゃんが言っていけれど、こんな野暮ったい和菓子など食うんだろうかと見ていると、小さな口に菓子が入っていくのが見えた。


「美味しい……」


 西園寺さんが呟く。その声にわずかな既視感を覚える。既視感というか、聞き覚えだけれど。ほんわかした気持ちになるその声は、当然のように可愛かったので、芸能人の誰かにでも似ているのかもしれない。


 ちらりと見ると、西園寺さんの口の端に、饅頭の餡のかけらがついていた。


 壮絶に不似合いな装飾に、教えてあげたいと思うけれど、なかなか勇気がでない。


「ゆりあちゃん、口元、ちゅいてるよ」


 馴れ馴れしく下の名前を呼びそれを指摘したのは校長だった。


 彼女が照れたようにほんの少し笑って口元を指先で拭った。その顔がおそろしいまでに無邪気で、可愛過ぎて、目を見開いて凝視してしまう。


 西園寺さんが“氷の姫”と呼ばれている理由のひとつに、彼女は笑わないという伝説があった。笑っているところを見たやつはいないとかなんとか。この人この程度のことで、笑うのか。校長すごい。もしかしてものすごいモテる人かもしれん。


 驚愕と共に見惚れていると視線に気付いた彼女が怒ったように睨んできて、俺はまた視線と意識を飛ばした。


 俺は小さい頃に行った海で見た、カニのことを考え続けた。




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