5.新学期◆ネクラ
短い春休みが明けて、俺は高校二年生になった。
桜はすぐに散ってしまい、何事もなかったような緑色の日常が始まった。しかし、生活はほんの少しだけ新しい。
めぼしい変化のひとつとして、クラス替えがあった。うちの学校では二年から学力別に振り分けられる。もともとギリギリで入った薮坂とはさらにクラスの端と端に離れた。
新しいクラスには“氷の姫”西園寺ゆりあがいた。
相変わらず神々しいオーラを放っている。周りの男たちが話しかけるでもなくうっとりと眺めていた。女子も時々チラ見してはぁとため息を吐いている。すごいなと感心する。
新しいクラスの雰囲気は、悪くなかった。騒がしすぎず、大人しすぎず、明るい感じがする。
男子生徒が数人、さっそく輪になってゲラゲラ笑っていた。楽しそう。
そちらをぼんやり見たまま移動しようとすると肩をどんと誰かにぶつけてしまい、見るといつのまにか移動していた西園寺さんだった。動揺してしまい、言葉が出ないでいると、彼女が小さな声を出す。
「ごめんなさい」
うわ、しゃべった! 動いた!
俺は酸素が薄くなり、やっとのことで“気にするな”というように黙って首を横に振ることしかできなかった。
別に怒ってはいなかったし、不快な顔をされたわけでもないけれど、近寄りがたさがすごい。なるべく関わらずに生きていこうと心に決めた。なんか、住んでる世界が違う。
それなのに、不幸なことに俺は彼女と共に満場一致で学級委員に選ばれてしまった。
なぜ。
学級委員て、もっと人望あって人をまとめられる人がいいんじゃないのか。俺がそんなものをできるものだろうかと悩んだ。
先生の前に並んだとき西園寺さんが「よろしく」と言ってくれたので、なんとか小さくカクンと頷いた。変な人形みたいな動きになっていないか心配だ。
それでなくても女子は苦手なのに、この人を前にすると言葉がまったく出なくなる。ほかの女子でも目は合わせられないけれど、目どころか姿そのものにピントを合わせられない。いっそ恐怖を感じる。
「よーし、よし。決まりだな。おまえら後で職員室来い」
担任は毛深いずんぐりゴリラ系の増田先生。どこかすました先生が多めのこの学校では心のオアシスだった。
「はい」と答えると少し後ろから「はい」と西園寺さんの返事が聞こえた。
休み時間に言われた通り職員室に向かう。西園寺さんと一緒に行くのが自然なのかわからなくて、誘うこともできず、教室を出た彼女の少し後ろを隠密のように静かにヒタヒタと追う。変質者の気持ちでいっぱいだった。
骨格なのかなんなのか、後ろ姿がすでに可愛い。なにあれほんと怖い。
「おう、ふたりとも来たなー」
増田先生がニカっと笑って俺を見たので西園寺さんがつられて俺の方に振り向いた。視線どころか意識を遠くに飛ばしてしのぐ。
先生からいくつか連絡事項があって、それに受け答えをした。毛深くて汚らしい男の先生とは緊張せずに話せる。すごく普通に会話できる。
学級委員と聞いて萎縮してしまっていたが、大した仕事はなかった。
体育祭や文化祭、修学旅行などの決め事はそれぞれべつの委員があるのでやらなくていい。
メインの仕事は朝の挨拶の号令。集会時の人数確認。それからたまにあるクラス委員の集会への出席。それ以外はだいたい雑用というか、先生の小間使いポジションに思えた。これなら俺にもできそうだ。
ほかになにか質問はあるかと聞かれて、俺の少し後ろにいた西園寺さんが「あの」と口を開く。
「なんでわたし……選ばれたんでしょう」
増田先生はガハハと笑ってなぜか彼女ではなく俺の肩を軽くバンバン叩いた。
「お前らはクラスの“顔”に選ばれたんだよ。深く考えずに頑張れ」
西園寺さんがちらりとこちらを見たけれど、硬直してしまい、首が、表情筋が動かなかった。
「あ、ついでにこれ。さっき配り忘れてたんだよ。頼んだ。これを頼むためにわざわざここで説明したんだよーん」
「はぁ」
先生から渡された小さめサイズの教材を持って職員室を出た。西園寺さんが俺のほうを見て言う。
「あの……持つ?」
「いや……」
心の中は「いや……」じゃなく「いやーん」だった。俺のことは道に落ちている軍手ぐらいの扱いで、どうかいないものとして扱ってほしい。脂汗出そう。
教室につくと西園寺さんが今度は「配る?」と聞いてくる。
手を伸ばされたけれど、手のひらで制止した。こんなしょうもない仕事、この方にさせられない。
「え、でも」
「いや、いいよ」
手早く仕事をすませ、彼女に軽く会釈して教室を出た。目指すは一番端のクラス。ぼんやりしてると女子に話しかけられてしまうので急ぎ足でそちらに向かった。
教室を覗くと薮坂が男子数人とゲラゲラ笑っていた。あいつ、もう新しいクラスにうちとけてやがる。こちらを見たので片手をあげて呼び出した。廊下の端に移動して小声でしゃべる。
「おー総士。春休みどうしてた?」
「ずっとバイト」
「今はなんのバイト?」
「親父の知り合いのツテで、リヤカーで豆腐売ってた」
「お前……知った奴に見つかったらどうすんだ」
「ほっかむりしてたから大丈夫。それより聞いてくれ、西園寺さんと、学級委員になった」
「ゆりあさんと……」
「バカ薮坂! 下の名前など出すな! やめろやめろ恐れ多い! あのお方が近くにいたらどうする!」
「いないよ。お前はどこの時代劇だよ」
「ひかえおろーう」
ふざけて言うと白い目で見られた。
「総士、お前の方こそ、周りに聞こえるぞ」
ぱっとキョロキョロあたりを見まわした。近くに人はいない。少し遠くにいるが自分たちの話に夢中だった。ほっと胸をなでおろす。
「で、どう?」
「すごいな。近くで見るとヤバイな。あの可愛さ。人知を超えているな」
「なんか話した?」
「ははッ。話せるわけないじゃないか。この俺が。俺、至近距離で西園寺さんの吐いた二酸化炭素吸ったぞ。すごいだろ」
薮坂が「はぁ〜」と呆れたため息をついた。
「お前……せっかくのチャンスなのになにやってんだよ」
「チャンス? なんの? 四十八人目の彼氏になる? 言っとくが絶対無理だぞ」
「まあ……無理だろうな。あ、彼氏は最新情報だと四十九人だぞ、なれるとしても五十番代だ」
「増えたのか……」
「上の学年に我こそが彼氏だと言ってるやつがふたりいるらしいが、実際に彼女と話してるところを見たやつは誰もいない……」
「そこはかとなく都市伝説みたいだな……」
「ゆりあさんは無理として……お前そろそろ彼女つくれよ」
「無理。ていうかなんでお前にそんなことを言われなきゃならないんだよ」
「噂になってるからだよ!」
「は? 誰と誰が?」
「オレとお前が!! お前が女子にまんべんなくガードが固く、男友達もそういないのにオレとだけやたらと話すからだよ!」
「はッ、馬鹿なことを……」
「馬鹿でもなんでも! オレはいい迷惑なんだよ! このままだとオレとお前の薄い本ができかねない! 彼女作るまで会いにくんな!」
「いや、そんな! ご無体な!」
「うっせえ! とりあえず話しかけんな!」
「わかった。また来る」
「来んなっての!」
薮坂に拒絶されてしまった。
こうなると学校には友達がいない。
そうでなくても人見知りで、仲良くなるには時間がかかるタイプなのに、ほかの男子と友人になる隙はなかなかない。
困った。
俺はただ、適当にふざけた話をこっそりしてくれる人間がひとり欲しいだけなのに。




